アーカイブ | 12月 2017

インドに行って、人生観が変わりました! - インド紀行・その4(最終章・気付くことのすすめ)India #4

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お待たせいたしました。

徳子・インド紀行<<最終章>>では、

「インドに行くと、ホントに人生観が変わるのぉ?」

という疑問にお応えすべく、

その観点で、私が見たこと、聞いたこと、インドから学んだあれこれ

・・・を話していきたいと思います。

この最終章を読んでほしくて、

ここまで書いてきたと言っても過言ではありません。

 

徳子インド紀行その1その2その3を、まだ読んでいない方は、

そちらも、是非。☟

 ★ 徳子 インド紀行その1

            インドに行って、人生観を変えてみませんか? - インド紀行・その1

 ★ 徳子 インド紀行その2(食べ物・生活編)

   インドに行って、人生観を変えてみませんか? - インド紀行・その2(食べ物・生活編)

 ★ 徳子 インド紀行その3(観光地編)

   インドに行って、人生観を変えてみませんか? - インド紀行・その3(観光地編)

 

インドは、かなりの偏見を持って旅立ったものの、

今では心から行ってよかったと思っていますし、

旅の多い私の人生の中でも、印象に残る部門” で、ぶっちぎり第1位です。

行かなければ感じ取れない現実と、そこからの学びが必ずあります。

旅を考えている皆さんにも、死ぬまでには (笑) 是非!

一度は行って戴きたいところだと思っています。

 

まず、あちらで聞いた面白いお話から。

一つ目は、ヒンズー教の神々のうち、人気のあの神さまのお話です。

 

ヒンズー教には神様がたくさんいて、特に三大神のうち、

創造と破壊の神シヴァ神の息子、

ガネーシャ一番人気

体が人間、頭が象の一見可愛らしい神で、

インドに行けば

あちこちで見かけることがあると思います。

なぜ頭が象かというと・・・

 

ある日。

三大神の一人、シヴァ神の妻が、

自分の垢からこのガネーシャという息子を作ったのですが、

帰宅したシヴァ神は、

青年・ガネーシャを妻の浮気相手と間違えて

怒り狂い、

ガネーシャの首を切って捨ててしまうのです。(怖い~~~。)

 

妻は烈火のごとく怒ります。息子を夫に殺されたのですから。

シヴァ神は、怒った妻をなだめる為、

ちょうどそこを通りがかった象の首を切り、

息子のガネーシャの体にくっつけた・・・・

そんな有名~な残酷ストーリーがあるんです。

「それで、いいんですか~?」

という、笑うに笑えない話しですが、

インドでは人気の可愛い神さまなんですよ。

ちなみに、その父のシヴァ神が乗っているのが

だからインドでは牛を崇めます

 

まあ、この話はこの先の話にスムースに入るための前振りで、

ここからが私の体験談です。

 

今年、中東のドバイを旅行した時、

たまたま立ち寄ったインドの店で、新たに聞いた驚きの話しがあります。

(ドバイは90%が外国人労働者で成り立っていて、インド人がたくさんいます。)

 

私がインドに行ったことがある、ということから話が盛り上がり、

店員さん達と話し込んだことがありました。

インド紀行第3章でお話しましたが、

タージ・マハルには皇帝と妃の

愛のストーリーがあります。

「タージ・マハルってホント、美しいですよねー。

なんたって、妻への愛であんなすごいものを作ったなんて、

素敵です~。」

と、私が言うと、インドの店員さんたちが言いました。

 

「でも、この話を知ってる?

タージ・マハルの設計をした人が、その後どうなったか、聞いた?」

 

Taj Mahal at Agra, India タージ・マハール

 

タージ・マハルは、皇帝シャー・ジャハーンが亡くなった愛する妻を思って

巨万の富をつぎ込み、全精力をかけて作らせた。

しかし、最愛の妻を思って作らせた最高傑作なだけに、

それを超えるものがこの先世に出て来ては困る。

故に、今後永久に、タージ・マハル以上の作品を作らせないために、

その技術と設計方法を封印した・・・・。

 

「完成後、シャー・ジャハーンは、設計者の両腕を切断したんだよ。

そもそも、最初からその約束で作らせたんだよ。」

 

・・・・恐ろしすぎる話しです

 

素晴らしい、卓越した技術を持った人が、

皇帝から命じられたこの仕事を完成させた暁には、

生涯、もうその技を生かすことが出来ない・・・・。

・・・刻一刻と迫る完成の日。

作者はどれほど苦しんだでしょう。

自分の両手を見つめ、あがなう事の出来ない苦しみに、声を上げて泣いたことでしょう。

タージ・マハルは、作者にとっても、生涯を賭けた “渾身の作” だったのです。

 

「もちろん、その代わりに、彼は

一生困らないような莫大な財産と、召使いなどを与えられたんだけどね。

それでも、ひどい話しだろ?」

 

当時、技術者が

どの程度の身分に属していたのかは知りませんが、

芸術家にとっては、巨万の富よりも、

さらに、さらに、と、

人々を感動させる仕事を続ける方が

どれだけ幸せだったでしょう

 

胸が締め付けられる話しですが、深く考えさせられました。

インドだけでなく、世界では、

上に従わなければ殺されたりするような時代がありました。

理不尽な殺され方すら、まかり通る時代があったのです。

 

理不尽なことは、現在の世の中でも溢れてはいますが、

命に関しての理不尽は、

受け入れがたいものです。

また、愛する人と結婚することが出来ない時代もありました。

言いたいことを言えない時代も然り。

あるいは、行きたくなくても、反論することも許されないまま、

戦争に借り出された時代もありました。

 

選択の自由のない時代があったのです

 

「イヤなことがあっても、笑顔でがんばろう。」

なんていうレベルのなぐさめで語れる話しではありません。

そう思うと、現代の私たちは

人生を楽しむための

一通りの教育も受けていますから、

職業も選べるし、

辞めることも

転職することも出来ます

辞めるなら100叩き、とか、そんな処罰はもはやありません。(笑)

あの 豊臣秀吉ですら、幼い頃、貧困から自ら身を売り、

丁稚奉公(でっちぼうこう)以下の、土捏ねの奴隷(やっこ)になったものの、

牛馬に成り下がったどころではない辛すぎる労働から足を洗うためには、

道行く人100人に、気を失うほどムチ打たれる・・・という

恐ろしい見せしめの刑を受けなければならなかったそうです。

彼は選択の自由を手に入れるために、その苦痛に耐え抜いたのです。

しかし、その後には、また、しばらく貧困という苦難を乗り越えなければなりませんでした。

 

歴史の中で、人間は、殺し合っている時代がありました。

たしかに、今も一部、殺し合いは終わっていませんが、

人が人を食べる時代は終わり、

弱肉強食の殺し合いも終わり、

さらに、刀などで殺し合った時代は過ぎ、

世界が巻き込まれた戦争で、

多くの尊い命が失われたことも過去のことです。

大きく見ると

歴史は常にいい方向に向かっているのです。

少なくとも私たちは、

「いつ殺されるかわからない。」

なんて思いは、抱かなくて済んでいます。

エアコンもストーブもあって、現在では、誰もが昔の大名より快適な生活をしています。

私たちはなんと素晴らしい時代に生まれたのでしょう

 

 

先のインド紀行でも一部お話したように、

インドでは、貧富の差をいやというほど見てきました。

幼い子も働いている環境があります。

物を売るだけでなく、

売るものがなければ、必死に芸をしてでも、お金を得なければなりません

体の不自由な方ですら、物乞いをしなければならない。

あるいは、横たわることしか出来ない状態の方が、

その寝床にタイヤをつけたカートのような状態のものを、かろうじて腕でこぎ、

地を這うようにして、物乞いをしているのにも遭遇しました・・・・。

貧困を様々な形で目の当たりにしました

一般的日本人には、想像を絶する貧困です。

ましてや現代の日本の子供たちには、考えもつかない姿でしょう。

現場には出会っていなくても、

まだまだ騙されての人身売買もあることが知られています。

日本の戦時中以下の、劣悪な環境が残っているのです。

 

インドでは、カースト制度による根付いた身分差別は、

多分、いまもくすぶったままなのではないかと思います。

長い間、カースト制度が施行されていた頃、

一番下の身分の人は、一番人がいやがるような仕事に就かねばならない上、

その子も、その孫も、代々、同じ職業を継がなければなりません

どんなに努力しても、

どんなに善行を行っても、

どんなに実力があっても、

人々から最低とさげすまれる仕事にしか就けませんでした。

(職業に貴賤はありませんが、そういう意識が低い時代の話しです。)

どんなに我が子が可愛くても

その辛い仕事を継がせるしかなかったのです。

我が子にいい未来が開けるように導いてあげたくても

子供にまで自分がどん底だと思っている生活を味合わさせるしかなかったのです。

 

生まれ変わりを信じるインドでは、

こういった身分に生まれてくることを、

前世でのカルマだと信じてきたようです。

前世でよくない行いをしたから、

あの家族が苦しんでいるのは、仕方のないことだ、と。

そういった他者の目線も辛いことです。

 

インドでIT 企業が世界でトップクラスに盛んになっていることも、

IT 関連の仕事に就く人、学ぶ人が多いことも、

このカーストの影響だと言われています。

なぜなら、昔はIT企業などありませんでしたから、

なかったものに関しては職業選択は自由度が高いようなのです。

 

子どもに期待をかけることの出来る

日本の親たちは、

なんと恵まれているのでしょう

 

子どもが勉強しない、

スィミングをがんばらない、

言うことを聞かない、

ゲームばかりしている・・・。

 

不満や不安は尽きません。

しかし、育児が思うように行かなかったとしても、

希望を持つことが出来、

期待して夢見ることが出来るだけでも、

実は幸せなのです

期待しているから、親は叱ってしまうのでしょうしね。

子どもが生まれた時には、五体満足に生まれただけで

あれほど喜んだのに、

ついつい欲が後を絶ちません。

日本の子供たちは、教育を受けさせてもらい、この先道を選べるのですから、

健康で生きているだけで、本当は、

感謝しなければいけないのです

 

 

また、旅行中、ある時には、別な形でひどい貧困を見ました。

Image

観光地の帰りに、駅までメインストリートを右にしながら

歩道を歩いていた時のことです。

観光地のそばですから、

道路は車がひっきりなしに走っています。

歩道の左手は草むらと、その奥は林の様な立地でしたが、

どこからともなく、なんともひどい糞尿の臭いがしてきたのです。

とくに建物もなかったのですが、

ただ、進行方向の草むらに

ゴミか何かを積み重ねたようなものがあり、

そこから臭ってくるように思われました。

しかし、そこに近づくにつれわかってきたのは、

それが路上生活者の家だということ。

 

目の前をを通った時には、その臭いは最高潮になり、

息を止めずにはいられませんでした

覗くつもりはなくても、視界に入ってしまいます。

歩道ギリギリに、間口3mくらい、奥行き1.5mくらい、

高さも1m少々くらいの居住空間で、

板やらなんやらガラクタを重ね合わせて、

若い両親と1~2才くらいの子の3人が暮らしていました。

 

七輪のようなものを置いて、フライパン一つで何か調理中でしたが、

周囲全体が糞尿の臭いですから、多分、トイレもその周辺で済ませているのでしょう。

劣悪な環境です。

住まいの中に、ぐちゃぐちゃに色々な物を置いてある様子でしたが、

とにかく、どん底の貧しさのようでした。

福祉は全く行き届いていないのがわかりました

観光地の近くに住まいを置いているのも、

裕福な観光客の目に触れるからなのでしょう。

あの幼い子は、この先、あの世界から抜け出す道を見つけられるのだろうか・・・・。

胸が苦しくなりました。

施しが絶対に必要なのは見て取れました。

 

また、旅を続けている間、私はひとつ、

不自然なことに気付いていました。

たまたま一緒の友達がインド生まれだった為、

ツアーなどでは立ち寄り得ないところに

行くことが出来たからかもしれませんが、

毎日動き回っているうちに、

途中からおかしなことに気付き始めたのです・・・。

 

ある観光地で、土産物をしつこく売り込む売り子さん達に混じって、

一人のサリーを着た若い女性がこちらに向かってきました。

だいぶ離れていた時から視界に入って気付いていましたが、

彼女には両腕が・・・肘からすぐ下がないのです

半袖の彼女は、ニヤニヤ笑いながら、私たちにすり寄って来て言いました。

 

HeyLook at me!!!  Look at me!!!”

 

帰路を急いでいた私たちの、進行方向をふさぐように、付いてきます。

「ねえ、私を見て!私を見なさいよ!

私には両腕がないのよ!見えるでしょ?見てよ!

私を見て!ほら、両腕ともないのよ!どう?ないの、両腕がないの!

お金ちょうだい!お金!お金がいるの!

ねえ、私を見てって言ってるでしょ!

私を見て!お金をちょうだい!!!!」

 

貧困と不自由とで、彼女は心もすさんでいるのがみてとれました。

そういう姿を見、そういう思いを聞くのは本当に苦しいことです。

働くことも難しいことでしょう。

健常者には想像を絶する不自由さがあるのは誰しもわかることです。

 

その女性と別れてから、私はインド出身の友人に勇気を持って聞きました

おかしいな、と思い続けていたこと

どうも、これは、ただごとではないと気付き始めていたこと

 

それは・・・・

 

インドに到着してから、その日でもう5~6日過ぎていたのですが、

毎日、必ず、

手や脚を失った方たちと複数回出会うのです。

 

体の不自由な方をクローズアップして、

ここであれこれ言いたいわけではありません。

日本では障害を持った方々が、健常者と交流を持つ機会もあまりありませんし、

そういった方々への支援も、まだまだ相当不十分です。

それだけに、健常者のように自由に外出したりは難しいことがあるでしょう。

なかなか知り合うきっかけもありません。

 

それでも、日本で、ちょっと新宿まで出かけて、

手や脚を失った方と

一日に10人以上もすれ違ったりするでしょうか?

インドでは、両手、あるいは、両脚を失っている方々も、

ちょくちょく見かけるのです。

 

多くが、見ただけで相当な貧困層なのはわかりますし、

施しを求めてきます。

確かに、インド人口が13億人と、日本と比べても莫大な数ですが、

それでも、これほどまでに手や脚を失う怪我が多いのは、どういうことなのか・・・

日本と比較したら、あり得ない頻度での遭遇です。

機械化や、近代化が遅れて、危険な仕事が多いのか

しかし、若い女性にもそういう怪我が多いのは、おかしい・・・

インドでは店舗ですら労働者は男性の方が多いのに、

男性の比率の多そうな、

(体の一部を失うこともあるほどの)危険な肉体労働などに

若い女性などが、そこまで進出しているのだろうか・・・・

色々、自分の中でくすぶっていた疑問です。

でも、もう、聞かずにはいられませんでした。

 

すごく聞き辛い質問なんだけど・・・。」

 

私は、インドに来てから、手脚を失っている人に、あまりにたくさん出会ったこと

それほど危険な仕事をやらされている社会環境があるのか、

思っていた疑問を投げかけました。

 

友人の答えは驚愕の内容でした

 

「これは、私も実際の知り合いがいるわけではないけれど・・・。」

そう切り出した彼女は言いました。

「インドでは、貧困層の両親が、子供が赤ん坊のうちに

手や脚を切ってしまうことがあるらしいの・・・。」

 

え???????

 

「社会福祉が進んでいないから、貧困層は、食べることも出来ないのよ。

体が不自由な人が家族にいると、国から手当てが出るの。

片腕がないよりも、両腕がないと手当てがもっと上がるの。それだけ不自由だから。

その子一人のおかげで家族全員が食べていけるようになるのよ・・・。」

とても切なそうに、悲しそうに、心の優しい友人は告白してくれました。

 

胸が張り裂けそうでした

 

同じ地球に生まれ、同じ時代に生まれ、

しかし、地球のどこかでは

これほどの壮絶な貧困にあえいでいる人達がいるのです。

生きて行くために、心も捨ててしまうしか道がない人達がいるのです。

 

この話が事実ではない、作り話でしょう?と言われても、

もちろんなんのデータもありません。

しかし、友人はとても心優しく、真面目で、努力を重ねてきた聡明な女性です。

ふざけてこういったことを言うことはあり得ません。

彼女にとっても、辛い現実なのです。

 

考えさせられました。

考えて、考えて、考えました。

何が出来るわけでもありませんが、考えました

なぜ、今ここで、私はそういう人々と、そして、こういう現実と

出会ってしまったのだろう・・・・。

 

今日のトピックは、『元気が出る徳子の部屋』の

元気ポリシーに沿っていないかもしれない、

とても悲しい現実のレポートです

しかし、これを聞いて、どうか、

落ち込む材料にしないでいただきたいのです

あなたが暗くなるために、こんな話をしているのではありません

ここから、一緒に、前に進んでいただきたくて上げているトピックです。

 

また、あなたに優しいインド人の友人がいたとしても、

「こんな話を聞いたけど、ホントなの?」

などという、苦しい現実を突きつけないでください

彼にも、彼女にも、すぐにコントロールできない苦しい問題なのです。

 

私は、皆さんにも気付いて戴きたいことがあって、

敢えてこんな苦しいトピックを上げました。

100歩譲って、これがインド全体に知れ渡る庶民のデマだとしても、

こういった話に出会ったと言う事には、意味があるのです

 

たとえ、私たちが今すぐに、そういった人達の救済に動き始めたとしても、

それは微々たる力で、明日にも状況が動く物ではありません

引き潮の海に、バケツで水をまいた程度でしょう。

 

しかし、1つだけ出来ることがあるのです

 

それは、

気付くことです。

 

つまり、

今の自分は、感謝が足りないということに、気付くチャンスを与えて戴いているのです

 

学校に行きたくない子もいるでしょうが、

とりあえず日本にいる私たちは、

教育を平等に受けるチャンスをもらっています。

また、食べ物もなく、やせ細って餓死するような環境にある方は

ほとんどいらっしゃらないでしょう。

さらに、ほんの一部を除いて、私たちは、

屋根のある家で、布団にくるまり、

襲われることにビクビクせずに

平和に眠ることが出来ます

路上で眠る経験など、したことがないでしょう。

日本に住む私たちは、実は、

そこかしこに感謝すべきことがあり

ありがたいことに囲まれているのです

 

あなたの反抗期の子どもが、今日、暴れて、

家じゅうを荒らしたかもしれません。

でも、いつか時がくれば、彼らは気づくのです。

あと何年かすれば、あなたの白髪を抜いてくれるような子に育っているかもしれません。

今、健康で、命あってそこにいてくれることが、

どれだけありがたいことなのか、

私たちは気付かなければいけないのです。

子どもと喧嘩しながら、叱りながら、自分も成長する自由を戴いているのです。

 

職場の上司にとんでもないことを言われたり、

同僚にいやがらせをされている方もいるかもしれません。

それは本当に理不尽で辛いことです。

でも、働く場所があって、あなたは命の糧を得ることが出来ているのです。

どれほどありがたいことでしょう。

辞めたければ、辞める自由もあります。刑罰はありません

覚悟さえきめれば、次の仕事も必ず見つけられます

 

病気がなかなかよくならず、苦しい日々を送っておいでの方がいるかもしれません。

でも、今日も、あなたには、横たわる衛生的なベッドがあり、

屋根のあるところで、危険に身をさらされることなく、一日を終われるのです。

病気なのに、雨に打たれるような惨めな思いはないでしょう。

入院でもされているなら、なおさらラッキーです。

それほど具合の悪い時に、医療のサポートを受けられるのですから。

なんてありがたいことでしょう

感謝は、どんな状況でも見つけ出すことが出来ます。

気付くか、気付かないかの違いだけです

 

今日食べたお米も、

田植えすらしたことがないのに、食べています。

釣りに行ったこともないけれど、が食べられます。

アジフライなんか、骨まで抜いて、売っています。(笑)

は作ったことがないけれど、車でどこにでも行けます

学校も建てたことがないけれど、通って卒業出来ました

自分だけで出来たことなんて、何もないのです。

なのに、私たちは誰にも感謝していないことが多いのです。

 

に、今朝も毒づかれた方がいるかもしれません。

昨夜、と大喧嘩して、まだムカムカして

何かに八つ当たりしたい気分の方もいるかもしれません。

でも、それらは、どこかにまだ解決の糸口があるものです

それは、今夜の食卓での話し合いかもしれませんし、

ちょっとした子供の一言が、情勢を変えることもあるかもしれません。

あるいは、不仲の原因は、

相手に対する感謝に気付くための、試練なのかもしれません

いずれにせよ、

選択の自由による決断も、最後の一手として、まだ残っています。

私たちには、状況を変えられる力があるのです

感謝を見つけるべき環境にあるのです。

 

しかし、選択の自由すらない

どん底を生き抜くしかない人々が、

生涯、這い上がる道すら見つけられないかもしれない人々が、

今、この地球のどこかで、

貧困にあえいでいるのです。

彼らには、自身の力でその現状を変えることが出来ないのです。

 

私たちは、

選択の自由、というものを持っています。

まだ、余地はあるのです

そのありがたさに気付かず、

私たちは日ごろ、不平、不満、愚痴、泣き言を言ってしまいがちです。

 

気付かなければいけないのです

そこかしこに幸せがころがっていることに。

 

これほど近代化が進んでも、まだ地球には、未開の地で原住民のまま

生活をしている人々もいます。

それらを、私たちは報道などで知る機会があります。

貧しい国々の現状も、少しは伝わってきて、知っています。

しかし、それにしても、

同じ時代に、なぜ、そのような人達がいて、格差があるのでしょう?

 

それは、気付きなさい。」と言われているのだと思うのです。

恵まれた環境に囲まれていながら、

マイナス・ポイントばかりを数えがちな私たちに

そこいらじゅうに 感謝 があることに気付きなさい、と、

大いなる何かが、教えてくれているとしか思えないのです。

 

私たちそれぞれ一人の力では、現状をすぐに変えることは出来ません。

それでも、

自分に与えられたものに

今ある物に

感謝することは、すぐに出来ます

それを求められているのだと思うのです。

 

インドの旅を通して、ネット上ではとても話せないようなものも見てきました。

たくさんのことを考えさせられました。

そして、自分を顧みて、たくさん反省する機会を持つことが出来ました。

 

おかげで、ひとつの気付きがありました。

今、自分に与えられた境遇を最大限に生かしながら

感謝して生きて行く・・・

それが、人として生まれてきた意味なのだ、と学ばせてもらったのです。

 

インドは気づきを与えてくれます

旅をすれば、あなたもきっと、何かまた一つ、

学び、成長しながら帰って来られることでしょう。

どうぞ、地球上の自分の知らない世界を知るために、

自分の立ち位置に目覚めるために

一度インドを体験されてみてください。

 

たくさんのことを教えてくれたインド・・・・感謝の気持ちがあふれます。

(また、必ず、ここに来させてね。)

そう思いながら、私は一人、インドを飛び立ちました。

次に来るその時までに

少しでも社会の状況がよくなっていますように

願わずにはいられません。

 

ありがとう、インド。

素晴らしい経験をさせてもらいました。

また会う日まで!!!

 

 

Image: Indira Gandhi International Airpot at Delhi インディラ・ガンディー国際空港(インド・デリー)

 

医者ではなくても、言っちゃいませんか?

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夜中の12時を回り、

あ~、遅くなっちゃった!そろそろ寝なくちゃ!)

なんて思ってる時に、

ポーン!とパソコンに

地球の反対側からメッセージが入ってきます。

 

皮膚炎の写真が何枚も貼り付けられていて、

「うちの8才の息子がこんな状態なんです。

このままで大丈夫なんでしょうか?

ホントに、治るんでしょうか?」

・・・子どものステロイド副作用で、不安が不安を呼び

コントロールがきかなくなり、見ず知らずの私に相談を寄せてきている

私の英語のブログの外国人読者さんの一人です。

もちろん、私は、相手がどなたか知りませんが、

今の時代、SNSで簡単に私を見つけられますから、

切羽詰まり、このような形で、すがってこられる方がたくさんおいでなのです。

 

あるいは、最近、ちょくちょく私に、

ステロイドの副作用について相談してきている、

これまた地球の裏側の、

息子世代の見ず知らずの外国人の青年からのメッセージ。

「僕は、もう、この人生(皮膚炎で仕事も出来ない状態)に耐えられないんだ。

もう、この先、どこまでこの命を維持していけるか自信がない。

もう、死にたいと思っている・・・。」

・・・彼も、限界の状態です。

 

あるいは、ステロイドのひどい離脱作用(使用をやめると起こる、ひどい悪化)で、

全身症状がなかなかよくならず、

心がパニック状態になり、

いつになったら治るのかわからない

この写真を見てほしい(症状の写真付きです)。

トクコよりははるかに軽いけれど、

こんな人生、もう、耐えられない。

あとどのくらいでよくなるだろう?

どうしたらトクコのようにポジティブを維持していられるの?

どうしてジャパニーズはそんなに前向きな考えでいられるの?」

・・・・と言った、メッセージ。

 

まあ、ジャパニーズが全員ポジティブかどうかの部分には目をつぶりながらも、(笑)

相談のメッセージは、次から次へと

世界中から届きます

 

日本人は、空気を読むという独特の習慣があるからか、

遠慮なさっているのもあるようで、

こういう読者さんは比較的少な目ですが、

世界中で、同じようにステロイドの副作用に苦しんでいる患者さんがたくさんいらっしゃるのです。

時には、私のひとつの記事に、

世界中から2~3日で500通以上のメッセージを戴いたりします。

拙ブログに対して、ありがたくも “感謝の言葉” がほとんどですが、

切羽詰まった方々の、緊急を要する、救いを求める声も多々あります。

時には緊急性を感じて、私も寝るどころではなくなります。

「ちょっと待った!早まらないで!」

・・・・嵐のようなチャットが続きます。

 

しかし、こういった皆さんの、

限界まで追い込まれた気持ちは、よ~~~~くわかりますので、

出来るだけ一人一人に、丁寧に励ましのメッセージを送っています。

真剣に、おこがましくも、心から

助けてあげたい!)

と思ってしまいますから。

誰よりも、この病気の不快感や苦痛を知っているつもりです

出来るならなんとかしてあげたい・・・そう、思うのです。

 

しかし、私がせいぜいして差し上げられるのは、

元気づけることくらい。

心からのエールを送るくらいしか出来ないのです。

そして、

「こういう考え方をしてみるのはどうでしょう?」

と、ポジティブな思考への心の持って行き方を提案することくらいです。

外国の方にとっては、私の考え方はかなり(斬新という意味で)新しいらしく、

みなさん、なぜか感激してよろこんでくださいます。

日本人的には、フツーのことしか言っていないのですが・・・。

そもそも、私自身がまだまだ未熟ですからね、(;^_^A たいしたことは言えてません。

 

しかし、

 

これほどまでに、ステロイドの副作用に苦しんでいる世界中の方々と

身近に接しているからこそ、

まず、一言言わせてください。

(言わねばならぬ。お主、止めてくれるな・・・。)

 

私は、医者ではないんですぅ~。(笑)

 

つまり、残念ながら、

安心させてあげるような診断は出来ないのです・・・。

ゴメンナサイ。

キャリアが長いだけに (笑)、写真を見ると、素人目で

(ん~~~、あの状態だな。)

(お~~~・・・これは、今日明日中に、きっと死ぬほど掻き壊すなぁ・・・。)

と、察することは出来るのですが、

医学的なアドバイスは不適切なので、出来ないのです。

写真の症状で、

(それ、もう間もなく、よくなるよ。あと3か月、がんばれ!)

みたくは思っても、そこは言えないのです。

感染などの怖い症状もあるものですから、

プロではない私は、責任をとってあげられないのです。

 

ブラックジャック(マンガ・手塚治虫)や、

白い巨塔(山崎豊子の小説・ドラマ)の財前教授

 

私は、医者だ。」

 

というのは、カッコいいかもしれませんが、徳子が

 

私は医者ではない。」

 

というのは、ある意味、ジワジワ笑えるセリフなだけですよね。ぷぷっ。

だって、私が医者じゃないってのは、相手の方も知っていますから。(笑)

 

しかし、知っていながらもすがりつきたい、

すがりつく人がいない・・・・っていうこの状況、

ホントによくわかります。

心から、なんとかしてあげたい

そして、一言、言いたくなります。

 

「で、医者はなにやってんだ~~~~?」(笑)

 

・・・・ですよね~?(笑)

(下品な言い方ですみません・・・。)

 

これほどステロイド副作用の患者が世界にあふれて、

ステロイドはおかしいと患者側が気付いて、

やめれば実際に恐ろしい副作用が起こって、

多くの患者が、心まで蝕まれている・・・・。

 

なのに、この薬は世界中で溢れ

製薬会社の売れ筋商品として重宝され、

TVでは、陽気なCMが流れ、

気軽にドラッグストアでも手に入り

多くの医師が、これが最高だと妄信し、

処方し続ける。

 

そんなだから、皮膚科医師の多くが、

ステロイド離脱作用を乗り越えるノウハウを知らないのです

せっかく、膨大な皮膚に関する知識をお持ちなのに、

患者がそれを有効利用させてもらえないなんて・・・・。

 

確実に、この先、

副作用患者は世界中で増えて行きます

それでも、まだ、

アトピーの悪化です。」

ちゃんと指示通りステロイドをぬらないからですよ。」

と、診断され続けるのでしょうか?

そこまでアトピー患者は、

指示通りに出来ない、

おバカばかりなのでしょうか。(笑)

指示通りに使ったことで、今、苦しんでいる患者があふれているのです

塗って治るのではなく、

ステロイドを塗ったことで、

皮膚炎が難治化してしまっているのです。

プロトピックネオーラルも同様です。)

なのに、そこに気付いている医師の絶対数が、まだ少なすぎるのです。

 

現在では、プロアクティブ治療なるものも発表されているそうです。

意味がわかる方は一目でぞっとしましたよね?

proactive(プロアクティブ)を辞書で調べてみてください。

 

先を見越した

事前に行動を起こした

先回りした

 

という、形容詞です。

なんと、生後3か月から6か月の赤ちゃんの全身に

ステロイドを1回3g、1日3回入浴後・・・・

などという恐ろしい治療が考案されているそうです。

なんともない赤ちゃんが、予防の為に、

恐ろしい薬を塗り続けなければいけないのでしょうか?

非ステロイド治療の大阪のカリスマ小児科医師・佐藤美津子先生によると、

この量は7日間で5gのチューブ13本

1か月なら50本、という驚異の数字。

 

幼い子が、ステロイドの副作用で地獄の苦しみを味わうなんて、

到底許されることではありません。

子どものアトピーは、

ステロイドを塗らないで放っておけば、治るのですから

 

とにかく、世間一般の気付きが急務なのです。

地球規模での間違った一歩

正す時が来ています。

その為には、まず、一人でも多くの方が 知ること” が大事なのです。

 

今、副作用に苦しんでいる方。

お子さんの症状に苦しんでいる親御さん。

症状がひどく、心を上げることが出来ずに、苦しんでいるあなた。

 

これ以上、こんな苦しみを、他の人に、そして未来に、

見たくも聞きたくもないですよね。

 

ご自身も大変な時だからこそ、

あなたに出来ることを一つだけ、未来の地球市民の為にしてみてください。

それは、

 

知らせる(伝える)ことです

 

皆が知れば、意識は変わってきます

多くの未来の患者が救われるのです。

それは、最初は、

草の根からの小さな運動です。

それでも、変わって行きます

 

竹は、一番下のふしが一番固くなっています。

しかし、そこを突き破れば、

その先は上に行くにつれ、だんだん柔らかくなり、

一番上は、簡単に突き破れるようになっています。

自然界が教えてくれているように、ある時から加速の法則が働くのです

最初はなかなか広まらない

今、私たちはこの段階です。

でも、途中から急激に広まっていくのは間違いありません

その為にも、経験しているあなたの力を生かしていただきたいのです。

 

気付いている医師が少ないのですから、

患者側の立場から、声をあげましょう。

鉄は熱いうちに・・・

今、症状が苦しいあなただからこそ、思いを強く発信できるはずです。

あなたが世間話の中で、話題に、さりげなく (笑) 出すことも効果がありますし、

この拙ブログも、是非、利用していただきたいのです。

 

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これで、世間にこの問題の注目度がアピール出来ます。

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あなたの小さなワンアクションが、未来を救う小さな一歩なのです。

誰かが見てくれようが、見てくれまいが、関係ありません。

同意してくれなくてもいいのです。

いつか、その人にとって理解できる日がくれば、理解してくれます。

ただ、発信し続けて下さい

苦しむ患者さんたちの未来を救う為の、愛の伝言ゲームです。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

 

 

また、この場を通じてではありますが、

読者の皆様には、いつも読んで下さることに、

心より感謝の意を表したいと思います。

莫大なメッセージをSNS 経由でいただいておりますので、

お返事をすぐに出来ないことも多いですが、

必ず、ありがたく読ませていただいております

本当に、ありがとうございます。

 

そして、闘病中の皆さま

 

辛く、苦しい闇の中にいる思いをお察しします。

今は、光すら感じられないかもしれません。

でも、トンネルの先には、必ず光が見えてきますよ

ひとりで暗闇をさまよっていると思わないでください。

少なくとも、私の心はあなたにいつも寄り添っています

見えないけれど、見えないあなたを思うから、

私は発信し続けているんです

あなたは、決して一人ではありませんよ。

 

大丈夫。

大丈夫。

 

心より、感謝と共に、 大丈夫ビーム を皆様に送ります。

そして、あなたは、あなたに出来ること、つまり、

伝えること を粛々と進めながら、

前向きに、一歩一歩、一秒一秒、

よくなる日に近づいていることを感じ取ってください。

今、カチッと動いた秒針は、あなたが治癒に向かっている一秒を目視出来たということですよ。

 

今日も、素晴らしい1日を!

 

北海道 駒ヶ岳

 

 

 

 

インドに行って、人生観を変えてみませんか? - インド紀行 その3(観光地編) (India 3 – Sightseeing Areas)

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インドに旅行・・・・と思った時に、多くの日本人が不安に思うのは衛生面のようです。

正直、私も、マスコミの報道や雑誌などで見る範囲だけの知識で、

先入観バリバリでしたし、ちょっと、いや、かなり心配でした。

 

よい部分はあまり報道されず、

Image: Jodhpur Royal Palace

ハエが顔に止まっても、気にも留めない、

衛生的には見えない水を汲んで飲んでいる、

茶色い川に入ってる、

タバコの火なんか、足の裏の固くなった素足で踏みつぶせる・・・

偏見もたっぶりに、そんなのばかりを見せられ聞かされ、

それをインド人の姿だと信じ込まされてきたからです。

 

他民族の文化を批判するのはよくありませんが、

トイレットペーパーを使わない習慣による、黄金の左手伝説なども、(笑)

日本人的にはちょっと引いてしまうようですね。

人間は皆、同じように排泄しているのに、どうも単一民族の日本人には、馴染み辛い習慣です。

 

Image: Pious Ablution at Ganges River

ガンジス川で沐浴している人たちの横を、遺体が流れていることがある。」

という有名な噂に関しても、私も信じ切っていたので、友人に聞きましたが、

「そういうことが過去に1度でも2度でもあったかどうかは知らないけれど、

日本でもたまたま殺人事件の遺体が見つかることがあるのと同じことよ。」

と聞き、完全なるデマだと知りました。

 

私のインド・デビューは、ありがたいことにインド出身の親友と行くことが出来たため、

ツアーや、ただの個人旅行では味わえない経験をさせてもらえましたし、

日本人だけでは行くこともなかったようなところに足を向けることが出来ました。

行ってみての感想としては、観光客が大勢訪れるような大きな観光地は、

まあ、除菌大国・日本人にも耐えられる範囲に

衛生面・その他も整備されているということです。

誰もが懸念するトイレ環境なども、そういった所では、

さほど心配することはなかったという印象があります。

(もちろんこれは、私の少ない経験による個人的見解です。)

しかし、日本ほどの清潔な環境は世界に類を見ませんので、

同じレベルを期待する場合は、じっとして日本にいましょう。(笑)

 

さて。

ツアーなどでインドに行った時に、観光客がたいてい行くところは、

インド北部にある首都デリーの他にジャイプールアグラというところです。

これらの地域は、地図上で三角形で結ばれるため、

ゴールデン・トライアングルと呼ばれています。

 

観光地編しょっぱなは、まず、

デリー  Delhi ★ からご案内しましょう。

私が最初にインドのファミリーに連れて行ってもらったところは、デリーの

インド門 India Gateです。

India Gate インド門

 

第一次世界大戦のイギリス領インド帝国時代の戦没者・85,000名の慰霊碑で、

一人一人の名前が門に刻まれています。

パリの凱旋門が、実際に近くまで行って見てみると、想像を超えて大きいことに誰もが驚くように、

インド門も同じくらい大きくて立派な門。

灯された火『永遠の火』は絶やされることはありません。

子供たちの定番遠足スポットでもあるそうですよ。

 

公園内は夜でしたが、観光客がいっぱいで、食べ物や飲み物のカート式屋台もたくさん出ていました。

夜にきらきらと蛍光色で光る、夜店によくある

子供のおもちゃブレスレットを売っている人たちもたくさんいました。

友人とそのファミリーが皆、光る悪魔の耳のようなヘアバンドを

歩き回っている売り子さんから買っていたので、

「似合ってるよ~!そういうのが好きだった?」

と、聞くと、実は、全くほしかったわけではないとのこと。

・・・・・買ってあげたのです

貧しい少年少女が賑わう公園で売り歩いているのを、あえて富裕層側が買ってあげるようです。

 

確かに、見ただけで貧しさが伝わってくる家族、

あるいは子供だけのグループ

必死に観光客に声をかけて、粗末な土産品を売ったりしているのです。

蛍光アクセサリーならまだしも、

普通の感覚ではお金を払って買うようなものでない粗末な手作り品

商品として、すがるような目で売りに来る子もいました。

私たちが日本で何か商品を購入し、家で開けた時に、

必ずそのままごみ箱に捨てる付属品の様なもので作っていたものもありました。

 

彼らは、買ってほしい、と、次々と寄って来ますが、相当な数の売り子が行き交っているため、

買う側としても、すべてに対応できるものではありません。

意図的に、そういった人々の動きに目をそらしながら公園を後にしました。

 

公園の周りの道路にも、アイスキャンディーインドのスナックのカートが出ていたり、

全体的には、とても楽しい雰囲気で盛り上がっていました。

Image: Pani Puri  インドの屋台などで定番のおやつパニプリ。中は空洞で、おいしいソースをつけて戴きます。日本の焼きそば的ポジションかも。

Image こういうカートの屋台がたくさん出ています

 

デリーは観光が盛んな地域ですし、都会です。地下鉄も網羅されています。

その他の交通機関はタクシーの他に、バス、オートリクシャーサイクルリクシャーがあります。

メーター付きもありますが、ほとんどが料金交渉制。

 

Images:  Auto Rickshaw and Cycle Rickshaw

 

 

デリーはオールドデリーニューデリーサウスデリーのエリアにわかれていて、

いくつもの世界遺産があります。

クトゥブ・ミナール Qutb Minar もそのひとつ。

Qutb Minar クトゥブ・ミナール

 

奴隷王朝の初代皇帝が、初のイスラム王朝成立を記念して造った物で、

ヒンズー寺院を破壊した石材で作られたそうです。

13~14世紀にかけて作られたものですが、72.5mもあるそうですよ。

以前は上に上れたらしく、随分自殺もあったとか。

敷地内には、他にもいろいろな建造物があり、何世紀にもわたる歴史が残っているのがロマンを感じさせます。

Qutb Minar: This was made from the 14th to the 16th centuries.  You can see various kinds of architecture including remains of the oldest mosque in India.

 

↓ 12世紀に作られたインド最古のモスクの跡も現存していて、柱の一本一本の彫刻など、近くで見ると見事です。  

Images:  Quwwat-ul-Isram Masjid  クワットアル・イスラム・マスジッド 

↓ クトゥブ・ミナールの2倍の大きさの塔を作ろうとした皇帝がいましたが、暗殺されて未完のまま。

This was supposed to be bigger than Qutb Minar but the emperor who planned it was assassinated in the middle of it.

 

 

フマユーン廟 Humayun’s Tomb

も必ず訪れる所です。↓

有名なタージ・マハールの原型だそうですよ。確かに、形が似てますね。

16世紀のもので、ムガール帝国(←世界史で習いましたね!役に立たない知識ですが、懐かしい。)2代目皇帝のお墓。

インドイスラム建築の最高傑作だそうですが、

今どきの若者には、ムガール帝国2代目とかよりも

3代目J Soul Brothers の方がよっぽど興味ありますね。

Image:  Humayun’s Tomb  フマユーン廟 This was made in Mughal Empire era, the 16th Century.

 

中の歩き回れるところの床に、いくつも棺が固定されてありました。ぎょぎょっ。

その時は、なんとも違和感でしたが、たまたま先日、テレビでインドのレポートを観たところ、

ある街で、もともと棺のあった場所に、棺を残したままコーヒーショップを作ったら、

そこがパワースポットとしてすごい人気があって繁盛している・・・というものでした。

テーブルの隣の床に棺、棺、棺。その横で楽しく談笑。

あり、なんです。

なんか、納得。(笑)

 

 

そして、お次は、オールドデリーにある、

ラール・キラー(レッド・フォート)Lal Qila (Red Fort) 。

赤い城と呼ばれています。

タージ・マハルを築いたムガール帝国5代目、シャー・ジャハーンが作らせたそうですよ。

名前だけは知っていましたが、すごい力のあった方なのですね。

 

Image:  Lal Qila (Red Fort)  ラール・キラー(レッド・フォート)This was made in Mughal Empire era, the 17th Century.

 

こちらは皇帝と一般市民の謁見の間 ☟

Image:  Red Fort   Diwan-i-Aam Lal Qila Monuments ラール・キラー (ディワニ・アーム)

 

 

ガイドブックなどにほとんど載っていなくて、私が気に入ったのは、

世界最大のヒンズー教寺院アークシャルダーム寺院

(スワーミーナーラーヤン アークシャルダーム)

Swaminarayan Akshardham

これ、ヒンズー教のテーマパークみたくなっているんです。

ある意味、宗教を広める新しい形です。

しかも、入場無料!

ここは、スゴイ!そもそも、興奮するほど、建物が美しいったらないんです。

下の写真、是非、拡大してみてください。彫刻、ブッたまげです。

Image: Swaminarayan Akshardham at New Delhi (スワーミーナーラーヤン アークシャルダーム)  This temple is admission free because it is a temple but has attractions like Disneyland.  This is a must-see in Delhi.

 

ディズニーランドみたく、カリブの海賊のアトラクションの様な船に乗りながら、

インドの歴史を見たり、

ご祭神のスーワーミーナーラーヤン(長っ。)の生涯を動く人形ジオラマで表現していたり、

映画ありぃの、

光と噴水のショーありぃの、

レストランありぃの。(フードコートちっくですが、マジ、ここの食べ物はおいしかった!)

で、お寺なので、再度言いますが、入場無料!ですよ?(笑)

Image: Swaminarayan Akshardham at New Delhi (スワーミーナーラーヤン アークシャルダーム)  The architecture and carving are amazing!  You’ll be surprised to see 240,000 sq meters land and various kinds of entertainments.    I thought this was a new kind of missionary way.

Image: Swaminarayan Akshardham at New Delhi (スワーミーナーラーヤン アークシャルダーム)

Image: Swaminarayan Akshardham at New Delhi (スワーミーナーラーヤン アークシャルダーム)

 

お寺で噴水ショーなんて、昔なら誰が考えたでしょう?

音楽と、光と・・・。素晴らしい演出です。

Image: Swaminarayan Akshardham at New Delhi (スワーミーナーラーヤン アークシャルダーム)

天井の大理石の彫刻や、屋内の絢爛豪華な装飾も見事。

ただただ、スゴイ!

Image: Ceiling in Swaminarayan Akshardham at New Delhi 天井彫刻 (スワーミーナーラーヤン アークシャルダーム)

 

ただし、ここは、撮影禁止なんです・・・・。

ていうか、昨今のテロなどを懸念して、

入場時はお財布の様な貴重品以外、全て預けます

私の場合、日本人ですので、お財布と、

お手洗いにペーパーがないことに備えて常にティッシュ

バッグとかカメラとか、一切、持ち込めません

X線検査もありますので、隠しカメラも携帯も無理ですよ。

でも、写真に撮りたくてたまらないほど、建物から何から美しかった~~~~!

(施設の写真はお土産屋さんで買えるので、記念にどうぞ。)

特に、建物の彫刻は圧巻

近くで見ると圧倒される迫力です。

昔だったら何百年もかかったであろうと思われる彫刻のある建物を

砂岩や大理石などを使った石造りで、鉄やコンクリートを一切使わず、5年間で作り上げたそうです。

敷地は24万㎡あるそうですが、数字に疎い私は、ただ、デカかった・・・としか言えません。

地下鉄駅からも近いので、是非、立ち寄るといいと思います。

 

デリーではこの他に、

インド最大級のモスクジャマ―・マスジッド Jama Majid

ガンジーの慰霊碑の立つラージ・ガート Raj Ghat

4つほどある大きな市場(マーケット、バザール)の散策など、

見るところがたくさんあります。長い歴史を感じられるところが満載ですよ。

 

 

さて、次はトライアングルの二つ目、ラジャスタン州、

★ジャイプール Jaipur ★ 

のご紹介です。

私はデリーから友人とタクシーを1泊2日でチャーターして、

ゴールデン・トライアングルジャイプールアグラを周ることにしました。

タクシーは、エアコンありor なし、で選び、値段も違います。

早朝の暗いうちから出発して一気に飛ばして行きました。

電車やバスだとデリーから5~6時間もかかる距離です。

(南西へ260km。飛行機だと1時間です。)

 

目的地は主要観光地ですから、長旅の途中、

何カ所も車の休憩所があります。

しかし・・・

トイレ休憩も含め、私たちは最初の目的地に着くまで、一度も車から降りませんでした

 

各ドライブインには、トラックなどのたくさんの車に混じって、ラクダも少し、

そしてたくさんの人・人・人。

休憩する人の為に、食べ物や飲み物を売っているお店があります。レストランもあるようです。

皆、路上に座ったり、店の前にたむろしたり、思い思いに休憩をとっています。

当然、お手洗い休憩もとれるでしょう。

しかし、

非常に偏見に満ちた見解で、

言及するのもインドの方に申し訳ないのですが、

正直、なんとも入って行けないような雰囲気があるのです。

インド独特の、雑然とした空間。

崩れかけたように見える立ち並ぶ店舗。

決して人種差別をしているつもりはありませんし、

某大国のスラム街などと違って、普通に安全なところのはずなのですが、

日本の戦後の混沌を思わせる、異次元のような空気を感じ、

ツッコミ精神の私でも、さすがに入ろうと思えませんでした。

で、トイレ休憩もなし。

Image この写真は、本文と関係ありません

 

長い距離ですから、どこか途中に入りやすそうな近代的な建物の休憩所があるかも・・・・

と田舎の大地を走りながら、淡い期待をしましたが、

たくさんある休憩所は、どれも同じ雰囲気を醸し出し、

やはり、(無理・・・・だわ。)

本当に申し訳ないけれど、そう思いました。

 

 

そしてついに、最初の目的地、アンベール城 Amber Fort  到着!

デリー出発から約5時間後でした。

イメージとしては、あの映画『インディー・ジョーンズ II・魔宮の伝説 』の魔宮そのもの。

Amber Fort at Jaipur: You can imagine as if Indiana Jones is there. It looks like ‘The Temple of Doom’ in the movie.

 

ここは象のタクシーが有名で、小高い丘の上にあるお城まで象に乗って行けます。

Image: Elephant Taxi at Amber Fort アンベール・フォートの象のタクシー

 

象の背中に乗って上に向かっている途中、丘の途中で待機していたカメラマンが、

「こっち向いて!お願いだから!こっち向いて!!」

と、必死に追いかけながら撮影。

帰りに出来上がった写真を売りに来ましたが、なかなかバックの景色もきれいでよい写真でした。

しかし、登る途中のその反対側では、一番下から上のお城に着くまで、

木彫りの象の民芸品を売る青年が、ずっと諦めることなく山登り状態なのに付いて来て、大声で

「この木彫りはすごくいいよ!買ってくれ!お願いだ!あなたには安いはずだ!買ってくれ!

いいね?3つセットだ!お土産によろこばれる!僕が作ったんだ!頼むから買ってくれ!」

と、あり得ない執念でセールスをし続けました。

こう言っちゃ申し訳ないけれど、相当うるさかったです(笑)。

お蔭で途中ののどかな雰囲気と景色を楽しむという部分はぶち壊し。(笑)

それくらい必死のセールスでした。

 

Image:  Amber Fort at Jaipur   どうです?ほんとにインディー・ジョーンズが出てきそうでしょう?

 

で、頂上について、トイレタイム!!!

ここでインドに来て初めて、洋式トイレでないものに遭遇したのですが・・・

昔のお城ですから、その辺も改築がむずかしいのでしょうかね。

トイレは、浅い斜めの板でした。(笑)

そして、一番先端に、直径3cmくらいの穴が開いているだけ。

 

ここで、誰もが知りたい(?)インド・トイレ事情です。(笑)

昔ながらのトイレは、個室に水の入った大~きな桶が必ずあるようです。

ちょっと進化して、今どきはトイレの横に水道の蛇口がついています。

そして、必ず置いてあるのが、計量カップを大きくしたようなプラスチックのカップ

色々な色があります。

これを右手に持ち、水を汲み、黄金の左手でキレイにする・・・・ようです。

さらに進化した最近のトイレでは、シャワーのような伸ばせるノズルがついています。

ショッピング・モールや空港などの近代的な建物では、

そのシャワーもついていますが、トイレットペーパーも設置してありました。

安心してください。(笑)

ただし、そのカップをお店で見かけても、お土産にはしないでくださいね。

日本人なら、デカめの飲み物用カップだと思いますから、

普通に使っているのを見られた日には、インド人びっくり、です。(笑)

 

話しは戻りますが、トイレから出てくると、トイレに立っている係りのおばちゃまが、

ポンプ式の香りの強いゲル状液体石鹸を持っていて、

ビュッと一人一人の手に乗せてくれます。

(親切だな。)と思ったけれど、

そうか、ここは、インド。

不浄の手はキレイ~~~にしないといけないので、強力な石鹸は必須だったのです。

 

 

次はまた車で移動して、湖の中に浮かぶ 水の宮殿 Jal Mahal

ここでも、写真を撮ろうとすると、サリーを着た女性たちが

急いで集まって来て、無理やり写真に入ってきます

結構だと言っても映り込みます。(笑)

そして、シャッターを押し終わると、手を出してお金を要求・・・。

Jal Mahal 水の宮殿

 

 

次は街なかに向かいました。

砂漠のラジャスタン州にあるジャイプールの旧市街は、

高さ6m、全長10kmのピンクの城壁に囲まれていて、

別名ピンク・シティと呼ばれている古都です。

街並みもピンクなんです。

Image: The old city area at Jaipur. It is called ‘Pink City’. Originally, buildings are made with read sand stone but everything was painted to pink welcoming the Prince of Wales in the 19th century.

 

なんともエキゾチックなメインストリートは人や車でごった返していますが、

路上にも野菜などを広げて売っている人達がいっぱい。

荷物を引くラクダも見かけます。

Image: the old city area at Jaipur

Image: Old City at Jaipur ジャイプール旧市街ピンクシティー。車道と歩道はきちんと分かれているのですが、イメージとしてはご覧の通りのこんな感じで、昼間はごちゃごちゃに人が行き交っています。

 

この街は19世紀に英国ヴィクトリア女王の息子の訪問を歓迎するために、

建物をピンクに塗り替えたそうですよ。

赤砂岩なので、赤錆色に近いピンクですが、ピンクっちゃあ、ピンクかな。

 

 

この街で食事に入った店で飲んだチャイは、人生で一番おいしいチャイでした。

カルダモンというスパイスが ‘がっつり’ 利いている、という感じ。

ほめまくったら、お店にいた日本好きのインド人に、もう一杯ごちそうしてもらってしまいました♪ 

旅の喜び。しかも、日本の渋谷で教わったと言う日本の歌を一曲歌ってくれましたよ。

『ハトポッポ』。

オトナが歌うと、なんともおかしくて爆笑。

教えた日本人は、なぜ、この曲を選曲したのでしょうね。(笑)

 

 

ジャイプールで有名なのは

ハワー・マハル『風の宮殿』Hawa Mahalです ☟。

昔、宮中の女性は、外に姿を見せることを禁じられていた為、この宮殿が作られ、

その風通しのよい小部屋から外の様子を眺めたとのこと。

Image: Hawa Mahal (The Palace of Winds) at Jaipur ハワー・マハル (風の宮殿)Women in the palace were not authorized to go out so they looked outside from these windows.  They say this architecture is well-ventilated so this is called the Palace of Winds.

Image:  Hawa Mahal at Jaipur 近くで見ると、彫刻の施されたテラスが美しいです

 

 

こちらはシティー・パレス The City Palace。☟

歴代マハラジャが住む王宮です。

現在も、マハラジャの子孫が住んでいるそうですよ。一部、博物館として公開されています。

先にご紹介した風の宮殿(ハワー・マハル)地下通路でつながっています。

Image: The city palace Maharaja’s descendents still have been living in the palace.  It is shown as a museum to the public partially.

 

中庭みたいなところに入れます。

Chandra Mahal, the City Palace, Jaipur India

 

これまた、インドによくある謁見の間、ディワーネ・カースです。

Image: The City Palace at Jaipur

 

中は、こんな感じ。中、と言っても、外からスカスカ。

Image: The City Palace at Japur India

 

ここには、世界一大きな銀の壺が二つあります。

マハラジャが渡英する時に、この壺に聖なるガンジス川の水を入れて持って行ったそうです。

The biggest silver pot in the world at the City Palace.

 

 

ジャイプールでは、

ジャンタル・マンタル天文台 Jantar Manter

も、世界遺産に指定されているので、お見逃しなく。 

マハラジャは、これで太陽の位置を計測し、暦を作ったり、天気予測をしたりしたそうですよ。

Image:  Jantar Manter, The Astronomical Observatory at Jaipur

 

 

ここでの夕飯は、予約して娯楽施設で食べることにしました。

その名も、チョキダニ リゾート Chokhi Dhani

ジャイプール郊外の民俗村です。

ここが楽しかった!

インドの古い村を再現したテーマパークなんです。

レストランはいくつかあって、昔ながらの、葉っぱに料理を盛るスタイルだったり、

ガーデン・テラスで食べられるビュッフェだったり、バーベキューだったり。

私たちは、王族の料理を選択。

(さすが、高貴なわたしたち)(笑)

最近では日本でもよく見かけますが、

金属の銀色の大きな丸いプレートに、

いくつも小さな銀色の丸い小鉢タリーが乗っていて、

たくさんの種類の料理を楽しめるマハラジャ式。

マハラジャが舞い踊る踊り子を見ながら

こうやって贅沢に食事をしたのかな~~~、

というのを味わえます。

 

テーマパークなので、色々なショーもやっているし、

伝統的な人形劇

昔の道具の展示、

ラクダに乗る経験、

昔の住まいの様子

伝統的住居

一昔前くらいの遊園地の再現など・・・・

もっと早く行って見て回ればよかったと思ったくらいです。

外国人の私としては、どれも珍しいですから。

 

特に、一昔前の観覧車再現は、

Image: Chokhi Dhani Resort

1960年代以前のアメリカ映画で見るような低いやつなのですが、

これがまた、

ジェットコースター?」

と、言いたくなるくらい、速い。(笑)

ビュンビュン回って、観覧車の優雅さはいずこへ。

しかも、屋根も壁もないスカスカですから、

(マジ、これ、安全なんですか~~~~~?)

という思いが、爆笑を誘いました。

でも、スピーディに周りながら、

テーマパークの綺麗な夜景を高い所から見て、

やっぱり気持ちは優雅だったかも~。(笑)

速いので、風が気持ちよかったです。

 

この日に泊ったホテルは、ネットで友人が予約してくれたのですが、

写真は豪華。そして、名前が特に豪華 (笑)。

世界の一流ホテルの名前を二つくっつけたような名前です。

ところが・・・・

実際とのギャップに、爆笑できるほどでした。

立地は、ごちゃごちゃした街並みの中な上に、

シャワー室(4畳半くらいの広さ)の排水は全く流れないわ、

輝いているはずの外観は場末の旅館チックだわ・・・・。

そのギャップは、歴史に残るホテルでした!!!(笑)

ある意味、忘れられないホテルって、いい思い出ってことですよね。

 

 

翌朝はまた早起きして、トライアングルの3つ目、

いよいよ★アグラ Agra ★へ。

ムガール帝国の栄華を物語る街であり、

あの、タージ・マハルのある街ですから、旅行者の誰もが立ち寄るようです。

デリーから200kmほど南下した位置にあります。

 

 

まず、世界遺産、

ファーテープル・シークリー  Fatehpur Sikri

に向かいました。

Image: The palace area at Fatehpur Sikri ファーテープル・シークリ宮殿地区

 

 

ムガール王朝3代皇帝アクバルは、

敬愛する聖人に、待望の世継ぎの誕生を予言され、それが的中したため、

聖人の住むアグラに遷都しました。それがここ。

 

それにしても、インドはヒンズー教” って、

誰しもかつて暗記したにもかかわらず、

テレビなどで知るインドは、

“アラジン” で見るような、

やたらイスラムちっくな建物があちこちにありますよね

(インドの建物って、アラブの建物と似てるな。)

って思ったことありませんか?

 

実は、ムガール帝国の支配層はイスラム系が多かったため、

旧勢力のヒンズー教徒との融和を考えなければなりませんでした。

そこで、イスラム建築ヒンズー建築を融合させるという柔軟な対応を図ったのが、

このファーテープル・シークリだったようです。

その為ここは、両方の様式を融合させた、

デカイ宮廷地区モスク地区からなります。

そっか~、そういう歴史から、インドにはアラブっぽい建物がいっぱいあるのか~、と納得。

世界史では教わらなかったぞぉ~。

 

Image: The palace area at Fatehpur Sikri ファーテープル・シークリ宮殿地区 (イスラム建築とヒンズー建築が融合されている珍しい建築法だそうですよ。)

 

5重の塔ですが、王はこの一番上から、中庭に刻まれたマス目に人を駒に見立てて立たせ

チェスを楽しんだそうですよ。スケール、デカっ。(笑)

Image: Panch Mahal パーンチ・マハル  The Emperor enjoyed chess from the 5th floor using human beings as pieces.

 

ファーテープル・シークリの見どころは、これ ☟ だそうです。

スゴイ彫刻ですが、玉座なんです。

つまり、下々の者は、この上に座った王を仰ぎ見る形になります。

Image: The throne at Fatehpur Sikri ファーテープル・シークリ 玉座

 

宮廷内のモスク地区も広いですよ。

Image: The Mosque area at Fatehpur Sikri モスク地区

 

(何世紀も前に、人々がここを行き交っていたんだ・・・。)

と、思うと、なんだか感動。

タイムマシーンって、実現できてるんじゃないかな、って思ってしまう。

Image:  Mosque area at Fatehpur Sikri モスク地区

 

回廊も、近くで見ると、凝った作りなのがわかります。

Image: The corridor at Fatehpur Sikri

 

栄華を極めながらも、この地は水源確保が難しく、たった14年で役目を終えたとか。

そのため、保存状態はすごくいいそうです。

 

 

次は、スィカンドラー Sikandra という、

第2代皇帝の廟(びょう)。

Image: Sikandra, the 2nd Emperor’s tomb  スィカンドラー

Image: Sikandra スィカンドラー

 

 

そして、いよいよ、旅のクライマックス、

タージ・マハル Taj Mahal に到着です。

さすがに大行列。

(わ~~~、並ぶなあ・・・。)

と、思っていると、公式ガイドの名札を付けた男性が

無料でガイドツアーをしてくださると声をかけてきました。

しかも、ガイド付きだと、並ばずにファスト・レーンから入って行けるとのこと。

しかも、写真撮影まで手伝ってくれました~。いいことづくめ。

美人に生まれてよかった~~~♪ (←ウソです。)

 

さて。まず、入口からアーチ越しに見ると・・・・

Image: Taj Mahal

 

 

~~~~~~おぅ・・・・・。)

と、急に英語圏の人になったようなため息を漏らします。(笑)

白亜の大霊廟。

確かに、美しい。圧巻。

総白大理石ですよ。この迫力はとにかく圧倒的です。

 

この真ん中に立って一人で写真を撮るのは、結構ポジションの奪い合いになるんですよ。(笑)

いつも思うのですが、どこに行っても某アジアの大国の旅行者が大勢いますが、

彼らは写真が大好きで、必ず人気のスポットで、しばらく独占状態になり、

芸能人と同じような究極の陶酔ポーズで撮りまくってます。(笑) 皆、ポーズ 作りがうまい。(笑)

こんな時、日本人の「お先にどうぞ。」の精神は、海外ではちょっと素敵です。

Image: Taj Mahal タージ・マハル 1653年完成  It took for 22 years to build this.  Made by the 5th emperor of Mughar Empire, Shah Jahan

 

タージ・マハルは、

もう何度も名前の出ているムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハンが、

17世紀に22年の歳月をかけて作ったそうです。

亡くなった最愛の王妃の為に建てた霊廟なんです。相当な愛妻家だったのですね。

 

中にも入れますが、全員、ビニール袋の様な靴カバーを履いて入ります。

中は絢爛豪華、贅を尽くしまくり。

世界でもトップクラスに入る美しい建築だと思います。

行く価値、絶対にあり!!!

周りに立つ4本の柱ミナレットは、中央ドームとバランスを取るために

やや内側向きの斜めに建っているそうですよ。

しかも、それは、落雷防止にも役立っているそうです。あったまいい~~~。

 

しかし、3万人近い職人を使い、膨大な国家財産をかけたために、

建設後、シャー・ジャハンは息子によりアグラ城幽閉されました

その幽閉された部屋越しに見えるタージ・マハルを、

亡くなるまでの7年間、亡き妻を思いながら毎日眺め続けたそうです。

結構、ロマンチック?

 

 

次は、その、シャー・ジャハンが幽閉された

アグラ城 Agra Fort です。

 

こちらはムガール帝国第3代皇帝アクバルによって建設されました。

入場口からの姿が迫力。

Image: Amar Singh Gate to Agra Fort アグラ城 アマル・シン・ゲート

 

入ると間もなく、ジャンハンギール宮殿

Jehangir’s Place, built by Akbar for his son Jehangir. In front is Hauz-i-Jehangir, a huge bowl carved out of a single block of stone, possibly used for bathing.  アグラ城・ジャハンギール宮殿

 

お次は、シャー・ジャハンが建てた、総大理石特別謁見の間、ディワニ・カース 

シャー・ジャハンさん、白大理石がお好きのようですね。

でも、自分の没後は、妻の廟タージ・マハルの隣に、

黒大理石で自分の廟を作る予定だったようですよ。

贅沢しすぎで、その案は、ボツ。

 

そして、これが、シャー・ジャハンの幽閉された部屋、ムサンマン・ブルジュ

Image: View from Musamman Burj to Taj Mahal at Agra Fort アグラ城 ムサンマン・ブルジュから見るタージ・マハル

 

写真の真ん中よりやや左より遠方に、微かに、タージ・マハルが見えています。

この窓から、シャー・ジャハンは、亡き妻を思い、タージ・マハールを見続け、生涯を閉じたのです。

その全く同じ景色を、今もこうして見ることができる・・・・やはり、タイムマシーンはあるんだ・・・・。

そんなロマンを感じてしまいます。

 

さて、次は完結編のインド紀行その4です。

最終章では、インドへの旅が、

多くの人々の人生観を変えてしまうほどの謎

を紐解いていきます。

お楽しみに!

 

 

インドに行って、人生観を変えてみませんか? - インド紀行・その2(食べ物・生活編) (India 2 – Food & Life)

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さてさて。

インド紀行第二弾は “食べ物・生活編” です。

前回のポストをご覧になっていない方は、そちらも是非。

       ☟ 第一弾はこちら。☟

 

インドに行って、人生観を変えてみませんか? - インド紀行・その1 (India 1)

 

今回は、インドでの食べ物、生活などのレポートです。

 

だいたいほとんどの皆さんからの質問は

食べ物は毎日カレー?」

です。(笑)

はい、まあ、3食インド料理なのは間違いありません。

日本人のように、ある時はイタリアン、ある時は中華、ちょっと凝っちゃって今日はタイ料理・・・・

そんな習慣はあちらにはありません。

ただ、どうも日本人のイメージしている、玉ねぎと人参とジャガイモに肉などを入れた、

ドロっとしたルーのあの定番カレーは、=インド料理・・・ではないのです。

ご存知の方も多いように、あれは日本風にアレンジされたカレーなんです。

あれが毎日だったら、結構カレー好きでも拷問になるやもしれません。

実は、インド料理はそれとはかなり違って、すごいバラエティーに富んでいるんです。

 

近頃は日本でもインドレストランが増えましたよね。

長男が幼い頃は、まだ数少なかったのですが、

我が家は昔から日本のインド料理レストランが好きでした。

当時、長男は、抱っこされてタンドール(釜)をのぞくのが大好きで、

インド人シェフが “ナン” をパシッとタンドールの壁に貼り付ける見せ場は、

彼の興奮が最高調になるところです。

そんなパフォーマンスも大好きで、ちょくちょく食べ歩きしていました。

ある時、新宿の初めてのインド料理屋さんに行き、

彼が、たどたどしい日本語で

「うんとねっ、タンドーリ・チキンと~、ナンと~、あと、ラッシーくだしゃい。」

と、通のようにオーダーをした時、

インド人の従業員さんの表情がみるみるとろけるのがわかりました。(笑)

やっとしゃべれるような幼い子の口から、インドの料理名が次々出てきたことに感激されたのです。

厨房に戻ったウェイターさんが、シェフたちにこちらを見ながらニコニコ何かを説明していると思ったら、

その後、サービスで、何種類もの甘いインドのデザートを無料で出して下さった・・・ということがありました。

たったこれだけのことでインド人従業員の皆さんのとろけるような優しい視線を四方八方から感じ

全員に見守られながら (笑)、無料のおいしいデザートを戴く、

という恩恵を授かった・・・そんな思い出があります。

それくらい、インド料理は(ちょっと前までは)日本人に知れ渡っていなかったようです。

 

     

現在の日本では、どこにでもインド料理レストランはありますし、

ナンも給食で出たりするほど広まりましたよね。

30年そこそこの短期間で、ものすごい躍進です

インド人の世界へのビジネス進出は目を見張るものがありますね。

今や、上記の料理名などは日本人の誰もが知っていますが、

それでも、チャイや、(インドでも最近流行の)バターチキンや、チーズナンなどを知っているだけでは、

インド料理は語れないのですよー!

(知ったか徳子、誇らしげ~~~。) 

インドには、本当~~~に、いろいろなインド料理があります。

本家本元を甘く見てはいけません。(笑)

日本料理が数え切れないほどあるように、

インドでも、数え切れないインド料理があります

炒めたり、煮たり、焼いたり・・・・

いずれにせよ、カレー味  (◞‸◟)・・・

というのが日本人にはわかりやすい説明になってしまいますが、(笑)

日本人の言う “カレー味” 自体が、インドでは一種類ではないのです

毎日 ‘3食’ 食べても、全く、飽きません

 

  

Images  <順に、ターメリック・コリアンダー・クミンシードとクミンパウダー>

 

あの黄色い色を出す、ターメリック(=ウコン)や、

チリ(唐辛子。インドのチリは日本のより辛いです。)、

コリアンダー(今や日本ではタイ式にパクチーと呼んで、大ブームですね。

中国では香菜・シャンツァイと呼びますね。英語ではシラントローともよく呼びます。)、

クミンシード・・・などをメインに、スパイスを必ずあれこれ入れるので、

出来上がりが、やはりインド料理としか呼べない独特の物になります。

 

一般家庭では、実はナンは作りません。

専門のところで焼いてもらって食べるそうです。

そらそうですよね。

各家庭に400℃以上にもなるタンドールという釜があったのでは

管理もタイヘンです。

家庭の主婦が皆、灼熱のタンドールに手を入れてナンを焼いたのでは、

プロを一切立てない職人芸になってしまいますよね。(笑)

主食は薄い固めのトルティーヤ風パンをフライパンで一枚一枚焼いて温かいうちに食べたり、

(焼いたものは冷めないように、“おひつ”のような入れ物に入れています。

“おひつ”がなんだかわかった方、あなたに歴史あり!)

日本で言うパンとは全く違う様相の穀類ばかりですが、

日本的な食パンを食べることもあります。

(あの四角い食パンは日本的なパンなのですよー。お気付きでしたか?)

      

親友のお母様が料理上手で、外食時以外は、毎日おいしいインド家庭料理を作ってくれました。

ちなみに、友人の家庭では、辛い料理は一度も出ませんでした

これも、当たり前と言えば当たり前を勘違いしていましたが、

辛い料理を好む、好まないは家庭によるそうです。

インド料理=辛い・・・という常識は覆されました

とにかく野菜をいろんな方法で調理し、いろいろなスパイスで味付けしています。

本場ですから、マジ、おいしいんです。

全部写真に撮ってくればよかった・・・と、今更ちょっとザンネンですが、

楽しい食事中に、撮影しまくりは失礼な気がしてやめました。

だって、どれもこれも新しくて、全部撮影になってしまいますから。

(・・・それでも、執念でビデオは撮りました!結局。)

料理と、スープと、デザートと・・・・

そして、食後に必ず入れてくれるミルクティーは最高においしかったです。

学生時代に、東インド会社(アジア貿易の独占権を持っていた勅許会社)のことを習いましたよね。

あの輸出入の歴史の恩恵に、実際インドに行って授かれるとは思いませんでした。

とっても紅茶がおいしい国なんです。

 

お茶の時に、あちらのお父様が、

「これは確か、日本のものだよ。」

と見せてくださったコーヒーカップとソーサーを見て、キャ~~~ッ♪ と声をあげました。

「それ!!!!オキュパイド・ジャパンの陶器ですよね~~~!」

アメリカの占領下だったころの日本では、輸出用に作った製品に、

“オキュパイド・ジャパン”(占領下日本)と刻印するよう、

GHQから命じられていました。

アメリカ人でコレクターの人たちに会ったことがあるので、たまたま知っていただけに、感激。

遥か遠くの東の国から、何十年も前に船で時間をかけて輸出されたであろう陶器が、

インドの一家庭の食器棚にあるとは・・・・。

想像力が膨らみます。

ただし、わたしは、決して戦時中を生き抜いたグループではありませんからね。ブツブツ。(笑)

 

インドでは、ベジタリアンのファミリーが結構多いようで、

友人の実家もベジタリアンですが、

肉好きな人でも物足りなくありません

代替の野菜のハンバーグみたいのがあったりで、全然満ち足りるんです。

 

親戚一同が集まって、歓迎のパーティーを開いてくれた時は、

早くから女性たちが集まって、居間で会話を楽しみながら、

大量のオクラを丁寧にナイフで下ごしらえしたり、

豊富な野菜を切ったり、和えたりしていました。

そして、それらをスパイスで炒めたり、煮たりしながらどんどん出来上がるパーティー料理。

目を見張るような、おいしくて珍しいインド料理ばかりでした。

ここでも辛い料理は一個もなし

 

   

Images

 

みなさんフレンドリーで、世界の料理に興味のある私が、おいしそうに頬張っていると、

「徳子!必ず、私の家にも寄って!XX地方の珍しい料理も味わうべきよ!

絶対に、立ち寄って!すごくおいしいんだから ♪」

とたくさん声をかけてくれました。

昔から私は、食事中に、よく人から

おいしそう~~~に食べてるね~~~。」

と言われます。(笑)

この時も、ハムスターみたいに、

ほっぺたが膨らんでいたのかもしれません。

思わず誘いたくなる食べっぷりなのでしょうね。

もっと日程をとれたのなら、

是非とも各地方の料理も味わいたかったほど、

毎日の料理がおいしかったです。

肉好きの私が(あ、野菜も大好きですよ。)、一度も肉を食べたいとは思いませんでした。

食感が、野菜だけを食べているとは思えないような

バラエティーに富んでいるからなのでしょう。

さらに、インドのスパイスが、結局、カレーライスを食べ慣れた日本人の口に合うのでしょうね。

 

ちなみに、牛様の肉を食べないインドにも、マクドナルドはあるんですよ。

マクドナルドは、定番のフィレオフィッシュとか以外、どこの国も各国バージョンがあるんですが、

インドでは牛肉代わりに、パテが野菜で作ってあるのが売っているんです。

ところがこれが普通の牛肉のパテのような食感で、これまたなんともおいしいんです~。

かまぼこみたいな食感のものもあり、(何個食ってんだ?と、思いました?)

それなのに、野菜で作ってあるんです。作り方、興味津々。知りたい!

空港内にもあるので、いらした時は是非、お試しを。

ただ、インドバージョンはどれも辛いです。そこがまた、癖になるほどおいしいんですが。

マクドナルドだけでも食べに行きたいくらいです。

Image/ McDonald at India

 

ところで、南インド料理で、ドーサって聞いたことがありますか?

意外と日本のインド料理レストランでも出しているところが滅多にないのですが、

Dosa at a restaurant in Tokyo

これ、うまいんです~~~~(涙)。

日本でも、どこかで見つけた時は、是非、味わってみてください。

チーズでもなければ、パンケーキでもなければ、ラングドシャでもなければ、クレープでもない・・・

でも、それらを混ぜたような食感。発酵してあるようで、微妙な酸味とコクのある塩味。

アツアツの焼きたてで出てきますが、

熱いうちにちぎっていただくのが、お勧めです!

Image ドーサ

 

そうそう、話は飛びますが、インド人の女性たちは、

器用に右手だけでこういった穀類をちぎるのですが、

その指先の使い方は、と~~~~ってもセクシーですよ。

機会があったら、是非、その右手に注目してみてください。

Image

 

インドの市販のヨーグルトも、めっちゃおいしかったですよ。

固めで、クリームみたいなねっとり食感。

料理にもよく使うせいか、自家製ヨーグルトも普通によくあります。

しかし、一度、タクシーの運転手さんが連れて行ってくれた、

高級そうなレストランに立ち寄った時、

入口の横に、牛乳様のものをバットに入れて、

灼熱の太陽の下で発酵させているのを見ました。

明らかにヨーグルト製造中・・・・でしたが、

そのバットに蠅が何匹もとまっていたのには閉口しました。

さらに、そこのレストランでミネラルウォーターを頼んだら、

高級そうなレストランでありながら、瓶のまま出てきたのですが、

2本目をオーダーした時は、蓋の開いたミネラルウォーターがでてきました。

これ、インドでは要注意だそうです。

蓋の開いているのは、ただの水、という可能性が大なのです。

(ていうか、そもそも2本も飲むな~~~~!)って、影の声?(笑)

料理が食べ切れなかった場合の持ち帰りは、透明なビニール袋に入れてくれます。

ふと、黄色い料理の入ったビニール袋を2~3個持っている友の後ろ姿を見て、

(ん?)と、別なものをイメージした私は、やはりインドになじみ切れていない日本人ですね。(笑)

 

さてさて、いつもの調子で、また食べ物の話ばかりになりましたが、

生活の面についてのお話もしましょう。

 

街なかでは、日本の昭和初期かそれ以前を思わせる部分を時折目に入ります。

まず、男性の立ちション。(笑)

日本では相当減りましたよね。

しかし、インドでは今も普通に(?)

男性は壁に向かって路上でしています。

地下鉄を降りて2~3分歩いたところで、

歩道沿いの塀に向かって、

4人ほど並んで ‘なさって’ いるのも見たこともあります。

地下鉄駅そば、ということは、街なかです。

(あららら・・・・。)

と、思いますが、この今も残る習慣と、人口の多さで、

道を歩いている時に、舗装された歩道が濡れていたり、

強い尿の臭いがするところがあります。

これは残念なところです。

犬が電柱とかにしちゃうのと同じで、人間の男子も壁に向かってなさる(笑)・・・

という習性があるようですから、決まって臭うところがあるようです。

 

住宅街などの近くには、スーパーもありますが、道の所どころには

建物のない店舗(?)が散らばっています。

屋根もなければ、小屋もない屋外で、台を1つ置いただけのお店、

あるいは、屋台と呼ぶには及ばず、その数歩手前くらいの超簡易的な

幌の様に布をかけただけのお店などを出しているのです。

それも、露店と違って毎日なので、商店街インドバージョン(?)のようです。

日本にも昔あったような足踏みミシンだけを一台置いて、リフォームサービスの商売をする人、

ひとつの果物野菜を山ほど台車に置いて売っている子供・・・。

地面に敷物を敷いて商品を並べて売っている人々も、もちろん見かけます。

貧富の差ははっきり見られますが、それでも商品は豊富にある印象です。

 

スーパーは日本のスーパーのように、きれいに商品を並べて陳列されています。

ただ、デリーの辺りはそもそもが砂漠らしく、すぐ北側は完全に砂漠地帯のせいか、

どこに行ってもなんだか砂っぽく、

そのせいか、細長いスーパーの奥の方にあった商品すらも、なんとなく砂っぽい(?)のには少し驚きました。

決してだらしないのではなく、その地質から、どうしようもないことのような気はしました。

日本の小さな砂浜や砂丘とは全く規模が違いますから、

搬送中に多少砂っぽくなるのは防ぎようがないのかもしれません。

 

Image

ショッピング・モールなどもありますよ。

日本と遜色なく・・・というとインドに失礼ですが、

日本と同じように、キレイでおしゃれな大きなモールもありますし、

同じように清潔感も感じられます。

とにかく、一般的日本人がイメージしている、豊かでない部分のインドだけでなく、

首都・デリーの辺りなどは、地下鉄が張り巡らされている上に、

街並みも普通に近代的な大都市の姿も見せてくれるのです。

地下鉄が外を走る部分の車窓からは、立派なビルが立ち並んでいるのが見えます。

Image

 

生活面で、ちょっと面白いと思ったのは、

友人の実家に、毎日午前中に一回、メイドさんが来て

掃除をし、その日のご飯のおかずを数品作って行くこと。

これは、日本の老人福祉でやっているようなものとは違うようです。

メイドさんは、目が合うとにっこり笑ったりしてくれますが、特に誰とも会話をしません

雇い主と、仕事上の短い会話をしたり、指示を受ける程度です。

深くは聞きませんでしたが、

(もしかして、こういうのもカースト制度の名残なのかなぁ・・・。)

と、想像しました。あくまで私の感想です。

若い彼女たちも、サリーかパンジャビースーツをまとっていますが、

友人のお母様のサリーのような華やかさではありませんでした。

 

Image インド式商店街(?)には色々なサービスがあります

また、アイロンがけサービスというビジネスもあります。

毎日、サザエさんの三河屋さんみたく、御用聞きのようにやってきて、

同時に、前の日に頼まれたものに、しっかりアイロンがけをして、

風呂敷のようなものに包んで持ってきてくれるのです。

昔からある商売だそうです。

 

友人の家には、ユニットバスならぬ、シャワー室とトイレ(普通の洋式)がセットになっている

畳1.5畳くらいのトイレ室?(シャワー室?)が4カ所ありました。

シャワーを借りた時、どんなに気を付けても、

シャワーのすぐ横にある便器や壁がびしょ濡れになってしまいます。

長期滞在させてもらっていたので、掃除などを手伝いするのは当然ですから、

どうやってその水滴を清掃するのか教えてもらいました。

各トイレには、ハケのようなホウキのようなブラシ?があり、

それで水滴をザッザッと掃いて、排水溝の方に流す。

以上。

「え?それだけでいいの?拭かなくていいの?」

当然の疑問を投げかけましたが、それだけでいいとのこと。

しかし、トイレに入るたびにキレイに全て乾燥しています

なぜか。

これが、砂漠の気候による想定外の現象だったのです。

ほんとぅ~に、あっという間。

次にトイレを使うまでに、

自然乾燥で全てがカラッカラに乾いてしまうのです。

(そこまで乾く?)

と、信じられないかもしれませんが、日本育ちには想像を超えた速さです。

濡れた壁も、床も、便器の蓋にかかった水も、すべてカラッカラ。

ですから、洗濯物もあっという間に乾きます。

友人は、日本にいる時もヘアドライヤーを使いませんが、

インドのデリー付近では、髪の毛の多い私ですら、

シャンプー後にみるみる間に髪が自然に乾くのです。

恐るべし、砂漠気候。

ここまでスゴイとは想像だにしませんでした。

 

さて。

インド紀行第二弾では、

インドの日常生活や食事の様子などをレポートしましたが、

この情報からは、まだまだ「人生観が変わる?」というほどの衝撃はないでしょう。

しかし、次の章からは、観光地をご案内しながら、

実際に自分の目で見た、インドの現実をレポートしたいと思います。

 

テレビや雑誌やネットやら、情報が溢れている現代にありながら、

平和で感覚が鈍ってしまっている日本人には、

想像を絶する、衝撃的な現実がそこにはありました。

行ってみなければ感じ取れない、知り得ないお話をしたいと思います。

私自身、愕然となりながら、学んで来ました。

自分の立ち位置を、深く、深く、顧みました。

 

ネット上で、どこまで話していいのか・・・そういう苦しい選択もありますが、

話せる範囲でありのままに、その姿を浮き彫りにしていきたいと思います。

あなたの人生観がほんのちょっとでも(いい方向に)変わるきっかけになれれば

と思い、勇気を持ってレポートします。

 

どうぞ、お楽しみに!!

 

Taj Mahal

 

 

インドに行って、人生観を変えてみませんか? - インド紀行・その1 (India 1)

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『インドに行ったら、人生観が変わる』

そんな言葉を誰しも耳にしたことがありますよね。

そんなインドに、いらしたことがありますか?

そして、このセオリー、ほんとでしょうか?

 

まず結論から言うと、はい、確かに、変わるんです!!

マジ一体、なんでそこまで????)              

そう思われる方に、私が初めてインドに行った時のことをあれこれ、話してみたくなりました。

 

私は昔、キャビンアテンダントをやっていましたし、

(今どきはCA、昔はスチュワーデス、でしたね。)

しかも、国際線所属だったにもかかわらず、

なぜかインドには縁がなく、旅行することもありませんでした。

趣味でかなり色々な国を旅しているのに、

インドには数年前まで行ったことがなかったのです。

・・・というより、少し避けていた感があるかもしれません。

(いつか、そのうち・・・。)

そう思っている陰に、正直、日本人が持ちがちなインドに対する偏見もあったと思います。

今や日本では、海外旅行を趣味としている方々もたくさんいらっしゃいますが、

意外とインドには行ったことがない、という方は多いですよね。

現職場でも、誰一人と行ったことがない為、私の初めての出発前には、

トクコが、なんと、インドに行くらしい!!!!」

ということがニュースとなり、オフィスは一大インドブームとなり ました。(笑)

(欧米か!でなく、暇か!・・・のツッコミしました?)

皆が検索してはインド豆知識を披露しあい、笑いを取っては得意になっていました。

日本のように、あちらも独特な文化を持つ国ですからね。

文化の違いに楽しい笑い満載でした。

 

さて。初めてインドに行くことになったのは、

インドで生まれ、アメリカで教育を受けてエンジニアになった親友の誘いがきっかけでした。

 アメリカでは、「ワタ~シは、エンジニ~アで~す。」というと、

(おお!!)と一目置かれるような、

かなり頭のいい人が就く職業なのですが、

仕事上で彼女と知り合った時に、

その教養の高さと、旅をこよなく愛する姿勢に

(お!この人、好き!合う!)

と思い、たちまち意気投合。

最近、足し算にすら四苦八苦する私(笑)の、欠けている部分を補うがごとく、

彼女の数学的感覚も魅力的でした。

インドは数学のレベルが高いことで知られていますが、

九九も、日本は9x9までしか暗記しないのに

インドは20x20まで暗記するというのは有名な話ですよね。

指で何かを数えるときも、通常日本では10本までですが、

(通常、どの民族も10本でしたね。)

彼女はそれも、関節を使って、もっと多くの数を数えます。

彼女とは、旅のバディとして、日本国内だけでなく、海外も

かなり色々なところを二人で旅しました。

 

そんな彼女が、「今度、インドの実家に来ない?」

そう誘ってくれたのです。

一瞬、(イ・・・インド・・・。)とひるみましたが、

2秒後には行く♪」と返事していました。

 

 

休みの都合などで、彼女は先にインドの実家に帰り、

私は、一人でインドの航空会社を使ってフライトしたのですが、

まず、驚くことがありました。

みなさん成田や羽田から海外に行かれた方はおわかりかと思いますが、

出発前にセキュリティーチェックを受けますよね?

あの、X線で荷物などをチェックするところですが、

通常、そこを通り過ぎて、税関検疫(これはたいてい気付かずに通りますね)、

そして出国手続きをして、自分の乗る便の待合所に向かいますが、

インドのエアラインでは、もう一度、

待合所に入るためにセキュリティーチェックがあるのです!

なぜだと思います?

パキスタンのテロなどの脅威に備えているのです。

ですから、ある意味、他のエアラインよりも安心感を持って乗ることが出来ます。

<エアーインディアは世界に広がっていますよ。>

 

私はもともと旅の仕事をしていたわけですし、

趣味のひとつも旅で、何十年も前から海外を行ったり来たりしていますから、

海外での安全にもかなり詳しい方だと思いますし、

しっかりと安全対策を取った上で、どこへでもへっちゃらで行く方ですが、

インドの空港に着いた後に関してだけは、ちょっと心配があり(偏見ですね)、

わざわざ頼んで、彼女にニューデリーから空港まで迎えに来てもらいました。

 

Image

タクシーで街に繰り出すと、まず、車の多さに驚きます。

メインになる道路は、日本の都会の広めの道路よりも広いのですが、

車線に関係なく(!)車がいっぱいいたりするのです。

たとえは、片側4車線のところに、7台並んだり、

(いや、バイクなどを入れるとそれ以上)

車が割り込むように入って走る光景があるのです。

スペースが空いていれば、入る、という感覚です。

そして、車線変更の自由さは、世界に類を見ません。(笑)

世界中を旅しながら、徳子なりのトップ3とかワースト3とかがあれこれありますが、

例えば、車の運転が世界一荒いのはXXという国、

クラクションを一番鳴らすのはXXという国、

バイクの数と複数乗りが一番多い国はXXXX(1台に3~4人乗っているのを見ました)、

渋滞がひどすぎるのはXX、

・・・などなどある中で、

運転の自由さナンバー1は、

ダントツ、インドです。(笑)

自転車を気軽に乗り回し、ふわ~~っと車道に出てくる

体力のある日本の老人(笑)(私の亡き父が趣味と健康の為とは言え、

そんなチャリ・ライダーでした)などを遥かに超えて、

自由に割り込み、スペースがほんの少しでもある限り、我先にと入り込みます。

少しくらいぶつけるのは、気にも留めない様子。

実際、みんなバンパーは傷だらけ。

びゅんびゅん飛ばす車の間を普通にチャリ・ライダーたちも縫うように走ります

左の端っこ、とか、そんな控えめなルールはありません。(笑)

ものすごい大きな道路のど真ん中を縫うように走るチャリ君、普通にいます。

(そっから、チャリで右折するかい!)

と、ツッコミを入れたくなることも多々ありました。自由です。好きなように走ります。

ちなみに、ジェイ・ウォーク(車の間をスルスル通り抜け、人が道路を渡ること)の技も天下一品

えええええぇぇぇぇぇ????

と思うようなところを、身一つで渡っているのを見かけることがありました。

日本人ではまねが出来ません。秘技、と呼べる世界。(笑)

 

車窓から見る、立ち並ぶメインストリートの店舗群も、

(おお・・・!ついにインドに来たぜ~。)

という思いを抱かせるような、独特の雰囲気がありますが、

キレイに商品を並べながらも、

普通に白い壁に、泥などがこびりついていたり、落書きがあったりします。

日本人なら、(なんで、洗い流さないの????)とたいていは思うでしょう。

しかし、なぜか、気にも留めずに、店の前に簡易椅子を置いて、座って客を待つ店主。

 

Image

あまり混み合っていないところには、

ヒンズー教が尊ぶ牛様が、フツーにゆっくり散歩しています。

決して田舎の牧草地ではありませんよ。

近代的な街の中を、堂々と(?)

ちょっと痩せ気味の牛様が闊歩なさっているのです。

これまた不思議な光景です。

(街を歩いている時に、初めてすれ違った時は、ちょっと緊張しましたが、なんともニヤニヤ笑えました。)

 

私にとって何もかも新鮮な景色を見ながら、無事に彼女の立派なご実家に到着。

素晴らしい歓迎と、素晴らしいおもてなしに感動したことはさておき、

・・・インドレポートを続けます。

 

それからしばらく、彼女の実家をベースにして、あちこち観光と旅をしたのですが、

観光地では驚きの連続でした。

色々な交通手段で、たくさんのところに行きましたが、

次第に、インドの現在の姿が浮き彫りになってきます。

 

image

まず、駅から相当な距離でも、とにかくインド人は歩きます

歩いて、歩いて、歩いて、目的地に向かいます。

車で25分かかるところを、友人が

「近くだから歩こう。」と炎天下の下言った時は

マジ?」

と聞き返しました。(笑)

乗り物に乗ったとしても、日本円で数十円とかの距離だったので、

ケチっているわけではありません。

彼女の感覚では「近い」。そのくらいは歩くのです。

道理で彼女は結構遠いところを徒歩通勤していたわけです。

すぐ近くのスーパーに車で行くあなた。見習いましょう。(いや、それ、私でした・・・。)(笑)

 

車に乗っていると、前述したようなすごい交通量の車道に、

赤信号で止まると同時に

路上専門の物売りの人が手作りの物を売りにやってきて、

車の窓に触って、開けて買ってくれとアピールします。

日本人なら(え~~?こんな交通量のところで、危険すぎる~~~!)

と思うような道路です。

青信号になるギリギリまで粘ります。

あるいは、体の不自由な方が、車にくっついてきて、お金をくれという合図をします。

そういった人々が多すぎるほどで、私自身、茫然と見ていることしか出来なかったのですが、

衝撃的だったのは、その恐ろしい交通量の中に、幼い子も出てきたりすることです。

手に、粗末な売り物を持っている子がほとんどですが、

(日本では間違っても売れないような粗末な商品も多いです・・・。)

物売りでない子で、心が苦しくなったのは、

あれは、3~4歳くらいでしょうか、まだ、体も自在に動かせない幼児なのに、

車道に出てきて、大車輪のような体操をやって見せるのです。

大車輪もなにも、幼児ですから、膝が曲がったまま、脚は腰の高さにまでも上がっていません。

それでも、赤信号になるまで、道路のど真ん中で必死に繰り返しやっているのです・・・。

地下鉄などの駅を見ても、ニューデリー辺りは、一見、近代的な都市の建物ばかりです

(いらしたことのないみなさんの描いているイメージと違うでしょう?)

しかし、路上には今なお残る貧富の差を見せつけられる場面に、その後も多々遭遇することになるのです。

友人の実家近くの地下鉄の駅(ニューデリーのそば)

 

地下鉄は普通に近代的でキレイですし、日本より車両が広くて混んでいません。

日本の開発援助もあった地下鉄のようですが、

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地下鉄の存在自体、一般的日本人には意外性がありませんか

箱乗りみたくなって、電車からはみ出して満員電車に乗っているインド人なら、

よくTVでも見ますけれどね。

首都では、日本と変わらない近代的な建物もいっぱいです。

行ってみてわかりましたが、日本のマスコミはその近代的でない部分ばかりをクローズアップして、偏った報道をしている気がしました。

ただ、近代化と発展途上の部分が混在している感じで、先進国ではあまり見かけない部分もありました。

駅構内の壁に、これまた泥などがまるで塗り付けたかのようについていたりするのも見かけたりしましたが、

なぜか、掃除されていないのを多々見ます。

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超近代的な駅ビルの前に、普通にがれきが積んであることもあります。

その、かなりきちんとした様子と、かなりユルイ様子の違和感はおもしろいくらいです。

<デリーの地下鉄のネットワークはこんなに網羅されてますよ。>

さらに、チケットを通す機械のところには、なんと、

あの空港と同じセキュリティーチェックがあります。

荷物と、人が、別々にX線でチェックされます。

ここでもパキスタンのテロの脅威です。

地下鉄が外を走るところの車窓から景色をビデオで撮っていたら、

係官の方に注意されてしまいました。

日本の平和ボケが露呈です。(;^_^A

 

都会の風景は、日本と変わらない近代的な建物群の中に、

緑の占める割合が日本より遥かに多いという印象でした。

 

観光地では、外国人と見るや否や、物売りの熱心な販売攻勢 (笑) は半端ありません。

観光地を周っている間中、ずっとセールストークでくっついて来ることも多々あり、

隣にいる観光ガイドさんの説明が聞こえないことすらあります。

あまりに必死過ぎて、たいていマシンガントークですから、

穏やかに旅を楽しむ人たちを怒らせたりもするほどです。

 

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観光地に待機しているガイドさんは、

一応政府公認のような名札を見せながら、

「僕に案内させてくれ」

と売り込んできます。

最初、彼らは、その物売りたちを怒鳴りつけて蹴散らしてくれて信用をとり、

観光客から案内を請け負ったりするのですが、

一番最後には、「彼から、品物を買ってやってくれよ。」と頼まれたこともありました。

つまり、お友達同士。(笑) 

その後のやりとりから、もしかして幼馴染なのかな~~・・・っていう感じもしました。

(お互いに生きるために助け合っているんだなぁ・・・。)

と思うと、驚きながらも憎めません。

 

観光地でも、子供のセールスはすごい勢いです。

何か国語もしゃべる小学生くらいの子すらいました。

「あなた、にほんじん。あなた、おかねある。あなた、これ、やすい。

わたし、うらないと、いえにかえれない。」

そんな日本語をものすごい早口でまくしたて、商品を手に、ずっとくっついてくるのです。

 

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時には、景色がきれいなところで写真を撮ろうとすると

周囲からその辺に敷物などを敷いて座っていたカラフルな民族衣装の女性たち

集まってきて一緒に無理やり写真に納まります

時には、おむつ替えの真っ最中でも入ってきます。

そんなときは、赤ちゃんはお尻丸出し。(笑)

そして、シャッターを押した後にはみんなが手を出してきて、

お金を請求します。

最初のうちは戸惑いましたが、

強引な商法は、やはりこの国であっても次第に無視できるようになりました。

冷たいようですが、全てに対応していたらきりがありません。

しかし、生きる姿勢の必死さとしたたかさは、日本と全く違う様相です。

日本では、(例えはよくありませんが)ホームレスでも太っている方もいますが、

(それが悪いという意味ではなく、比較的、国の援助があるという意味です。)

あちらでは、本当に食べることも出来なくなるのですから、真剣です。

生まれた国によって、こうも違うのか・・・考えさせられました。

 

一方、インドでは、女性がキレイ!!!

目元の美しさなど、吸い込まれるようです。

そして、今も人々はほとんどが民族衣装です。

女性は、あの美しいサリー(最初の3枚 ☟)か、パンジャビー・スーツ(後半の2枚 ☟)です。

        

サリーは、友人のお母さんもいつも着ていらしていて、

家の中でもずっとあの晴れ着のような美しい服をまとっていて、

年配の方でも、朝から(家から出なくても)イヤリングと金属の輪の形のブレスレットをしておしゃれです。

宗派によって、そのブレスレットを両手にた~~~くさんつけている女性もいます。

パンジャビー・スーツは、ぴったりパンツだぼだぼパンツ型があって、と~~~っても動きやすい。

私はダボダボ型を買ったのですが、これがまた、どんな服装よりも夏は涼しい。驚きました。

また行くチャンスがあった時には、もう一着買いたいと思っています。

パンジャビー・スーツは、首に必ず配色がバッチリの細長ーいストールを巻くみたいですよ。

巻いていない人は見たことがありません。

日本人的には、(動く時に、邪魔なのでは?)と思う長さですが、

それだけオシャレなのでしょうね。

日本人のような普通の洋装は、たま~に見ますが、ほとんどがこの二つの民族衣装。

 

男性は、詰襟のようなデザイン(スタンドネック)の長い上衣とズボン、

あるいは、ワイシャツ型の長い上衣とズボンという民族衣装の方も多いですが、

(詰襟の長い服でも、決して、ツッパリをイメージしないでくださいね~。)(笑)

日本と同じような普通の洋装もちょくちょく見かけます。

 

ターバンをかぶっているいるイメージが定着していますが、滅多にいません。

そもそも、ターバンは、インドでは少数派のシーク教の人々だけだそうです。

ツッコミ精神の私は、ターバンの男性にもあれこれ質問しましたが、

毎日、朝、長~~~~いのを頭に巻くそうです。

かぶってからは、帽子のようにスッポリ外せるので、

それを親切に私の頭に乗せてくれましたが、

オジサンの額の汗で濡れていたため、うれしいような、悲しいような・・・。(笑)

 

タクシーなどに乗ると、かかっている音楽は100%インドの民族音楽でした。

どの運転手さんにも質問しましたが、インドの音楽以外は聴かないそうです。

日本人はあらゆる音楽を聴きますから、ちょっとびっくり。

もし日本で、一年中、琴や尺八の音楽が聴こえて来たり、

時には小鼓(こつづみ)で

「イヨ~~~~、ポン!」

なんて聴こえてきた日には、デートも成立しないかもしれませんね。(笑)

それでも、インドでの移動中はインド感が満喫出来て、私は好きです。

京都の観光バスに乗って、標準語で説明されるようながっかり感はありません。

 

ここまで読んで戴いただけで、

あれ?なんか、私たち、恵まれているかも・・・・

と気付き始めた皆さん。

そうです。幸せは貧富の差ではありませんが、

日ごろ、何かと不平不満、愚痴、泣き言を言いがちな私たちですが、

同じ地球に生まれて、

これほど選択の自由のある日本にいて、

私は、ごちゃごちゃ言っている自分に恥じ入りました。

 

インド紀行第2弾は、

インドの観光地食べ物(毎日カレー?と、皆さん質問してくれます。)(笑)、生活・・・

そんなあれこれをレポートしますね ♪ お楽しみに!