不思議な白い服の人たち

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理屈では説明できないような不思議なことって、起こることがありますよね。

偶然と言えば、偶然でしょうし、

気のせいと思う人は気のせいと思うでしょう。

どこまでも、信じなくていいんですよ、という私のスタンスに変わりはありませんが、

ただ、私が体験したことだけは、私にとっては紛れもない事実なので、

否定されてもかまいませんが、まあ、それでも、

私には実際起こったことですからねぇ、としか言えません。(笑)

 

今日は、私のたくさんの不思議体験の中から、ひとつだけ面白いお話をさせてください。

スピリチュアル系、不思議系のお嫌いな方は、

心と体の為に、是非、スルーして下さいね。(笑)

 

さて。

豪邸。すみません、盛りました!(笑)

わたしは東京の郊外の一軒家に住んでいます。

子供が成長するには、都会よりも自然のあるところの方がいいのでは、と思い、

新宿駅から10分で家のドア、という都会のド真ん中に住んでいたのですが、

現在の地に移り住みました。

 

 

 

私自身、生まれて初めての田舎暮らし。

しかし、田舎・・・・と言っても、田園風景からは程遠く、

サラリーマン世帯ばかりが住む住宅街なので、周りは普通の民家だけです。

この地に来た当初、家の前には、荒れた広めの空き地があって、

明らかに最近まで畑だったというのがわかるものでした。

空き地の向こうにも民家ばかり。

どうも、この一帯は、何世代か続いている農家の人々が売りに出して出来た住宅街のようでした。

 

この地に移って来て、当初から、私には少しだけ気になることがありました

実は、その、荒れた空き地のところどころに、

かなり時代遅れの白っぽい服装の人達が、ぽつりぽつりと行き交い、

生活している様子がちょくちょく私には見えるのです。

見えるって、どゆこと!?と思われるかもしれませんが、

これは私が持って生まれた不思議な感覚で、気配が見える、とでも表現したらいいのでしょうか。

とにかく、幽霊とかそういうものとはちょっと違って、

怖い亡霊とかでもなく、

人が、

何人もの人が、

明らかにこの現代と時代が違うと思われる人々が、

目の前の空間で生活しているのです。

暮らしを営んでいる、という様子が、なぜか見えるのです。

つまり、そこで、何ごともないように、時代錯誤状態の服装の人々が生活をしているのです。

 

信じられないことでしょうが、信じなくていいですよシリーズです。

だって、私が「ほら、あそこに、ほら、あっちにも。」と、彼らを指さしても、

「だ・・・・大丈夫????」と、心配されるだけでしょうから。(笑)

 

彼らは、私たちの存在に全く気付いていないという感じです。

経済学者の飯田史彦先生が、“残存思念”、という言葉を作られましたが、

まさに、残存思念、という表現が言い得て妙、ドンピシャかもしれません。

 

こういう話は、友人でも、話すと思いっきり引く人達と、

食いついてくる人達とにわかれると思います。(笑)

半分は、(頭、いっちゃってるの?)と思われるでしょうが、

不思議系の好きな方々は、そういう世界もあることに理解がおありですので、

そういうのが見えている人もいることをわかってくださるようです。

 

つまり、私は、そういう不思議な感覚があるので、

自分が生活をしている家の前の空き地に、

なんとも時代の違う人達が、その時代のまま、

普通に生活しているのを、目ではない目で見ていたのです。

視力は1.0前後ですが、そちらのわけのわからない視力は、

まったく計測不能の視力50のような世界です。

 

その人達は、真っ白ではないけれど、全体が白っぽい服装で、

私たちの歴史の知識で言うなら、弥生時代ちっくな服装です。

いくつかの、家と思しきものの周りをゆっくりと

行ったり来たり、

かがんだり、

私たちの存在など意に介さずに

ただ、普通に生活を営んでいるのです。

一番最寄りの3軒ほどの集落は、位置もはっきりわかりました

そこで生活している、というのがわかるのです。

 

わたしもこういう現象は、なぜ起こっているのかわかりません。

そして、なぜ、その時代だけが見えているのかもわかりません。

ただ、夢を見ているわけでもなく、頭がイッちゃったわけでもなく、

至って冷静に見つめているのですが、

とにかく、そこに、その人達が存在していることがはっきりわかるのです。

 

ただ、不思議だったのは、この辺りというのは、

それほどの大昔に人が住んでいたとは思えなかったこと。

なぜなら、弥生時代などは、皆さんも歴史で習ってご存じの通り、

農耕が始まって、集団生活を始めたような時代です。

農耕を営むためには、多くの人々が協力し合って、

水を引かなければなりません。

そういった共同事業の為に、

人々は集落をつくるということを始め、

川から水を引くという事業を協力し合って始めました。

ですから、川がそばになければ、弥生時代近辺の人々は集落をつくらないはずです。

私の住むこの辺りは、川からは相当離れていて、

太古の昔に、水を引いてくるような距離ではありません。

弥生時代近辺の人々が、水もないこの辺に住んでいたというのは不可能なことだと思いましたし、

そもそも、この辺はせいぜい数世代前から、

農家を営んできた人々が住みついてきた程度の浅い歴史のはずだと思っていました。

学生時代にもこの辺に弥生時代の歴史があったという分布図なども

見たことすらありませんでしたし、

(なぜ、この辺に住んでいたはずもない人々や集落が私に見えるのだろう・・・。)

と思うだけに、本当に、自分でも不思議でした。

そして、この話には、この後、大展開がありました

 

こちらに移り住んで何年かした頃、

ある日突然、市役所の職員の方たちが我が家を訪れました。

「お住いの前の空き地に、これから4車線の道路を作る予定なのですが、

道路の工事の前に、発掘調査があるのでお知らせに参りました。」

 

「・・・発掘調査?」

私は驚きました。

空き地が大きな幹線道路になることにも驚きましたが(知らずに土地を買いました)(笑)

それより、発掘調査があるということに度肝を抜かれました。

こんなところに、相当な大昔に、誰か人々が住んでいたという事に。

 

遺跡を調査するんですよ。」

 

と言う市役所職員の更なる言葉を聞いて、

(や、やっぱし・・・・。そうだったのね~・・・・。)と、心の声。

「こんなところに大昔の方が住んでらっしゃったのですか?」

と聞き返す私に、市役所の方は、

「はい。道路を作ってしまうと、もう掘り返せないので、

先に発掘調査をやってしまうことになります。」

・・・・と。

 

自分には、人々が生活する姿が見えていても、

にわかには信じられないような話です。

まさか、大昔の人々が住んでいたとすら想像出来ない

そんな雰囲気の現在の住宅街に、

見えていた通りに、

実際は大昔に人々が住んでいたとは・・・・!!!

前述しましたが、この辺りは川からも遠いだけでなく、

遠くの川から見ても、土地が格段に高いところにあり、

大昔の技術で、水を引いてくるのは不可能でしょう。

(一体なぜそこに大昔の人々が・・・・。)

不思議で仕方ありませんでした。

 

しばらくして発掘調査が始まりました。

掘り出されたものを見て、私は、さらに、自分の事ながら、仰天しました。

土器が次々出てきたのです。

しかも、弥生式土器が。

そうです。あの、つるつる系の、曲線で出来た、膨らんだような形の弥生式土器

それがざっくざっく出てきました。

弥生時代チックな服装の人々を見ていたのですから、びっくりです。

そしてさらに追い打ちをかけて驚いたのが、

住居跡が見つかり、掘り返してその土台の部分が顔を出したのですが、

それは、私が見続けてきた、人々が暮らしている住まいの場所と全く同じ場所に

何カ所も姿を見せたのです。

特に、一番近い3カ所の住居跡は、私が見ていたままの位置に出てきました。

(追記: 後で知りましたが、弥生時代は、3軒ずつ住居のある集落を作って生活していたそうです。

歴史学者ではありませんが、その3軒ずつの集落がどのくらい離れて作られていたかも、

当時の私は聞かれれば説明できました。)

 

自分ながら、この不思議には驚きましたが、

この経験から、私は、

(どうも、この宇宙では、

過去も、現在も、未来も、

全てが同時に発生しているのでは・・・・?)

という思いを抱きました。

結構、不思議な体験をしていながらも、

ガチガチの唯物論的なところもある私ですので、

証明できない不思議な現象には、とても考えさせられます。

証明できないのに、私の中では証明されてしまったのですから。

 

魂が体の中に入っているという制約された状態では、

人は、物は目で見て、耳で聞いて、鼻で臭いをかいで・・・ということしか出来ません。

頭で見るとか、手で見る、とか、不可能ですよね。

その制約された状態では、時間というものも必然的に経過します。

閉じ込められた制約の中で何かするには、時間の存在が必須なのです。

まあ、この部分に関しては、ややこしくて長くなるので別な機会に話しますが、

どうも、時間というものは、

この次元だけにあるのではないか・・・?

それが私の感じ続けている感覚です。(ごめんなさい、難しい話になってしまって。)

 

不思議な現象の中の彼らの姿は、

土を掘り下げて4車線の道路が建設された後は、一度も見ていません。

 

さて、同じ件で

もう1つ付け加えて話したい面白い話があります。

家の前(南)の空き地の畑跡で、

白っぽい服の人々が生活するのを見ていたと同時期に、

さらに家の東20mほどはなれた小さな交差点のど真ん中に、

よく、こちらに背を向けて

同じ白っぽい服装の人が一人立っているのが見えました。

それはなぜだか、夜にだけ、つまり、

車の行き来がなくなる時間帯だけですが、理由はわかりません。

 

そこにいる人は、2段構えの4本脚の台の前に、

いつ見かけても、ただじっと台の方向を向いて立っています。

(脚の太いテーブルを、2段重ねたような形です。)

私には、祈りを捧げている人か何かのような気がしていましたので、

きっとその2段構えの台は、

実物を見たこともないけれど、

祠(ほこら)か何かなのかなぁ・・・と思っていました。

歴史の勉強の記憶がすでにぐちゃぐちゃなので、

むちゃくちゃな錯乱した歴史解釈も考えましたが(笑)、

そもそも川や海というものから遥かに離れた環境で、貝塚的なものもあるわけないし、

あんな台は歴史の教科書でも見たことないし・・・・。

それでも、(あそこって、何かあったんだろうな~、祈りの場っぽいな~~~、

なんだろな~~~~・・・・。)

と思いながら、時折見かけていましたが、謎のままでした。

この話も、大展開します

 

時は過ぎ、次男が高校生時代のことです。

彼は新学期になって新しい教科書をもらってきました。

教科書をもらっても、当然の様にうれしいわけではない彼は(笑)、

ソファーにそれらを置きっぱなしで部屋に行ってしまったので、

なんということもなく、ふと、

手元にあったその教科書の束から、

新品の歴史の教科書を手に取ってみたことがありました。

 

(いやはや、最近の子の教科書って、薄っ。しかも、写真ばっか。いいよね~。

私の頃って、白黒で、字ばっかりで、分厚かったのにね~~~。

子供に優しいわ~~~、教科書も。)

と、やっかみ半分にパラパラとめくっていると、

あるページで、はたと私の手は止まり、目は釘付け

そこには、なんと、私がよく見ていた、祈りを捧げるための物?と思っていた、

あの、2段構えの台の写真があったのです!!!

度肝を抜かれました。

全く、同じものでしたから。

しかも、その写真の説明には、201X年に初めて発掘されたばかりのもので、

前例もなく、何の用途に使われていたかも不明という内容が書かれてありました。

この世の誰もが見たことのなかった発掘されたばかりのものを

なぜか私は、この近所で、ずっと前から見ていたのです。(笑)

私の見ていた台は、大きさはその発掘されたものよりはるかに小さい台なのですが、

全く同じ形。同じものの縮小版のようなものでした。

しかも、発掘エリアは(記憶があいまいですが)東京から全然離れたところです。

長方形の台で4本脚付き、2段重ね。

私はもう、息子を部屋から呼び出して、その興奮を伝えました。

「ちょっと、ちょっと!!これ、見て見て!

最近出土されたばかりって書いてるこれ、

そこのXXさんの家の前の交差点で、私がいつも見てたやつ!!!

何度も話したことあったでしょ?全く同じやつ!!!

これなの、これこれがあそこにあったの!!!!

寸分違わず、おんなじぃ!!!!」

大興奮状態でした。(笑)

私としては相当驚いた、衝撃の体験でした。

 

今日のお話は、本当に証明不可能な、不思議としか言いようのない話ですが、

少なくとも私の家族は、長い年月、

こんな話を私から何度も聞いているので、驚きもしません。(笑)

自然にそういう世界もあるのだと受け入れています

世の中には、こういう不思議なこともあるというひとつのお話ですが、

うすうすお気付きの通り、

なんの役に立つ話でもありません。(笑)

興味本位で、物語のつもりで読み流していただければと思うだけす。

信じてもらっても、信じてもらわなくても、全然かまいません。

今まで、頭、イッちゃってますか~~~?と思われそうなので、

意図的に、かなり親しい人にしか話してきませんでした。

 

ただ、今回こうして役にも立たないことを話しているのには、

少しだけ理由があります

 

世の中に、こういう視力や感覚がある人とない人がいるために、

「見た。」

と言った人は、その感覚がない人には

「何をボケてるの~?」

と言われ呆れられる風潮があります。

 

また、そういう感覚を、個性ではなく能力

と、とらえる人々がいると、

この感覚を持っているという話題は、

自慢に聞こえたり

目立ちたくて言っている、

と思われたりすることもあるのです

あるいは、ふざけたことを言っているように思われたり、

あるいは、かなりボケちゃってるように思われたりもよくあることです。

カミングアウトしてしまった為に、時には肩身の狭い思いをする人もいるようです。

「ばっかじゃな~~~い?」ってやつです。(笑)

どう思われても、信じてくれなくても私的にはどうでもいいのですが、

そんな風潮があるので、

この不思議な個性を持っている人々は、信用を失うのが怖くて、

口外してはいけないことのように思い、口を閉ざしているケースも多いようです。

 

しかし、そろそろ、

こういう感覚を持ってる人もいるのよ。

信じなくていいけど。」

というスタンスで、

カミングアウトしてくる人がどんどん出てきてもいいかな、

その口火をきりましょうかね、

そんな思いでポストしてみました。

少しずつそういう人達が認知されるのも、平和でいいかな、

そう思いながら、スピリチュアルな話をこれからもアップしていこうと思っています。

時には、心の救いになるスピリチュアル・トピックもたくさんありますしね。

ただ、読む心構えは、面白半分でかまいませんよ。(笑)

 

種類は違うので失礼に当たるかもしれませんが、

かつて証明しきれなかった性同一性障害のみなさんも、

紆余曲折を経て、やっと世間に認められてきた

という時代の流れもありましたしね。

認められようが、認められまいが、

個性を重んじる社会は平和です

スピリチュアルな感覚も、個性であって、

あるもんなんだ~、って言うみなさんが増えると

そういう個性を持っている人々には、

もっとさらに生きやすい世の中になっていく気がします

 

ちょっぴり不思議な話に興味のある方は、

これからも『ちょっとスピリチュアル』シリーズを、お楽しみに!

 

 

 

不思議な白い服の人たち」への7件のフィードバック

  1. 徳子さま

    大変面白く読まさせて頂きました。脱ステ脱保湿リバウンド中の
    Yukiです。4/12に漢方薬の投稿にコメントしましたところ早速の返信ありがとうございました。
    ちょうど脱ステ5周年だったようで本当に本当におめでとうございます。
    まずはアトピー記事を一通り読んでからまたコメントをと
    思っておりご挨拶が遅くなりすみません。

    しかもふとこちらを読み先にコメントしてしまっています笑。
    パラレルワールド、という表現もあるでしょうか
    それをこのように体得されて、確信があるというのは
    何よりの徳子さんの生きる上での礎にもなっているように
    感じさせられました。

    ところで気になったのは教科書をご覧になった息子さんはなんと
    反応されたのでしょう??

    それでは引き続き読み進めます。
    ありがとうございます。

    • Yukiさま
      いつもコメントありがとうございます!
      不思議な体験もたまにポストしていますが、自分に起こったことは信じるしかないので、信じています(笑)。信じない方は信じられないのでしょうが、それはやむを得ないことなので、「信じなくてもいいですよ~」というスタンスで話しています。
      息子たちは私の不思議体験を腐るほど聞いていますので(笑)、普通に、日常のことの様に受け止めますよ。変わったファミリーだ、とういだけで、私にとっては普通の自分に起きている現実なので、普通に話します。でも、不思議系の話は息子達にとっても面白いみたいです。つじつまが合うので。
      また、何かポストしますね。
      これからもよろしくお願いします!

      • 徳子さま

        お返事ありがとうございます。
        私もスピ系OK系です。
        楽しみにしています。
        こちらこそよろしくお願いします!

  2. 徳子様
    返信有難うございます。
    いつもすぐに返信下さり、本当にうれしいです。
    今、私のテーマは
    1、受け止め方を変える。
    ネガティブにばかり考えない・・・

    もう1つは、
    2、人は幸せだから感謝するのではなく、感謝が人を幸せにす  る。
    これは、いいことがあったから幸せ、とか
        楽しいから幸せ、ではなく、自分が上機嫌でいるから    幸せになるんだと思います。
    判っていたんですが、なかなか実行できません。
    でした。・・・
    でも1日1つでも、実行していこうと思いました。

    • アンさん
      本当にステキな心掛けですね。ご一緒に、成長していけたらうれしいです。(^_^)b

  3. 徳子様
    こんばんは手湿疹のアンです。(*^-^*)
    アップされた記事を読み、どうしても又コメントしたくなりました。
    手湿疹はやはりゆるーいスピードで、回復しつつあります。
    しかしかゆみは、なかなか離れてくれないです。
    今日の大好きなスピリチュアルの内容がうれしかった(^_-)-☆です。
    実はスピリチュアル好きは、かれこれ40年前からです。
    宜保愛子さんから始まり江原啓之さん、仏教の話もすきです。
    他にも色々本を読みつくしています。
    昔、タイムトラベラーと言うNHKでドラマを見た時には
    体に鳥肌が立ちました。
    中学生の頃よく考えていたのは、「死んだらどうなるのだろう?」でした。
    体は燃えてなくなることは判っていましたが、日々考えている事、例えば・・・
    今日母から怒られて悔しかった、友達とけんかして、悲しかった。先生から本当はちがうのに、私のせいにされて悔しかった・・・とかの感情は、肉体が燃えてしまった時になくなるのか??が1番の疑問でした。それとも焚火の時の燃えカスの様に
    空に舞い上がっていくのか???と・・・
    私は全く霊感はなく、見えたりしません。
    実は見える人を、少しうらやましいと思っています。
    徳子様には、こうしてコメントしてくる人の事が、何か感じる事などあるのですか?
    私の事も何か感じたりするのですか?
    これからも、もっと、もっとスピリチュアル系の記事をアップしてください。待っています。

    • アンさん
      コメントうれしいです!ありがとうございます!
      手の皮膚炎は、使うところだけにどうしても繰り返しますよね。気長に、でも、保湿をしないで耐えているうちに必ずよくなっていくはずなので、乗り切ってくださいね。わたしも、弱すぎて皮膚の用をなしていなかったのに、脱ステ、脱保湿で、今では随分強くなりました。

      スピリチュアル大好きって、ステキですね。
      タイムトラベラー・・・ケン・ソゴル(笑)・・・世代ならではの通じる話題がありますよね(笑)ホントに面白い注目のドラマでしたものね。

      私は江原さんとか宜保さんのような人様の役に立つ力はないのですが(;^_^A、不思議な感覚はかなりあります。ですから、その世界をよく知る方々のことも、嘘をついているとか勘違いしているとかは思えないですね。特にその能力を人々を助けるために使っている方々は霊格の高い方たちだと思っています。

      親しくなる同志は、当然、同じような波動の方だと思いますので、このブログを見て下さる方たちや、コメントをくださる方たちは、愛に溢れたみなさんだと思っていますし、あたたかい波動が伝わってくるような気がしています。

      天国は行ったことがないので(笑)わかりませんが、色々な執着や、痛みからは解放されるところなのではないかと信じています。今世をどれだけ楽しみ、どれだけ人のためになれたのか、誇れる状態であちらの世界に帰りたいものですね。
      スピリチュアルシリーズ、楽しんでいただけてうれしいです。
      いつでもコメントをお寄せくださいね。ありがとうございました!

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