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Facebookが日本でも随分と広まって、

いいね!って言葉も、普通~に一般的になりました。

英語バージョンだといいね!は、

このブログの上下にもボタンがあるようにLike!」

になります。

どっちも素敵な言葉ですね。

 

時々思うのですが、

日本人は外国人とちょっと違って(全部というわけではありませんが)比較的、

いいね!の基準が厳しい気がします。

これには、日本人の気質と文化がかかわっているかもしれません

 

この頃の100円は重みがありましたね~。誰ですか?懐かしんでるのは?(笑)

例えば、

外国の方は、不良品などについても、

(安物だからしょうがないか・・・。)

と、ゆる~く考えがちな傾向が見られますが、

日本人は

「たとえ100均だからと言って、

不良品は許されないわ!」

と思うのが一般的。

出来れば、許したくないですよね、あなたも、私も。(笑)

100円って言ったって、お金を出して買った商品ですから。ブツブツ・・・・。

 

よい本を読んでも、

「この本はよかった。でも、この本の、

○○○ってところは納得いかないのよね~。」

「全体的にすごい面白いけど、

読み始めは結構お堅い感じで入りにくかったね。」

と、相当よかった本にも100点はあげません

相当、その本で救われたのに、まだ批判をしたりしています。(笑)

つまり、いいね!に至らないのです。

100%自分と同じ考えの本がほしければ、

自分で書くしかないのですが・・・。(笑)

よかったなら、よかった ♪」でいいのでは?と思いますが、

何か批評ポイントを探しがちなのが日本人です

 

それにしても、

なぜなんでしょう

 

例えば、日本人は、子供のころから幼稚園やら学校で、

なにごとも練習練習練習・・・を繰り返します。

「がんばる」って言葉も大好きです。

年に一度の運動会や学芸会・・・

これも、ミスがないように、何度も、何度も、

気の遠くなる練習に明け暮れます。

ほんの数分の出番のために、

1か月も2か月も、がんばって、がんばって、練習します。

観客の前で、恥をかいてはいけない文化なのです。

きちんとしたものを見せなければ、失礼になるという思いが強いのです。

決して国代表としてオリンピックに出るわけでもなく、(笑)

チケットを売りさばいてショーを見せるわけでもないのですが、

10.00(満点)を目指してがんばります

失敗を受け入れがたい国民性なのです。

 

そんな私たちですから、

どちらかというと、ほめる、ということより、

どこがよくなかったのを見つけて

そこを改善していく・・・

そんな教育が私たちにしみついている気がします。

 

親も、子供のいいところを見つけてほめまくる、

という親より、

いけないところ、出来ないところを指摘して

よくなるように一生懸命指導する・・・

そんな育て方をするタイプが圧倒的に多い気がします。

 

だから、誰かのつぶやいた一言に、

いいね!」 って気軽にボタンを押すより

批判部分を見つけて、

「あれはよかったけど、わたしは○○○っていう部分は好きじゃないから。」

・・・と、評価、批判・・・・。

Why Japanese People!!!!!

・・・厚切りジェイソンさんみたく叫びたくなりますが、(笑)

でも、私自身も評論家になってしまいがちな自分の習性

ふと気づいた時には苦笑してしまいます。

 

誰かが友人達に悩み事を言っている時に、

聞いていた一人が、今か今かと口をはさむのを待ちかねて舌なめずりし、

絶妙なタイミングで

「違うわよ~~~、それは~~~!」

と言ってしまうタイプの人がいます。(笑)

友人は友人で、そのことで悩んでいたのだから、

違うのよ~、ではなく、そこで、

うんわかるよ~、それ。」

って言ってあげてもいいのではないかな~、と思うのですが。

意見が自分と違ったとしても、

そうだね~、わかるよ~、それ。・・・でもね私はこう考えるの。・・・」

と、ワンクッション入れてから意見を言うだけで、会話が全然違ってくるのに、

真っ向から否定。(笑)

・・・日本人って、やりがちです。

自分と全く同じ意見の人なんていないのですから、

あなたの考え方は理解できたよ。”

という意味で、

だよね~、わかるよ~、それ。」

と、まずいいね!」をあげてから、

相手と違う自分の意見を言えばいい

それだけで会話の質は数段違ってくるはずです。

真っ向から否定された人は、通常、

もうその相手と深い会話はしたくないと思うでしょう。

 

そして、この感覚が、日本人の

いいね!」と外国人の

Like!」の違いの気がします。

つまり、外国人は、自分と全く意見が違っても

Like!」のボタンを

日本人よりは気軽に押す気がします。

あなたはそういう考えなんだね。」

そういう考えもいいね。(私とは違うけど。)」

これが、外国人の「Like!」の感覚の気がします。

 

私自身、このブログで偉そうに色々なことを言っちゃってますが、

それでも、ある方々は

「そっか~~~!それはいい!私もそういうふうにやってみよう!」

と、納得してくれます。

でも、時には、

「それは違うと思う。私はそうは思わない。」

という考えの方もいらっしゃるでしょう。

「いや、いいんじゃないんですか?

あなたはあなたの考えで。それもまた素敵な考え方ですよ

ただ、私は、こう思っているから、こう発言してみてるだけです。」

・・・と、私はそういうスタンスでどなたの考えも受け止めます。

同意するかどうかは、別問題です

 

あなたの言っていることが

理解できた、という意味の

わかるよ~。」

は、会話の緩衝材になります。

今流行りの、間髪入れずに言う

ですよね~~~~!」でもいいかもしれません。(笑)

 

「僕は、こういう治療をやったらこの病気がよくなったんだ。」

と話してくれている方がいるとして、そう言っている最中に、

「俺はそれはいいと思わない。俺は、○○○だから、そういうのは出来ない。」

といちいち報告しなくても、(笑)

「そうなんだ~。それもいいね~。

どっちがいいかは別として、俺は○○○みたくやってるの。」

と、相手にいいね!」をあげてから

自分の考えを言ってみる、という発言の仕方の方がずっと魅力的です

それは、決して相手の考え方に同意した、という意味ではありません

そういう考え方もあるんだ、と、

相手には相手の考え方があることを尊重しただけです

 

相手が、何か重要な国際会議で国を代表して発表する、とかなら、

間違いは正してあげた方が親切です。(笑)

「もしかして、それ、違うかもよ?」と、知らせてあげましょう。

でも、ただの世間話

ただの日常会話なら、

自分の知っていることと違っていることを相手が言ったとしても、

「へぇ~~~、そうなんだ~~~~。」

と、相手にいいね!」をあげる会話の仕方で十分な気がします。

いや、実は、十分なんです。(笑)

普段の会話で、わざわざ「自分の意見は違う」と宣言するのは

その場の空気を乱しているだけかもしれません。

ですから、後で他のところに行った時に、

普通にその人と違う自分の意見を、今まで通りに言っていればいいだけなのです。

 

他人の話の腰を折らないことです。だって、ただの世間話なんです。

ぶっきらぼうに相手を否定しても、

嫌われるだけですから。(笑)

 

ちょっとしたことでも、相手にいいね!」をあげる心の余裕・・・

それだけで、人間関係が格段にスムーズになってくる気がします。

 

今日も素晴らしい一日を!

 

 

 

徳子“さん” に、感謝・・・?

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いきなり、「は~い~~~???」というタイトルで失礼します。(笑)

でも、読んでやってくださいな。

ちょっとした気付きが芽生えるきっかけになるかもしれません。

 

私、生まれた時から、ずっと、

この自分という体一本でやってきました。

(誰でも、そうですね。)(笑)

「よく頑張ってくれてるな~!」

と、たまにしみじみ思います。

 

これまでの人生、色々なことを体験してきました。

うれしい、楽しい、ありがたい、

そんなプラスの経験もたくさんありましたが、

もちろんそればかりではなく、

悲しいことも、

苦しいことも、

辛いことも、

残念なことも、

痛いことも、

傷つくことも、

泣きたいことも、

・・・・色々な苦難もありました。

それでも、なんとかそれらを通り過ぎて、ここまで来ました

解決していようといまいと、とにかく通過はしました

心(内側)は苦悩していたとしても、この体は道を歩き続けてきたのです

よく考えたら、私のこの体って、

そんな幾多の苦難にもめげず、

(ものすごいがんばってくれてるな~・・・・・・。)

と、つくづく思います。

 

また、全身の重症皮膚炎なんかを経験して、

ベッドに横たわったきり、

動くこともほとんど出来ないような体験をすると、

特に、

自分の体の中に心か魂か、

何か目に見えないそういうものがあって、

体という別の物体が、

自分の力で、

治ろう

治ろう

治ろう

・・・・そういう意志をもって、

がんばってくれているな~・・・・

というのをしみじみ感じます。

 

体ってほんとにがんばっているんだ・・・・!!!!

 

例え劣化 (笑) は進んでも、

病気になったとしても、

心が折れても、

最後の瞬間まで

この体は

私だけの為に、がんばってくれる・・・!

スゴイ存在です。

 

自分の内側で、心がずたずたになることがあったり、

へこたれていたとしても

この体は、普通に

呼吸をし、

心臓は脈打ち、

血液が体の隅から隅まで駆け巡り、

栄養を行き渡らせ、

異常の起きた部分を自力で修復しようと、大工事まで請け負ってくれる・・・。

 

脈々と

脈々と

休むことなく

働き続けていてくれる、

休むことなく

中にある “私” という存在を

支えてくれている体・・・・。

 

ずっとずっと、うん十年もの間、

心がぐちゃぐちゃと不平不満を言った時ですら、

文句も言わずにがんばってくれている

この体・・・。

そう思ったら、

なんだか、“徳子” という役割をやっている

この体がいとおしくなりました

偉いな、私の体。

そうしみじみ思いました。

 

こんながんばっている体を、

そして、生まれてから死ぬまで

自分の心を優しく包んで守ってくれるであろう体を、

雑には扱えないな・・・と再認識しました。

 

ある著名な方が、

体って言うのは、神社のお社みたいなもので、

その中に一人一人の輝いている魂があるんだよ。

一人一人が神さまなんだよ。」

とおっしゃっていたのが、すっと腑に落ちました。

大切にしなければいけないのです。

 

そんなわけで、

(ここまで頑張り続けてくれている自分の体を、

呼び捨てなんて出来ない!)(笑)

と、ふと思い、

今日から自分自分の体のことは、

感謝を込めて、

徳子さん

と、さん付けで呼んで (笑)、常に感謝して生きて行こう!

と決めました。

とある神社を、お稲荷さんと親しみを込めて呼ぶのに似ています

“さん” をつけただけで、なんだかありがたみが増します。

だから今日は、徳子さんに感謝” (笑) なのです。

(誰ですか?徳子が  “私に感謝しなさい。私が神です。”

みたいな世界に入ってしまったのか?と思って読み始めたのは?

私はみなさんに高価な壺や印鑑を売ったりしませんよ~。)(笑)

 

みなさんも、

現在、色々な辛い状況に囲まれておいでかもしれません。

心がズタズタになっている方もいらっしゃるでしょう。

でも、

どんなにあなたの内側がボロボロになっても、

体さん(笑)は逃げることも休むことも許されません。

あなたのために、ひたすらがんばって、

あなたを動かしてくれています。

生かしてくれています。

 

つまり、

少なくとも、最低限、一個の感謝があなた自身にはあるのです。

 

辛い時、

切ない時、

周囲に感謝することが何一つ見つけられない時、

自分自身の心に感謝が見い出せない時、

どうか、胸にそっと手を当てて言ってみてください

「ありがとう、XXさん。今日も、よくがんばってくれたね。」

(XXは自分の名前ですよ。)

自分の体に敬意を込めて、さん付けをして呼び掛けてあげてください。

 

脈々と打つ心臓の動きを感じながら、

体の神秘に感謝

体のがんばりに感謝

 

ひとつ、幸せを見つけられましたよね。

 

今日も素晴らしい一日を!

 

 

徳子さん (笑) より

 

 

向上心のマジック

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日本人は、

がんばれ!」とか、

向上心を持て!」とか、

根性!」とか、

負けてたまるか!」的な、

けっこうふんばっちゃう系の言葉が大好きです。

まあ、上の3つの言葉も、聞くだけで

鼻の穴からブシュ~~~~~ッって

勢いよく息を吐いていそうなイメージですよね。  

 

テレビでアツいおじさんが

「気合いだ!気合いだ!気合いだ~っ!」と連呼すれば、

いかにも日本人的なその前向きすぎる姿勢に、

私たち自身も思わず苦笑してしまいます。  

 

ものごとがうまくいかないのは、がんばりが足りないから。

途中であきらめるのは、根性がないから。

成功しないのは、向上心を強く持たないから・・・。 

私たちはそうやって言われながら育ちました。

がっつり向上心を持って勝ち抜いていく、勢いのある人が高く評価される国です。

 

しかし、昔の日本人は、そもそも、

他者を蹴落としても 上にあがったり、勝ち進んでいく

・・・・という民族ではなかったようです。

日本では、昔は寺子屋というのがあって、

寺の周りで遊ぶ子供たちに、

将来、生活に困らないように

読み書きソロバンなどを教えました。

当時の日本の識字率は、

外国と比較しても相当高かったようです。

これは、商工業の発展に伴い、

実生活に即した学問の必要性に答えた教育であったため、

そこに、競争という概念はありませんでした

生活を安泰にいとなむための手段として勉強を教わったので、

決して成績をつけませんでしたし、

順位をつけて優劣を争うようなこともありませんでした

なんだか、思い描くだけでも、のどかさが伝わってきますね。

本来の日本人の平和な国民性がそこに存在する気がします。 

 

ところが、そんな平和な時代は今や絵空事となり、

江戸時代以降

西洋の教育が日本に入ってきてからは特に、

他者と比較をして、

「他人より上に」

「他人に勝って」

と、常に競争するのが当たり前のようになってしまい、

こういったふんばり人間 を高評価する思想が

完全に日本に定着してしまったようです。

 

そんなわけで、現代の日本人は、 なんでもかんでも他人と比較、そして競争

勝ってなんぼ、 遅れを取る人は負け犬扱い。

がんばるのが当たり前がんばらないやつぁダメダメ人間

そんな躍起になって競い合う風潮が、いつの間にか出来上がってしまいました。

 

とにかく、がんばれ、 あきらめるな、

何が何でも食らいつけ・・・・(笑)  

日本人の向上熱は、部活などの小さな社会の中でも、

たった1歳年上の先輩に、

しもべの様に仕える上下関係にも反映し(笑)、

がんばらなければ

常に向上を目指さなければ

なんだか“人として終わっている” ように思い込まされ、

言われ続ける・・・・

そんな忙しい社会で私たちは育ってきた気がします。  

 

しかし、がんばり過ぎは時としてストレスとなり病気を生み出すことがあります。

例えば、日本人の2~3人に一人の割合で発症すると言われているガンの原因は、

怒りっぽいこと” と “がんばりすぎ

という説が根強くあります。

競争社会の中で生まれ育ち、

思い通りにいかないこと、

成功に持ち込めないこと・・・

そこに自己否定の根源があり、

それがストレス怒りを生みます。

また、真面目な性格であればあるほど、

なんでも、思い通りに成功に持ち込めない自分を責め、

がんばり過ぎてしまいがちです。  

 

偏見に満ちた言い方ですが、

周囲でガンになった方をよ~~~く思い起こしてみると、

真面目でがんばり屋さんの方が多くありませんか?

データで出せる内容ではないので、証明できませんが、

免疫学などでも指摘されているこの内面的な部分は、私は個人的に注目しています。

真摯に生きて来られたのに、病に伏されるのは残念過ぎますよね。

また、怒りっぽい方が多いのもよく知られています。

がんばれば全て思い通りに行くなら怒りの原因も少しは減るのでしょうが、

これまたいかんともしがたいことです。

(全員がそうだという意味ではありませんので、誤解のないようにお願いしますね。)

 

向上心を持って

がんばらなければいけない環境

囲まれているのに、

結果がついてこない・・・

 

そのギャップにイライラしたり、ストレスを感じたりすると、

あなたの体は硬くこわばり、自律神経は交感神経の方になびきます。

だら~~んとして怒ったりがんばったり・・・って出来ないですから、(笑)

どこかに力が入ってしまうのです

その結果、体が白血球の中に顆粒球をたくさん作り

その顆粒球は、仕事を終える時にたくさんの活性酸素を作ってしまいます

(顆粒球とは、本来、怪我をした時などに、その傷の修復のために働く物です)

そして、それがガン細胞となることが多々あるようです。

 

わかりやすいので、ガンを例にあげていますが、

顆粒球は強烈な酸化力で組織破壊をもたらすものなので、

胃潰瘍十二指腸潰瘍糖尿病などの他、

老廃物の排泄がうまくできないことにもなります。

聞くからにいろんなことによくなさそうですよね。

体に力が入ると、血管の収縮から血流も悪くなります。

そこから生じる病気も、枚挙にいとまがありません。

なんだかお肌にも悪そうですね。

 

要するに、力の入り過ぎる生き方では

体も心も疲弊してしまうようです

プラスを目指したはずが、

マイナスに進んでしまっていることにもなりかねません。  

 

一見、素晴らしい言葉、向上心

しかし、その言葉の裏には、マジックが隠されている気がします。

 

人間に生まれたからには

常に向上心を持って生きて行かねば。”

 

・・・ そう言えば、とっても美談ちっくだし、

尊敬に値する考え方のように聞こえます。

確かに、素晴らしい心がけなのですが、

何事にも一長一短があるように、

その言葉自体が、実は

自分に対する不足感、否定感をもしっかり含んでいるのです。  

 

このままではダメだ。」

もっと~~~~しないと。」

なんとかしなければ。」

 

向上心の裏には

往々にして苦しみが隠れています

 

心と体の健康のためにも、

向上心を持ってバリバリ行けないからといって、

あまり自己を否定しないでください。

自分をダメダメ人間だなんて思わなくていいのですよ。

そのままでも実はあなたは

十分に日々学びながら生きているのです

何も学んでいない人、向上していない人なんて、実はいないのですよ。

なぜなら、例えば、何もやらない人はやらない人で

やらないとどうなるのかを学んでいるのです。

だから、全て、OKなんです。

 

他者も否定しない

自分のことも、否定しない

そんな生き方が出来たら、

とっても楽な気がします。

みんな学んで生きているのだから、

すでに十分立派なのです

ですから、向上心もそこそこに・・・

何事もがんばり過ぎずにやっていくのも、今どきの新しい生き方の気がします。

 

「歯を食いしばれ!」とは言いません。

他人にも、自分自身にも。

あなたも、私も、それなりにがんばっているのですから。

 

そのままのあなたでいいんですよ

 

向上心はちょっと横に置いといて~、

ほんの少しだけゆる~~~く我がままに生きていくのも

心と体によいことなのではないかな~・・・と考える私です。  

 

今日も素晴らしい一日を!

 

スペイン・コルドバ歴史地区(世界遺産)メスキータ

 

悩みにどっぷり浸かってしまっているあなたへ

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悩み。

なぜか尽きないものです。

ちょっと解放されたかな?と思うと、

見事に新たな悩みの波がやってきたりします。

 

今、これを読んで下さっているみなさんの中にも、

自分ではもうコントロール不能なくらいの極限の状態で、

心が壊れそうになりながら、

悩み苦しんでいる方がいらっしゃるかもしれません。

 

私のところにも、毎日毎日、色々な悩み相談が寄せられます。

私は、その筋のカウンセラーではないのですが、

それはもう、スゴイ数です。

(以前から何度も言っていますが、ご存知の通り、

私は医者でもなければ、女優でもないですよ。

ましてやカウンセラーでもありませんの~。)(笑)

いずれにせよ、たいしたアドバイスは出来ないので、

(なんで、私に~ぃ?)

という思いは常に付きまとうのですが  (笑)、

相談者は真剣。

私の方も、相談を受けたからには、

相手にスカッとしてもらいたい

解決は出来なくても、

なんとか元気になれるところまでは引っ張り上げたい。

(ホントに素人の答えでいいのぉ~?)

と、常に心の片隅にありながらも、(笑)

精一杯、私に出せる答えを提供しています。

人間の悩みというのは尽きないのだな~・・・・と、しみじみ思う日々です。

 

そこで今日は、悩みにどっぷり浸かっている方々へ、

悩み事に対する私の考えをお伝えしてみますね。

ほんの少しでも元気レベルを上げてもらえたなら本望です。

 

   

よく受ける悩み相談というと、

離婚のことだったり、

未来の結婚(カレシ・カノジョ)のことだったり、

上司や職場の同僚のことだったり、

子供、あるいはのことだったり、

病気のことだったり、

ステロイドの副作用のことだったり、

これからプランすることへの決断だったり、

海外旅行の不安だったり、

未来の心配だったり、

自分の立ち位置のことだったり、

怒りのコントロールが出来ないことだったり・・・。

 

切なすぎて、辛すぎて

なんでもいいから誰かの言葉がほしい・・・という状態かと思われますが、

いずれにせよ、自分の中に起きている悩みよりは、

人間対人間の悩みが一番多いようです。

 

しかし、

そういったお悩みに答える上で、

これだけは、(言わねばならぬ・・・!!!)

ということが一つあります。

それは、

 

他人(ひと)は、変えられない。”

 

という、超、当たり前のことです。

 

“他人”とは、もちろん、家族も、自分の子も含みます

自分以外は、変えられない、ということです。

子供に関しては、親は叱り、教え、わが子を導いてやった・・・くらいに思いがちですが、

それは奢り(おごり)というものの気がします。

子供は学びのタイミングが来て、学び終わっただけです。

どんな親が育てても、

その子はそういう心の経過をたどるものだと私は思っています。

反抗期だって、その子自身のの学びの期間が終わるまで

どんなに親が冷静に教え導こうと、バトルを繰り返そうと、終わりません

よく、よその子に、「親の顔が見てやりたいわ!」

なんていう怒りの声を聞くこともありますが、

言ってるその人が育てても、その子はそうなったと思います(笑)。

(自分なら、変えられる。)

そんな思いこそ、奢りなのではないかと私は考えます。

 

また、

人は変えられないなんてこと、わかってる。だから辛いのよ・・・。)

っていう方も多いかもしれませんが、

実際は、ほとんどの場合がわかり切っていない気がします

実は、人は変えられない事について

本当の意味で心底わかりきってしまうと

辛い出来事も、

意外とサラッと切り抜けられるようになるからです。

 

他人(ひと)は変えられない ということは、

仏教では、あれほどの大昔に宇宙の法則を知っていた

釈尊(お釈迦様)も説いていていることですが、

どんな方角から学んだとしても、マスターすると

悩みが、どっか~~~~んと減るのです。

他人(ひと)は変えられない ということの理解の深まりに反比例して

不思議なくらい、悩みは減っていきます。

(世間には、悩みがないって言う方々も、実は結構いるのですよー。)

 

たいていの場合、“変えられない” とわかっているつもりでも、

不平不満はとどまるところを知りません

しかし、不平不満・愚痴・泣き言自体、根底には相手が変わるのを期待している部分があります。

 

子供が手伝いをしてくれない、

子供がゲームばっかりやっている、

が家庭を顧みない、

反抗期のが家で暴れる、

同僚の攻撃的態度がひどすぎる、

職場で理不尽な扱いを受けている、

にひどい目にあわされている、

etc………..

 

“このようなことは、変えられるはずだし、変える努力をするべき!”

と、多くの人々が思いますし、

それを否定することには納得いかない思いがあるかもしれません。

でも、再度言いますが、他人(ひと)は変えられないのです

 

(じゃあ、努力しても、無駄なの?)

(話せば、変えられるでしょう?)

(ケンカしてでもしっかりわかり合えば、

変わることもあるでしょう?)

・・・と思う、私たちの心にあるのは、

相手が変わってくれるに違いない

という期待・・・。

やっぱり、相手に変わってほしい。)

ほとんどのみなさんはそう思います。

私も以前はそう考えていました。

努力や熱意で人の心は変えられると思っていたのです。

 

(実際、徹底的に話し合った後に相手が変わったことはあったけど?)

・・・そう思う方も多いかもしれませんが、

実は、それはあなたが変えたのではなく、相手が勝手に変わったのです。

これに関しては、あなたのペースではなく

あちらのペースでしか動きません

あちらはあちらの意思で時が来て

学んだのです

どんなにこちらが現状(相手)を変えようとがんばっても、

相手自身に学びの時が来るまで、それは変わらないのです。

相手は相手のペースで学んでいるのです

 

例えば、逆の立場で考えてみるとわかりやすいかもしれません。

あなたが相手に色々と要求を突き付けられ、

「今すぐ、こういう風に変わって。」

と、あれこれ説得されたとします。

でも、どんなにその説得が素晴らしくても、

あなた自身が心底納得しない限り、自分を変えたくないはずです

変えたとしても、最終的に決めたのはあなたの脳と心です

相手の言動はその過程でしかありません。

 

また、誰しも知っていますが、

人の口に戸は立てられない ですよね?

憎いアイツの腹立たしいあの一言も、

誰にも止められません。

アイツがこう言った、ああ言った、と、

切々と経緯を話してくださる方も多いのですが、

例え、「言わないで!」と、抗議したところで、

相手は裏ではしっかり言います。(笑)

そう思っているんですから。

常に一緒にいて「それは言わないで。これも言わないで。」

と言い続けられるのなら可能かもしれませんが (笑)、

ほぼ、不可能だというのはわかりますよね。

いくらあなたが言われたくなくても、

あちらにはあちらの考えがあり言いたいのです。

そんな相手の考えが変わるまで話し合って説得し続けるのは、気の遠くなるような話しでしょう。

そう、もう、お気づきの通り、無理なんです。

 

なのに、私たちは、相手を変えたい

相手に気付いてほしい

原因は相手側にある・・・・

そう思っていますが、

実は、“相手の行動が原因” というよりも、

相手の行動が嫌だ、というあなたの側に悩みの根本があるのです

 

他人によって与えられるストレスが、“自分にとって” 嫌で耐えられない・・・・

それが悩みの正体です

 

つまり、相手の言動に我慢がならない、という、

あなた自身側の問題なのです。

あなた自身側の問題なのですから、

不可能と思いながらも、相手が変わることを期待し続ける生き方は大変です

あなた自身の受け止め方を変える

もしくはあなた自身の行動を変える・・・

それしかないのです。

 

それでは根本の解決にはなっていないと思われるかもしれませんが、

相手に気付きの日がくるまでには、果てしない時間の経過を要することもあります。

時間というあなたの大切な命を

嫌なことに意識を集中して費やすことほどもったいないことはありません。

 

相手を変えられるのなら、本当に楽ですよね。

でも、相手が変わることを期待しているうちは不幸なのです

さらに、もうひとつ言えることは、

嘆いているうちは何も変わらない、ということ。

心の中で、グチグチ思っていても、やはり何も変わりません。

 

トンネルに入ったのなら、出口に向かうしか方法がないように、

あなたは今、どうしたって

そこを通り過ぎなければいけない状況に置かれています。

では、トンネルの中では、どんな行動を取りますか?

中で座禅を組んで、ひたすら瞑想したとしても、

滅多なことでは悟りは開けないでしょう。(笑)

出るためには、はるか向こうの光の見える出口まで、

自力で歩いて行くしかないのです。

 

必ず通らなければいけない道を、

泣きながら、怒りながら、愚痴を言いながら、

トボトボ歩きますか?

どうしたってその道を通り抜けなければならないのに、

暗く、辛い思いで歩き続けるしかないのでしょうか?

もし、その道のりが5年かかるとしたなら、

5年も鬱々とした気分で、

相手が変わるのを待ちますか?

 

同じ時間、同じトンネルを通るのですから、

トンネル(相手)が変わらないなら、

自分で通る時の気持ちの持ち方を変えるしかないのです

 

つまり、

行動するのです。

自分の行動を変えるしかないのです。

 

では、どうやって?

 

二つの行動を取ってみてください。

 

まず、一つ目。

つぶやいてみてください。

これは、面白くなってきたぞ♪」

このことからは、もういいことしか起きない!」

今がどん底だから、あとは上がるだけ!」

・・・どれでもいいです。

あなたにしっくりした言葉を選んでください。

そんな前向きな言葉を無理矢理、声に出して言ってみてください

ばかばかしいと思うかもしれませんが、

この思いが現状を動かすのです。

 

そして、二つ目。

無理矢理笑ってください

まず、笑顔を作っちゃってください

もう、涙がちょちょ切れそうな時だって、

無理矢理、行動笑顔を作る

これをやってみてください。

 

(笑えない・・・。)

そう思うなら、口角を無理矢理上げてください。

口角を上げたまま、目尻を下げてください。

顔の中にマルを描くような表情です。

その顔では怒れません。

その表情では泣けません。

行動(笑顔を作ること)に

心が後からついて来るものなんです

笑顔を維持する時間に比例して、少しずつ心が楽になりますよ。

 

心は自分で上げるしかないんです

私なんかがあれこれ言ったところで、時間が経つと元に戻るでしょう

ですから、初歩として、上の二つの行動を取って、何が何でも自力で上げるんです。

最終的に脳をコントロールしているのはあなた自身ですから、

この二つの行動で、振り絞って、

無理矢理自分の波動(出しているエネルギー)を変えるしかないのです

 

波動は、“その人の雰囲気” として、他人に伝わっているものです。

エネルギッシュな人はエネルギッシュに見えますし、

暗い人は暗く見えます。

波動は、霊感なんかなくたって、誰もが感じ取れるものです

それを自身で上げるのです。

根本解決になっていない、と思うかもしれませんが、

いい波動はいい流れを引き寄せます

さらに、いいアイディアは心が上向きになった時に湧いてきます

苦しみのエネルギーを出している時に行きついた結論は、

結果に苦しみをもたらします

とにかく、自力で上げて行かないことには人生損なのです

やるのは、あなたしかいません

 

変わらない現状に苦しんでいるあなたへ。

しつこいようですが、相手は、変わりません。

状況を変えたければ、あなたが変わってみてください

出口まで歩かなければいけないトンネルに入ったなら、

どうせその道を歩くのですから、

思いっきり涙を流した後は、

笑顔で、ポジティブな言葉を発しながら

胸を張って歩き続けてください

答えが出ない時に答えを導くための唯一の方法なのです。

 

誰にでも辛いこと、いやなことは訪れます。

そんな時こそが今までの自分の経験を生かす

あなた自身の見せどころです。

あなたの正念場なのです。

 

自身を奮い立たせて、

明るくその道を歩く方法を選んでみてください。

少しずつ、少しずつ、

あなたの周りが変化していきます。

 

夜明けはやってきます。

変わろうと決めたあなたの人生は、必ず、よい方向に動き始めますよ。

 

今日も、素晴らしい一日を!

 

 

      ***********************************************

 

たまたま、今日のポストをタイプしている時に、

パーフェクトなタイミングで、悩み苦しんでいる方々に向けて、

日本一の金持ち・斎藤一人さん(生涯累積納税額日本一)から

メッセージが届きました。

一人さんの直弟子である舛岡はなゑさんの新書に

一人さんが寄せたメッセージです。

とても温かい思いの伝わるメッセージですので、載せさせていただきます。

よかったら読んでみてくださいね。

 

***斎藤一人さんは、宗教嫌いですが、神様は大好きで、

 ひとりひとり、全員の中に神様がいる、と考える方です。

 宗教とは一切関係ありません。

 あなた自身が神様から分け御霊をもらっている神様なんだ、

 という考えに基づいて、

 多くの人々を元気づけながら、幸せのなり方を説き、

 温かい言葉をいつも発信されている方です。

 本業は実業家ですが、大きな愛で人々を励まし続けるたくさんの著書は、

 全てベストセラーです。***

 

     ************************************

 

ひとりさんからあなたへの手紙

    PHP出版 舛岡はなゑ 著 『斎藤一人 奇跡のバイブル』 より抜粋

 

神はあなたに

耐えられないような苦しみを与えるはずがないのです。

耐えられないような苦しみがきたときは、

無上の喜びを感じる教えに出会うときです。

 

あなたの前には、

神様がくれた扉がいつでもひらかれています。

 

魂の成長という名の階段を

一歩いっぽ

上がってください。

 

神様は、

あなたが来ることを両手をひろげて

待ってくれています。

 

魂の成長とは、神の愛を信じきること。

神はあなたを愛し続けているんです。

 

あなたが神を見捨てることはあっても、

神があなたを見捨てることは絶対にありません。

あなたが勝手に見捨てられたと思うだけです。

 

あなたに起きることはすべて神の愛なんです。

 

あなたの魂の成長のために、

あなたの幸せのために、

あなたが愛であるということに気づくために、

起きていることばかりなのです。

 

神が起こしてくれたことに

絶対なる肯定、

絶対なる積極で、

また一歩、また一歩と

前進するあなたに

神は必ず幸せな奇跡をたくさん起こしてくれます。

 

人生とはあなたと神との楽しい旅だということに

気付くことです。

 

たとえ大切な人の死に出会っても、

苦しくて耐えられないとき、はじめて人は、

天国があり、

来世があるということに気づくのです。

 

この世の死は天国での誕生。

天国での死は、この世の誕生。

 

苦しまないでください。

 

気づいてください。

 

神もあなたも

愛でできていることを

信じてください。

 

そして、力強く一歩、足を踏み出してください。

 

素晴らしい人生のために。

 

さいとうひとり

 

 

 

 

『革命のファンファーレ』が、スゴすぎる!!!

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スゴイ本を読みました。

 

もう、何がスゴイって、脳みそがぶっ飛びます

お笑い芸人・絵本作家としてしか知らなかった、

キングコングの西野亮廣(にしのあきひろ)さんの書いた

革命のファンファーレです。

 

 

これ、もう、とにかくスゴ過ぎなんです。

何がすごいって・・・・

読んだら、自分自身の、この時代での立ち位置に気付かされるんです。

そして、時代がものすごい勢いで変わっていたこと、

なのに、その流れに乗っていなかったこと・・・

それらを、痛感します。

 

私も、その辺の若いモンより(笑)、そこそこコンピューターもやるし(?)、

新しいものには飛びついて、何でも体験してみたり、

人がやったことのないことに挑戦してみたりが大好きで、

我ながら、

まあまあ、時代にはついて行けてるかな・・・・

 

なあ~んて、やや、自己満足していたのですが、

なんと、

全然ついて行けてなかった・・・・

読後にそれを思い知りました。

どっか~~~~~~ん!!!

という衝撃を味わったのです。

 

コンピューターが一般家庭に浸透し、

色々なことが便利になり、

なんでもかんでも自宅に居ながらにして出来る時代になりました。

しかし、見えているつもりだったこの時代は、

私たちの想像を遥かに超えて進化していたのです

(ここまで全てが変化していたなんて・・・。)

初めて、そう思い知り、衝撃を受けました。

 

読んでいない方には、私が何を言っているのかわからないでしょう?(笑)

ネタばれはいけないので、中身は言えませんが、

時代について行きたい!」

と思っている方、必読の書です。

この本はまだ、出てから一か月少々ほどかと思いますが、

この先、爆発的にヒットすると思います。

それくらいスゴイ。

とにかく、スゴイとしか言いようがありません。(笑)

(なんて語彙力のない説明でしょう!)

 

かく言う私も、この本は

日本一の金持ち・斎藤一人さん(生涯納税額日本一)の直弟子である宮本真由美さんに、

「とにかく、スゴイの!!!!

本の半ばくらいに行った頃には、もう、脳天ぶっ飛んで爆発するよ~!

徳子さんには絶対読んでほしい!!!!全ての答えがそこにあるの!!」

・・・と教えてもらい、速攻で買いに行って読みました。

そして、ホントに脳天ぶっ飛び、爆発でした。(笑)

 

キンコンの西野さんと言えば、数年前に、

お笑い芸人でありながら、素晴らしい絵本を出版されていますが、

ナント、それをネット上で全ページ無料配信して話題になりましたよね。

 

   ☟ 興味のある方はクリックしてね。いいお話です。

   『えんとつ町のプぺル』

 

絵本が買えない子供たちにも平等に見られるように、

という配慮は聞いていましたが、

その根底には、凡人には到底想像もできないようなビジネス戦略もあったのです。

常識を覆したことから、随分あちこちで叩かれたようですが、

結果はと出て、彼の完全勝利絵本は爆発的に売れました

そのノウハウも、余すところなく説明されています。

 

こうして、宮本真由美さんを始め、

色々な方々や、

私ですらブログで紹介していることも、

西野さんの思惑通り。(笑)

・・・一体私が何を言っているのかは、

読めばわかります。

ジャンルはビジネス書なのですが、とっても読みやすく、

ビジネスに興味があるとかないとか関係なく、

自分が時代について行っていないこと、

言い訳をして行動していないことを知る、

素晴らしいきっかけになります。

 

さらに、

やらねば!)

という気にさせられます。

何をやるのかは置いておいて、(笑)

ある意味、自己啓発本でもあることに気付きます。

 

そして、本の最後のページでは、

西野さんの他者への底知れない愛を知り

感動します。

是非!!! 

 

『えんとつ町のプペル』

 ☝「著作権によって助けられている部分はたくさんあるけれど、
   著作権によって潰されている可能性もたくさんある」by 西野亮廣
・・・・そんな考えで、著作権をナアナアにしてみた西野さんの作品です。
 
 
***ちなみに、宮本真由美さんの著書も、どれも素晴らしいですよ。
落ち込みがちな方にお勧めです。(^_^)b
 
 

エネルギー泥棒、育ててませんか?

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今日は、特に女性に向けてのお話です。

 

ねえねえ、ちょっと聞いて~~~~!」

 

そう言って話しかけるパターン。

よく、女性にありがちですよね。

女性って、とにかく話を聞いてもらいたい動物です。

 

それほどカッコよくもないのに (笑)、よくモテる男性や (?)、

そ~んなお金持ちでもないのに (笑)、何度も結婚している男性とかも (?)、

よく見ていると、女性の話を、よ~~~~~く聞いたり、

聞いている素振りがうまい人 (笑) が多いものです。

それくらい、女性は話を聞いてもらえることで

かなり欲求が満たされストレスも解消出来るようです。

 

「聞いて、聞いて~~~♪」

って、女性は思いついたことを

ペラペラペラペラ話してしまいがちですが、

そんな女性だからこそ、私たちは、

日頃どんなことを話題にしちゃっているのか、

時々は考えた方がいいかもしれません。

 

実際、自分のストレス解消の為に、好き勝手な言動をして、

相手を疲れさせ、他人のエネルギーを奪ってしまう人・・・

近くにいませんか?

そういう人々は、

エネルギー泥棒、もしくは、エナジーバンパイア

と呼ばれます。

あなたも、誰かにエネルギーを奪われた経験、ありますよね?

その人と話していると、

なんだかいつも疲れてしまったり、

どうもスッキリしない・・・

それは、明らかにエネルギー泥棒(エナジーバンパイア)です・

 

そして、恐ろしいことに、

エネルギー泥棒は、

無自覚の場合がほとんどです。

あなたからエネルギーを奪っている相手も気付いていませんが、

あなたも、私も、気付かずに

エネルギー泥棒になってしまっていることがあるかもしれません。

 

まず、最もわかりやすく、誰にでもありがちなのが、愚痴

愚痴ばっかり・・・・という人が、あなたの周囲にいませんか?

あるいは、あなたが “嘆きの人” (笑) 、“ボヤキ人間” になっちゃったりしていませんか?

 

女性は、他人に愚痴を聞いてもらうだけで、かなりすっきりするように出来ています

 

一方、優しい人ほど、相手に、

「愚痴、聞くよ~?」

みたく言ってあげたりしがちですが、

愚痴のめちゃくちゃ多い人は、

あなたが愚痴を散々聞かされた後に、

相当なエネルギーを奪われてしまって、

そして、そこから這い上がる為に、

また更に相当なエネルギーを使わなければいけないことなど

微塵(みじん)も考えていません。

無意識のうちに、あなたのエネルギーを奪って、自分のエネルギーにしているのです。

その名の通り、エネルギー泥棒です。

 

そういう人をも、優しいあなたは、

ついつい救ってあげようとしてしまい、

(辛そうだから、愚痴くらいは聞いてあげなくちゃ・・・。)

なんて思っていませんか?

・・・そんな人にまでいい人になっていると、

あなたの健康にすら影響を与えることがあります

だって、どよ~~~~んとした話しや

イライラしながら、怒りの話を聞かされていると、

自分の自律神経すら乱されてしまいますから。

どうかあなたは、そんな人とは距離を置いて、自分で自分を守って下さい

 

しかし、それだけでなく、実は、

愚痴を言い続けている人は、

また愚痴を言いたくなるようなことを

どんどん引き寄せ続けるものなのです。

ですから、そんな人へのホントの優しさは

愚痴を聞いてあげないこと

そっちの方が  なんです。

でも、優しいあなたは、

なかなかそれを切り出せませんよね?

そんな時は、知っていることを話題にして切り出す感じで、

「ねぇ、知ってる?愚痴って、言ってると、

またそれを言いたくなるようなことをどんどん引き寄せて

そのループから抜け出せなくなるんだって。

きっと、いつもあなたの愚痴を聞いている私は

かえってあなたの辛さを増大させちゃってたのかもね~。

これからは、敢えてあまり聞かないようにするね。」

と、しっかりと線を引いてください。

 

もちろん相手は、いいところもある人かもしれませんが、

ホントにあなたを大切にしてくれている人は、あなたに愚痴ばかり聞かせません

本当の意味で、他人のことを考えてあげられない

自分自身のことでいっぱいいっぱいの未熟な人なのです。

相手は相手で、愚痴ばかり言っているとどうなるのかを自分で学ぶ運命なのです。

つまり、そんな愚痴のオンパレードの人は、相手にしなくていいのですよ。

あちらも、学ぶ時が来たら、学ぶのです。

 

あっちが痛い、こっちが痛い

・・・・と嘆いてばかりの人もいます。

確かに病気は辛いのですが、

私たちも、家族などにはついつい甘えて

「今日も、ここが痛くて・・・。」

などと言ってしまいがちです。

でも、あなたが医者でもないならば、

いくら聞かされても、どうしてあげることも出来ません。

しかも、病気の相手は

聞かされているあなたまでもが

相当切ない思いをしていることに配慮は出来ません

やむを得ないことではありますが、

自分のことでいっぱいの状態なのです。

ですから、一緒に辛くならないでください。

あなたが解決できないことにエネルギーを奪われないでください

「そっか~。もう少しの辛抱だね。きっとよくなるよ。」

・・・・と、さらっと聞き流して、

あなたはあなたで明るい波動を維持してください。

逆に、その明るい波動が、

暗くなってしまいがちな病気の人の救いになるくらい、

明るく人生を楽しんでいてください。

その方がお互いの為なんです。

 

苦労話が好きエネルギー泥棒もいます。(笑)

自分が以前、どれだけ大変だったのかを、切々と語ります。

20年前のいやな思い出を引き合いに出して、

今もまだ言っている人もいます。(笑)

ひどいのになると、

「戦時中は・・・・。」

と始まったのでは、聞いているあなたもやってられませんよね。(笑)

(一生、言ってろ・・・・。)

心でそうつぶやいて (笑)、

エネルギーを奪われる前に、サッとその場を立ち去ってください。

 

また、悩み相談という形で、

あなたのエネルギーを奪う人がいます。

解決出来たならいいのですが、

あなたが一生懸命答えてあげたとしても、

「でも・・・・。でも・・・。」

「だけど・・・・。」

「それは出来ないのよ~。」

と言っては、何もやろうとしません。

何かと理由をつけて、アドバイスは聞かず、

結局は同じ悩みの繰り返しの人がいます。

(だから~、それは、こないだ教えたじゃない~・・・。)

と、あなたをイラッとさせる、堂々巡りの悩み相談です。

そういう人は、1つ悩みが解決がつけば、必ず言って来ます。(笑)

そんな人も、エネルギー泥棒なのです。

 

エンドレスの悩みであなたの貴重な時間を奪っていますが、

貴重な時間です。

優しいあなたは、そんなことを思わずに、

一生懸命悩み相談に乗ってあげているのですが、

潜在意識レベルでは、貴重な命(時間)を無駄に使わされているのを知っていますから、

知らず知らずのうちにストレスになっているものです。

あなたもすっきりしない上に

相手もいつまでたってもエンドレスですっきりしない。(笑)

この場合は決して相手の救いになっていませんので、

(相手はあなたのエネルギーを奪って一時的に回復はしますが、一時的です。)

やはり、エネルギー泥棒なのです。

エネルギー泥棒の兆候があったのなら、

あなた自身はどうしたいの

それは、あなた自身が決めることよ。」

と、きっぱり断ち切ってください。

付き合い続ければ、あなたが体をこわします。

 

まだ起こっていないことを心配し過ぎる

杞憂人間もいます。(笑)

被害意識が高いのです。

自分だけで心配している分にはいいのですが、

「こうなったらどうしよう。」

「ああなったらどうするの?」

「でも、そうなっちゃうかもしれないじゃない。」

・・・って、他人を巻き込む人。

お前ひとりでやってろ~~~~!!!」(笑)

という世界ですよね。

何しろ、まだ起こっていないのですから、

そういう人の “空想の世界に付き合う必要はありません

 

相手の興味のない話しを延々と続けるエネルギー泥棒もいます。

話しが長い人も然り。

会話はキャッチボールでなければいけません

もし、どちらか一方が、

ひたすら相づちを打っているような会話でしたら、

相手にとって、あまり興味がない話題なのかもしれません。

いや、自分の話が面白くないのだ、とハッキリ気付きましょう。(笑)

あなたも、私も、やりがちかもしれませんよね。

特に女性は、自分が少しでも多くしゃべりたい系の人が多いものですが、(笑)

会話は常に、自分が50話したのなら、

相手にも話題を振り、50話してもらうように気配りしたり、

饒舌ではない相手でも、少なくとも40くらいは話してもらう・・・

そんな配慮は絶対に必要です。

気付かないうちに夢中になって、誰しもこんなエネルギー泥棒になりがちです。

 

他にも、

すきあらば自慢・・・・そんなエネルギー泥棒もいますよね。(笑) 

比較するのがやめられない人たちです。

うらやましくなくても、ちょっと疲れますよね。

 

自己正当化のために、攻撃的になってしまうエネルギー泥棒もいます。

上司のパワハラなんかがそれですよね。

 

気分屋で、自分の気持のコントロールができなかったり、

自分が辛いからと言って、周りのことも考えず

どんよりした雰囲気をまき散らすエネルギー泥棒・・・

 

いろんなエネルギー泥棒がいますが、

そういう人達に出会ったのなら、

まず、自分もそうなってしまっていないか

他人のエネルギーを奪ってしまっていないか

気付くきっかけを戴いてもいることにもなるのです。

他人の身体の中に入って自分自身を見つめるような感覚で

ちょくちょく振り返って反省するいいチャンスだと思いましょうね。

 

また、エネルギー泥棒とは、付き合い続けてはいけません。

関係を絶つには、

依存し合わない関係を作ることも大切です。

いつも愚痴を聞かされて疲れているけれど、

その人は、あなたも時には愚痴を聞いてもらう相手だったりする・・・それが依存関係です。

 

人体には、疲労やストレスを軽減する器官・副腎がありますが、

エネルギーをうばわれ続けていると、

心の疲労から、副腎に疲労が蓄積され、疲労物質が分解出来なくなるそうです。

その疲労が限界に達すると、うつ病を発症するという説もあり、

米国の医師・ジェームズ L. ウィルソンは、うつ患者の6割以上に、副腎疲労が隠れていると唱えています。

 

ナイス・パーソンなばかりに、他人にエネルギーを奪われ、

病気や心の病なんて、やってられませんよね。

 

優しい人ほど、相手がエネルギー泥棒であるにもかかわらず、

かまってあげがちです。

でも、一番大切にしなければならないのは、まず、自分自身です。

自分がストレスを感じて体をこわしたのでは、

いざという時に誰も助けてあげられません

 

エネルギー泥棒は病原菌のようなものです。

病原菌にナイスにして、育てることはありません。(笑)

相手にしっかり思いを伝えること。

あるいは、相手と距離を置くことを恐れないでください。

ちょっとだけ、勇気を持って、しっかり線引きをしてください。

強くなってみてください。

それがゆくゆくは、かえって相手の為にもなるのですから。

相手の為、と思えば、優しいあなたも強くなれますよね。

 

自分に対しても、相手に対しても、

愛を持って線引き・・・・

やってみてください。

そこからあなたの人生がまたひとついい方向に展開していきますよ。

 

今日も素晴らしい一日を!

 

 

 

#エネルギー泥棒 #エナジーバンパイア #ナイスパーソン #愚痴 #悩み相談 #攻撃的 #パワハラ #気分屋 #依存 #病原菌

今、なんとか気持ちを上げたい方へ

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生きていると、ほんとう~~~に、いろんなことが起きますよね。

日々、顔の筋肉を鍛えるがごとく、満面スマイルをモットーとしながら

楽しく明るく生きている私ですが、

そんな私にも、とってもいやなことが起こることはあるんですよ~。

 

つい先日も、相当理不尽な体験をしました。

親切に、愛を持って、出来る限りのサポートをし、

こちらには全く落ち度がなかったのですが、

利己主義な相手の方に、

恩を仇で返されるようなことがありました。

全く、“理不尽” 以外の言葉で表現できないようなことです。

しかし、徳子式の自分で自分の機嫌を取る方法で、

サクッと自分を上げることが出来ました。

 

読者の皆さんに、なんとか元気をおすそ分けしようと

取り組んでいる私ですが、

そんな私でも、もちろん、

皆さんと同じように、いやなことは経験しますし、

とっても性格が惜しい人々(笑)に出会うこともあるんですよ~。

 

ただ、今日は、ちょっと違いました。

身近な家族である息子が、たまたまひどい理不尽な経験をしたのです。

家族とは言え、自分ではないので、

その話を聞いた私は、とても心を痛めましたし、

胸のつぶれるほどの思いでした。

(それは、ひどい・・・・。)

内容を聞いただけでも、喉の辺りが込み上げて痛くなるほどの

ひどい経験だったと思います。

日ごろ、心の勉強を好んでしている息子なだけに、

「こんなことでは負けないよ~。大丈夫 ♪」

と、気合で明るく自分を上げているのがわかりましたし、

私も、明るい言葉をかけて、

少しでも彼の心が軽くなるように、

祈るような思いでしたが、

彼の心の負担は、想像を絶するものだったと思います。

 

イヤなことがあった時は、本当に苦しいものですよね。

そのことが頭から離れず、何をしても、思い出してしまいます。

落ち込んではいられない、泣いてはいられない、と、誰しも思うのですが、

なかなか気分は上げられないものです。

そして、それが普通です。

 

そこで、今日は、思いっきり

どよ~~~~ん

(他者によって)落とされてしまった心を

なんとか上げるためのノウハウあれこれ

・・・をたくさん挙げてみます。

 

考え方のコツ・解決方法には、

仏教的な物、

心理学的な物、

スピリチュアル的な物、

『引き寄せの法則』のような宇宙の法則を利用する物、

脳科学により脳を味方に付け活用する物、

鏡の法則』による物、

最近大流行の量子力学を取り入れた思考・・・・などなど、

あれこれありますので、織り交ぜてお話しますが、

スピリチュアル系も上げていますので、そちらが苦手な方は、

この記事は飛ばして、次、行ってみてくださいね。(笑)

 

さて。

最近、仏教を学問として趣味的に学ぶのが結構流行っていて、

書籍も相当たくさん出版されているようですね。

葬式仏教と言われ、多くの日本人はお葬式くらいしか仏教とはご縁がなくなっていますが、

本屋さんの平積みでも、とっつきやすい仏教本をたくさん見かけるようになりました。

 

辛い出来事に対しての仏教的な解決の方法って、

どういうものがあるのでしょうか?

仏教的には、起こった出来事に関して、

自分と相手の担当分野をしっかりわけるようです。

自分は自分の課題を持って生まれてきているし、

相手のことは相手の課題、という基本理念のもとに考えを進めます。

 

あなたに理不尽なひどいことを言ってくるような人は、

間違いなく、他でもそういう言動をしています

そんな人がああ言った、こう言った、だからよくないの、質(たち)が悪いの・・・

とか考えるのは、相手の分野に入り込んでいることになるのです。

往々にして私たちは、相手の言動をあれこれ心で反復し、

その時と同じいやな思いを何度も繰り返しがちですが、

相手は相手で、そのキャラで、(多分、嫌われたりしながら)(笑)学んでいくのです。

つまり、相手は、相手のタイミングで、学び、成長していきます

あなたのタイミングで、相手の行動に変化を期待してはいけないのです。

教師が授業で一つの算数の問題の解き方説明をしても、

理解するまでに生徒それぞれ時間のかかり方が違うのと同じです。

(自分はすぐわかったのに!)

と思っても、相手がなかなかわからないのはどうすることも出来なかったはずです。

学びの段階は人それぞれ違うのです。

 

どうしても、相手に何か言いたいなら、例えば、

「なんか、気に障っちゃった?ごめんね~♪」

で、サクッと終了。

その後の相手の行動の変化は、

相手の課題ですから、あちらにお任せ。

あなたはあなたで、自分の心だけを、

車のワイパーのように

サカサカッとキレイに拭いて、

曇りのないガラスから外を見るようにするだけです。

相手のことを一日に何度も考えたり、心で繰り返し批判するのではなく

自分の心だけを見つめる

それが仏教的解決法のようです。

私を含め、仏教に詳しくない場合は、

ひどいことをしてきた相手のことなど思い出さず、

楽しいこと、うれしいことでも考えるようにする・・・それに尽きるようです。

 

脳科学を利用して解決するなら、

イヤなことに出会ったら、声に出して

「よかった!」とか、「ツイてる!」とか、言ってしまえばいいのです。

脳は、矛盾したことが理解できないように出来ていますので、

「よかった」と聞いてしまえば、無理矢理事実と一致させるために、

よかったことを勝手に見つけ出してきます。

その作用を利用して、少しでも楽になりましょう。

 

スピリチュアル的には、

いやなことが起こるのは、

魂が一つ上のステージに上がる時

と考えるといいでしょう。

あなたが強い心を持つための試練なのです。

 

これを経験したから、自分は成長出来る

この経験は、必ず未来に生かせる

やったぜ ♪ これで、自分はまた一つ大きくなった

 

そう前向きに考えて、自分の未来の成長に心をワクワさせます。

なぜなら、人間は、魂を成長させたくてこの地球に生まれてきているからです。

あらゆる思いを体験して、

あらゆる感情を味わい、

心・魂を成長させる、という目的があるのです。

だから、イヤなことを体験するのは願ったりかなったり。

 

どう考えても理不尽すぎることに出会うということは、

あなたの魂レベルがひとつ上がろうとしている目安です。

あなたが上昇して行こうという前向きな思いを持ち続ける限り、

そういった神さまのお試し試験のようなことが起きるのです。

レベルの高いあなたに解決出来る問題だからこそ、出てきた問題なのです。

「これほど理不尽なことがあっても、

あなたは自分を上機嫌に持っていけますか?」

そう問われている、そんなお試し試験です。

そのお試し試験にパスして、成長するあなたは、さらに輝きを増していることでしょう。

 

『引き寄せの法則』のような

宇宙の法則で解決する方法もあります。

この宇宙では、願いが叶って行く過程で、

一番苦手とすることに出会うことになっているようです。

いやなことが起こった、あるいは、

思っているようにことが進まなかったことは、

あなたがひとつ、宇宙貯金をした、ということ。

チャリ~ン

あなたの貯金箱に、ひとつ宇宙貯金が増えました。

(その分だけ、いいことが起こるぞ~~~!

貯まってるぞ~~~~~!)

と、未来を楽しみにして、心を上げてみてください

上機嫌を維持して、心底信じていることだけが引き寄せられます

『引き寄せの法則』は、脳科学をうまく利用したテクニックだとも言われていますが、

例えそれがテクニックであれ、現実として宇宙の法則であれ、スピリチュアルであれ、

未来に明るい思いを抱こうと言う考え方に関しては、

一つの困難の克服方法として、柔軟に、高く評価してもいいと思います。

 

今が底辺、ボトムなのだから、

あとは上がっていくしかない。」

という考え方もあります。

いまは、ジャンプするために、しゃがんでいる時、

という考え方です。

このことからは、もう、

いいことしか起きないのです。

底にいるのですから、あとは上るだけ。

究極にいやなことがあった後は、人間関係にも動きが出ます。

とても難しいことではありますが、

相手のことは許してあげて、笑っていればいいのです。

許すということは簡単なことではない、と言うより、一番難しいことですが、

許すことで、実は、何より自分が楽になるのです

 

また、決して詳しくありませんが、量子力学では、

現代の人間の想像をはるかに超えた極小単位が研究されています。

解明途上の極限の小ささで、予測不能な動きをする量子は、

それぞれ独自の振動数を持っているそうです。

人間も、原子や分子よりも小さい極小単位で成り立ち、

それぞれが違う振動数を持っていることを前提とし、

その振動数を上げていく・・・という方法で解決する考え方もあります。

難しい学問はわからなくても、

つまり、自分を構成する極小単位をイメージして

その一つ一つがエネルギーを増大させていく感覚で

気持ちを上げていき、自分の心を上昇させるのです。

この先少しずついい方向に転換していく

自分の未来に思いを馳せ、

ワクワクしながら、全身の細胞の

目に見えない最小単位のひとつずつのパワーを上げていくイメージを思い描くと、

エネルギーが満ち満ちてくるような気がしませんか?

少なくとも、ほんの少しのエネルギーの上昇を感じることは出来ると思います。

大きな声を出したり、

笑ったり、

踊ったり

おしゃれや、好きなことをしたり・・・・

そういったことでも振動数は上がるそうですよ。

(ちなみにこの学問の発展で、この先、

目に見えないものの不思議が解明されていくのは、楽しみなことです。)

 

また、究極にイヤな出来事は、

あなたに考えるきっかけを与えてくれます。

あるいは、この苦しさが、

あなたに心の勉強の世界に興味を持たせ、

自己啓発系の本などを読み漁るようになったりするかもしれません。

本当に自分はどうありたかったのかを

自問自答する機会を与えられます。

自分の心地よさよりも、

相手の心地よさばかりを追求し、

自分を大切にしてこなかったことへの反省に目覚めるかもしれません。

少しくらい、わがままになったっていいんです、きっと。

他者に対してナイスパーソンであり続けて、

心と体をこわしてしまったのでは、本末転倒。

心の痛みから、本当の自分らしさや、

本当の自分の求めている世界を追求するようになることがあります。

つまり、本当の自分らしさに帰るきっかけになるのです。

考えること、哲学することは、あなたを成長させてくれます

辛い出来事は、ありがたい経験なのです。

 

『鏡の法則』というのもありますよね。

鏡の法則では、

いやなことを言われるというのは、

実は、それは自分が一番思っていることで、

言われたくなかったこと

鏡の法則で、それを見せつけられている・・・という見方をします。

そして、そういう風に、

悲観的に自分のことを考えるのは卒業しよう。”

と考えるのがこの法則です。

 

また、あなたにいやな経験をさせた相手は、

あなたの心が成長するために、前世から約束して現れてくれた

あなたのソウルメイト、という考え方もあります。

この世に生まれてからは、その約束を忘れてしまっていますが、

実は、あなたにイヤな思いをさせたヤツは、

あなたが大きく成長するために、

とてつもなく嫌な役割を請け負って生まれてきた

あなたを愛してくれている、

ターニングポイントの重要なサポーターでもあるのです。

そう思うと、相手に対して感謝の思いすらわいてくるかもしれません。

そうなったらこっちのもの。

あなたの心はずっと楽になります。

 

また、言霊(ことだま)の力を使う方法もあります。

古来から、八百万(やおよろず)の神を信仰してきた日本人は、

全ての物に神が存在すると信じてきました。

八百万の神とは、“たくさんの神” という意味です。

そして、そのあらゆる神に感謝することで、人生が好転すると考えました。

神々に、「ありがとう。」いう感謝の言葉を発することで、

同じ感謝が自分に返ってくることを昔の人は知っていたのです。

つまり、口から発する言葉が、人生に大きな影響を与えている

ということに気付いていたということです。

大丈夫!

声に出して自分で自分の脳に繰り返し言い聞かせ、

大丈夫な現象を引き寄せてみてください。

前向きなあなたに、

前向きな波動が巡り巡って返ってきます。   

 

また、こんな話もあります。

あるお寺で、弟子が、庭掃除の後のゴミをどこに捨てようか思案している時、

師は弟子に伝えます。

「落ち葉は焚き木に、

小石はくぼんだ穴に、

残った土や砂は畑に。」

・・・・捨てるものは何もないのだと説きます。

物には無駄なものが何一つないという教えです。

あの人が嫌だ、これが嫌いだ、あれが不快だ・・・

人はあれこれ不平不満を言いがちですが、

人生の経験に無駄など一つもないと考えるのです。

宇宙、あるいは神様は、私たちの成長の糧、そして、

“幸せ” に変えるための材料しか与えない・・・

そういう考えも、私たちの心を緩めてくれる気がします。

 

さらに、これはちょっとのいる、

ワンランク上の解決方法になりますが、

いやな出来事に感謝してしまう、

という方法があります。

・・・中傷の言葉なんかに負けない心を持たなければいけない、

理不尽な攻撃なんかで、いちいち自分を落としていられない、

辛い出来事から、さらに苦しいことを引き寄せてはいられない、

私は成長するために、生まれてきたんだ

そのことに目覚めるために、このことは起きたんだ・・・・

大切なことに気付かせてくれてありがとう・・・・!)

そう思って、感謝してみてください。

感謝はあなたの心を救います

 

さらに、相当高度な技を要しますが、(笑)

いやな相手に感謝の意を示してみる

という方法があります。

“意地悪な人がいたおかげで、

あなたにナイスに接してくれる、

他の多数の人たちへのありがたさに気付かせてもらった”

という意味で、

意地悪してきた相手に感謝するのです。

憎いアイツ以外は、いい人達なのに、私たちはそのいい人達に感謝するのを忘れがちです。

ですから、たとえば、

がっつり傷つくようなことを言ってきた奥さんに、あるいはご主人に、

「いつもありがとう。感謝してるよ。」

そんな言葉を発してみるのはいかがでしょう。

・・・これは相当高度で、難易度が高いですね。(笑)

しかし、そんな技を駆使出来たら、もう、あなたは達人です!(笑)

 

イヤな経験は必ず未来に生かせます。

このブログを読んで下さっている方は、

今のこの苦しさを打開しよう、そう思ってこれを読んで下さっているのでしょうから、

そもそもが、前向きに物事を考えようという、上昇志向のステキな方なのです。

あなたはすでに、光り輝く魅力的な心を持っていらっしゃいます。

そんなあなただからこそ、必ず、辛い過去を生かすことが出来ます

経験を、プラスに変えてください。

 

最後にもう一つ。

今すぐできることがあります。

無理矢理、笑顔を作ってみてくださいね。

そして、顔の筋トレのごとく、それを維持してみてください

幸せだから笑うのではなく

笑うから幸せになるのです

まず、現実を作って、心が追いつく

そんな小さな努力も付け加えてみてくださいね。

 

今日も素晴らしい一日を!

 

蓮の花の修行

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仏教に詳しい方には当たり前の話なのでしょうが、

仏教には蓮の花の修行というのがあります。

聞いたことのない方の為に、ちょっと短いお話を。

 

世の中には、本当に色々な人がいます。

あなたの周りにも、

意地悪をしてくる人、

利己主義・自分本位な人、

わがままな人、

攻撃的な人、

ずるい人、

イライラしている人、

押しつけがましい人、

いつも暗く愚痴を言ってくる人、

図々しすぎる人、

・・・・いろんな人たちがいて、あなたを困らせているかもしれません。

 

(どうして私の周りにはこんな人達ばっかり・・・・。)

そう悩む皆さんは、今、蓮の花の修行中なのです。

 

蓮の花と言うのは、

泥水の中から美しい花を咲かせます

泥の中で、泥から栄養を摂り、

見事な花を咲かせます。

 

あなたは今、泥水の中にいるのかもしれません。

でも、そんな中にいても、

一輪だけ、

美しく咲き誇ることは出来るのです。

例え周りがひどい環境であっても、

それを栄養として

美しく咲く修行の真最中なのです。

 

周りの環境がどうであれ、

周りにどんなひどい人達がいようと、

あなたらしく、

美しい心でい続けて下さい。

全ての経験はあなたの栄養になります

あなたはそれを元に、

もっと優しく、もっと素敵な人に成長出来るチャンスの真っただ中にいるのです。

 

また、蓮の花は池の底で、実はその根が繋がっています

実は、全てはひとつなのです。

2500年も前から、今も新鮮に人々の心に響く

釈尊(お釈迦様)の教えなのですから、

深いですね。

その頃に、もう、

宇宙の法則に気付いておいでの方だったのでしょう。

あなたも、そしてあの、あなたのイヤなヤツ(笑)も、

この壮大な宇宙では、

元はひとつに繋がっているのかもしれません。

そもそも、祖先をずっとさかのぼって行くと、

計算上は間違いなく、全て血の繋がりがあるわけですしね。

 

泥の中から美しく咲くあなた自身を心に描き、

蓮の花の修行を楽しんでやってみるのも、

素敵な生き方かもしれません。

 

今日も、素晴らしい一日を!

 

 

教えるということ

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本職ではないのですが、

なぜか昔から、いろんな方の悩み相談を受けます。(;^_^A

なんで、私に?

というのが笑えるところですが、

子供の頃からその傾向があり、

子供なのに、同級生だけでなく、

大人に “マジ相談” を受けたり、

今も人生の大先輩たちからも相談を持ちかけられたりすることがあります。

当然のように、いつも、た~~~いした答えは差し上げられないので、

みなさん無駄な時間を過ごされたな・・・・と秘かに思ってしまいます。(笑)

ただ、色々な悩みを聞かせてもらっていると、

職場の人間関係の悩みっていうのは、

非常~~~に多い気がしています。

 

誰しも、学生時代はお金を払って学校に行っていたのですから、

ある意味こちらはお客さんの立場でした。

しかし、社会人になると、こちらがお金をもらっているのですから、

もうお客様の立場ではなく、

どうしてもイヤなこと、辛いことはありがちです。

(まあ、お金を戴いているわけですからね、多少の我慢はやむなしかもしれません。)

それだけに、学生時代まではなんとかうまくいっていたのに、

社会人になってから、人間関係で崩れてしまう方も少なくありません

 

仕事関係の相談で、よくある悩みの

上位は上司のことですが、

結構同僚に悩む方も多く、

さらには、意外にも、

部下後輩に悩む方も多いものです。

 

部下(後輩)のことでよく聞くのは、

あまり働かない、

覚えが悪い、

いいかげん、

態度が悪い、

素直じゃない、

ミスだらけ、

攻撃的・・・・

などなどですが、それは悩みと言うより、

部下への愚痴かもしれませんね。(笑)

 

部下(後輩)の悩みとしてよく聞くことのひとつに、

「せっかくこっちが教えてあげてるのに、いやな態度をとられるんだよね~。」

というものが結構~~~~あります。

「こっちは経験があるから、それを元に親切で教えてあげているし、

知っておけば楽になるから教えてあげてるのに、聞く耳を持たないのよ。」

・・・と、嘆いているケースがちょくちょくあるのです。

みなさんも身に覚えがないですか?

しかし、優しいあなたは、相手の態度が悪くても、

オトナな先輩として、ぐっとこらえて丁寧に

繰り返し(笑)教えてあげたりしているのではないでしょうか?

 

確かに、親切に教えている先輩や経験者に敬意を払わない後輩とは、

なんたる未熟者!

・・・と、断罪したくなりますが、

後輩には後輩なりに事情もあるようです。(笑)

聞きたくない理由があって、聞きたくないようです。

では、今日は、後輩の立場に立って

なぜ聞きたくないのかを探ってみましょう。

 

“教えてあげてる” という立場の先輩側を “あなた” と仮定して話を進めます。

そもそも教えてあげるというあなたの姿勢に、

実は、気付かないうちに、やや高飛車なものが潜在的にあって、

たとえ相手がかなり鈍感なタイプな人でも、

その上から目線が微妙~~に伝わってしまっていることが

往々にしてあるようです。

そもそも、ことばの響きも、

教えてあげる

教えさせて戴く

この二つには教える姿勢に大きな違いがあるのは一目瞭然でしょう。

あなたは「教えてあげる」という姿勢に傾いている時があるかもしれません。

(教えてあげる、でいいんじゃないの?

そこまで謙虚にならなくても・・・。)

と思うかもしれませんが、

あなたの心が出す波動は、そのままあなたに返ってきます。

例えば、あなたが習う側の時、

教えさせて戴く” と言う姿勢の相手から習ったのなら、

あなたはきっと、その教えてくれる相手の気持ちに答えようと、

一生懸命覚えようとするはずです。

 

「相手は教えてもらったら助かるに違いない。」

という狭い考えしか持ち合わせていない場合も、ちょっと惜しいケースです。

助かるはずだという思いも、実はあなたの考えであって、

実際はそうでもないかもしれないのです

 

そもそも、教えてほしいと思っていない相手に、

教えてあげる。」と思っていること自体、

実はおせっかいで、大きなお世話なのかもしれません。(笑)

相手はあなたに頼んでもいないのに

教えてもらいたくないなんておかしい。」とか、

習おうと言う謙虚さがない。」

とか否定されまくって・・・・・

相手にとっては、全く迷惑な話しかもしれません。(笑)

教えてほしいと思っていない人に、

指導するのは、実はおせっかいでしかない

実はそこに気付かないあなたの方が、

ちょっと惜しい人だったりすることもあるんです。

 

相手には相手のやり方があるのだから、

もしかしたら、そっちのやり方をやりたいのかもしれません。

でも、あちらは立場が下だから、

新人だから、なかなか言い出せない・・・。

なのに、自分が正しいと思っているあなたは、

正しさを通して教えようとし、

相手をさらに

(素直じゃないわね!)

・・・と、心の中でも否定しているから、

そんな派動が相手には実は結構伝わってしまっていることがあるのです

相手にとってはなんとも踏んだり蹴ったり。(笑)

相手から見れば実はあなたが空気を読めていない人になっているのです。

 

「じゃあ、出来ない後輩が、習おうともしないで、

失敗ばかりしてたらどうするんですか?」

っていう疑問がわきますが・・・・・

 

やってあげればいいんです。

 

相手は、出来ないんです。

あなたは後輩より経験があって、

今までやってきたから出来るんです。

「自分は先に終わっちゃったから、何か手伝おうか?」

と、やってあげてみるのも、本当の意味での先輩、経験者・・・であるかもしれません。

そのうち、後輩も覚えます。

ただ、人それぞれ、覚える速度も、才能も違います。

(私はすぐ出来たのに!)

なんて思うけど、相手はあなたではないのです。全く別の人格。

そこも、経験者として、理解してあげるのが人生の先輩としての懐の大きさになるのです。

 

やってあげたからといって、損はしてませんよ

否定的な派動を出さずに、

黙々と

淡々と

作業を続けてみてください。

手伝ってあげてみてください。

何年先かはわかりませんが、

それは、必ずやあなたの未来に跳ね返ってきます

出したものは、必ずあなたに返ってきます

形を変えて、

直接親切にした相手ではないかもしれませんが、

別の方向からでも、

あなたに返ってきます。

世の中は不思議とそんなふうに出来ていると思います。

出したものしか返ってこない

と言った方が腑に落ちやすいかもしれません。

意地悪をした人には、意地悪が返ってきます。

イライラした人には、イライラすることが返ってきます。

いつも愚痴を言っている人には、また愚痴を言いたくなることが返ってきます。

これは道理なのです。

 

さて。

何かを教えるのが大~~~好きな方々がいます。

教えている自分は、ちょっとかっこいい気もするし、

ちょっとした知識のひけらかしで、

優越感すら感じることが出来たりもする。

最近では、人前に出て、

ビジネスとしてセミナー的なことをやってみたい、

という方々も増えています。

なんか教えてる自分って、

ワンランク上の人を地で行っている感じ・・・・

そんな憧れを持つ方が結構いらっしゃるようです。

とくに、(失礼ながら)男性に多いのが、

「スゴイ!」と思われたいみなさん。(笑)

隠しているけど、実はそう思われたい・・・

「スゴイ!」と言われるのが大好き♪

そんな方、意外と多いですよね?

これを私は “男性の『スゴイ』と思われたい症候群” と呼んでいます。(笑)

教えることでスゴイと思われるのは、

なんとも自尊心をくすぐられます。

しかし、その指導も、相手にとっては助かる時もあれば、

求められていない時もある・・・。

自分が教えたいという思いだけで教えると

とんだ空気の読めない人になってしまったりもします。

あるいは、頼んでもいないのに教えたがる人には、

その空気の読めなさに、周囲が辟易していることもありがちです。

・・・難しいところですね。

 

人に教えたい思いというものは、なかなか通じないことも多いものです。

 

しかし一方、相手を思い、

(きっと相手のためになる)

と、思いやりと情熱を持って教えてあげようとするケースでも、

受け入れない相手もいるものです。

 

なぜ、教えようと思いやりを持っても通じないのでしょう

 

それは、

“教えよう” と思って教えているからかもしれません。

やはり、教えると言う言葉、あるいは、行為には、

どこかしら優越感とわずかばかりのおごり高ぶった心が

含まれているように捉えられることがありがちです

もちろんそれだけではないのにもかかわらず、

その部分を強く受け止めてしまう方々もいるということです。

だから、教えようとすると、それを敏感に感じ取った相手の中には、

今一つ素直に耳を傾けようと思わない方もいるようなのです。

人はそれぞれ精神の学びの段階が違うので、

受け止め方もまちまちです。

自分には当たり前でも、相手にとってはあり得ないことだったりすることもあるのです。

 

では、どうすればいいのでしょう

 

ひたすら助けよう。」と思って教えることだと思うのです。

教えてあげる、でもなく、教える、でもなく、

知っていることを知らせたい、というスタンスで十分なのです。

助けたいというあなたの愛情は、通じることがあります。

助けよう、という感情が 教えよう を上回った時、

人は心を開いて学びを得ようとすることがあるようです。

その時に初めて教えたい者と学びたい者の需要と供給が成立し、

習う側の血となり肉となるのです。

ひいては教える側の負担が減り、自分にプラスになって返って来ることになります。

 

人は往々にして、親切のつもりで、

押し付けがましく

何かしてあげようとしてしまいがちですが、

相手が求めていないかもしれない

というところまで見抜く力がないと

それはただのおせっかいで終わってしまいます。

親切にやったつもりが、

人間関係すらこわしてしまうこともあるのです。

人と人とのコミュニケーションを円滑にするには、

時として、見抜く眼力(がんりき)が求められるようです。

しかし、その眼力が備わらないうちは、

助けよう、という思いでひたすら教えさせて戴く・・・

その姿勢に、人間同士の心が共鳴しあうような気がします。

 

最後に補足ではありますが、もちろんみなさんご存じの様に、

習う側になった場合の心がけも大切ですよね。

相手の貴重な知識を戴くわけですから、教わる側は常に

習う、というより

教えて戴く、というくらいの姿勢は必要でしょう。

その姿勢が、必ずやあなたの力になり、

知識はあなたにしみ込むように吸収されていくはずです。

 

日一日と、素敵な人間関係を築いてくださいね。

 

今日も素晴らしい一日を!

 

逃げたって、いいんですよ。

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日本人は根性ものが大好きです。

私の世代なら、根性ものと言えば、『巨人の星』、『アタック No. 1』などは

知らない人がいないほどの爆発的大ヒットTV アニメです。

(世代、バレバレですね?)(笑)

 

『巨人の星』の主人公・星 飛雄馬(ほし ひゅうま)は、

野球のスゴイ大選手になるために、

父親から地獄のトレーニングを受けながら育つのですが、

知る人ぞ知る、“大リーグボール養成ギプス” という

筋肉養成のための秘密兵器が自宅にあり、

家ではエキスパンダーのようなその装具を体に付けさせられ、

箸や茶碗を持つのにも筋肉を使わなければ食べられない、

という徹底したトレーニング生活を送ります。

しかも、甘えの見られる飛雄馬に、父親はちゃぶ台をひっくり返して怒ります。

そして、それを影で涙を流しながら見守る姉・・・。

結果、飛雄馬はシャキーン!と足を高々と上げた独特なフォームから放つ、

スゴイボールを投げる大選手へと成長を遂げるのです。

(実は、ちゃぶ台ひっくり返しシーンは、シリーズの中で一度しかないそうなのですが、

そのスゴさは、現代でも語り継がれるほど、世代を超えて有名なシーンですよね。)

 

『アタック No.1』の主人公・鮎原こずえは、

苦しい練習中に体力の限界でヨヨヨ・・・

と、寛一お宮のお宮のように

バレーボールのコート内で倒れるのですが、

それでも鬼コーチはバシバシとボールを打ち続けます。

(も、もう、立てましぇ~~~~ん・・・。)

な状態なのに、

泣きながらボールに立ち向かう鮎原こずえの姿に

日本中が涙し、応援しました。

そして、その大人気アニメを見て、

どれだけの女子が、鼻息荒くバレー部の門を叩いたことでしょう。(笑)

 

そんな、今となっては、お笑いのネタに持って来いの代物を観て、

日本人は真剣に涙を流して感動していました。

それくらい、日本人は根性ものが大好き。

がんばる姿、マジ、リスペクト。

がんばった人だけが成功する・・・そう考える風潮があります。

現代でさえ、他民族と比較しても、日本人は努力をとても美化する国民の気がします。

 

がんばれ

あきらめるな

途中でやめるな

最後までやり通せ

根性

耐え抜け

我慢しろ

歯を食いしばれ

死ぬ気でふんばれ

まだ努力が足りない

(おっと。昨今では、“気合だ、気合だ、気合だ~”・・・も、加えないといけませんね。)

 

こんなアツい言葉で励まされたのでは、身も心ももちましぇ~~~~ん・・・・(笑)なのですが、

日本人には、これらの言葉を言われたことのない人はいないくらい、

当たり前のセリフでもあります。

そして、日本人は、人生はそうやってがんばって

生きて行かなければいけないんだ、

と、マインドコントロール的に信じさせられて、

前向きにがんばって生きてきた人が多いのではないでしょうか。

がんばれないヤツはダメダメ人間・・・

そう考える人たちが多い気がします。

ある意味、現代まで続く、国民的性分かもしれません。

 

がんばること勤勉、を幼い頃から教え込まれて育った日本人は

その副産物として、世界に名だたる素晴らしい製品を作り続けています

戦後の混乱、混沌からここまで這い上がれた国は、世界に類を見ませんし、

この、国民総がんばり屋さんの国だからこそ、

成し遂げている快挙でしょう。

現代の日本人も、“困難に立ち向かい続け、

がんばり続けなければ成功はない

・・・という、西洋的な教育を受けてきていますので、

このがんばり思想は完全に板についているようです。

(寺子屋で教育を受けていた時代は、生活に必要な学問だけを身に付け、

競争ではなく、その子その子に合った適正を見つけて

それぞれにふさわしい方向性を模索し、指導する、

というのが、日本的教育のあり方だったのです。

他者と比較し、競争し、周りを蹴落としてでも努力して

成功の道を上がっていくという思想は

実は西洋の教育が入ってきてからのことになります。)

 

しかし、素晴らしい副産物を生み出す西洋的教育を受けた現代の私たちだからこそ、

教わって来なかった、もうひとつの大切な生き方があります。

 

それは、

逃げる

という解決方法です。

 

“逃げる” と言う言葉には、

日本人は極端に拒絶反応を示すような気がします。

それは、がんばり思想を植えつける教育を徹底的に受けてきたこと

忍耐を美徳とする国民性に起因する気がします。

 

逃げるのは卑怯なこと、

悪いこと

ずるいこと。

逃げるのは敗北、

負け犬のやること、

逃げたらおしまい。

・・・などの相当なマイナスイメージが付いて回ります。

 

しかし、そうなのでしょうか?

 

弱肉強食の食物連鎖の中では、小動物は、命を守るために、

強い動物が来れば、逃げます。

人間界と違って、これは当たり前のことです。

でも、人間だって、時として逃げて自分を守ることが必要なのではないのでしょうか。

 

ウサギはライオンと戦ってはいけない

と私は思うのです。

ライオンに会って、いくら勇敢に虚勢を張ってみたって、

食べられるのがオチです。

別々の場所にいるべきものなのです。

 

ライオンから逃げると、次にトラに会うこともありますが、

ライオンの経験があれば、またひとつ違った対処が出来るようになっているので、

トラのうまい扱い方に気付くことがあります。

敵から逃げたとしても、離れたとしても、

実は少しずつ成長しているものなのです

 

一番大切なのは、ライオンに会っても、トラに会っても、

ウサギのままでいることだと思います。

ウサギのまま逃げればいいのです。

他人に合わせて、自分を抑え過ぎるのではなく、

あなたはあなたが欠点だと思っている

自分のの持って生まれたよいところを生かした方がいいのです。

 

 気が弱いのは欠点でなく、あなたの誇るべき特徴です。

優しいから、相手に対して強気で出ないのです。

他の人にない、愛を持っているのですから、

愛で人から喜ばれる存在になれます。

 

優柔不断のウジウジさんも、

それは欠点ではなく、

慎重丁寧にものごとに取り組めるという長所でもあります。

コツコツやる場面で、あなたの長所はとても重宝されます。

 

臆病も欠点ではありません。

臆病だからこそ、急ぎ過ぎず、きちんとした準備ができるのです。

準備のいい人は、随所で人のお役に立てます。

 

日本人は、逃げる、という選択に、後ろめたさを感じる場合が多いようですが、

体や心が壊れるほど、耐え続けてはいけないのです

 

逃げても、いいんです

 

ほんの10cmよけるだけで、

車にひかれなくて済むこともあります。

ちょっとよけるだけで、全然違う結果になることがあるのです。

逃げるか留まるかの判断はあなた次第ではありますが、

車に体当たりする必要は全くありません

ビルの工事現場から何かが落ちてきたなら、逃げればいいのです。

よけれた自分をラッキーだと思えばいいのです。

 

逃げてください。

よけてください。

さっと背中を向けて、別の方向へ向かってください。

 

ただ、私の言う、“逃げる” というのは、自分(=命)を守るために逃げるのであって、

命を絶つという選択肢は含まれていません。

逃げるあなたは、他者に誇れる素晴らしい特徴を持っているのですから、

したたかに生きて、それを生かさなければいけません。

 

それでも、逃げる、という言葉になんとも違和感があり、

納得いかない方は、

どうぞ、卒業、という言葉を使ってください。

 

あなたにとって、とんでもない相手との修行は、もう終了。

あの人との、あの場所での経験からは、

学ぶことは全て学び、修了しました。

だから、

あの人からは、今日を限りに、卒業します!

そう、高らかに宣言して、自由と安全な場所を満喫して下さい

なぜなら、人は誰しも、

幸せになるためにこの世に生まれてきたのですから。

 

優しいあなたなだけに、がんばり続け、

耐え続けてきてしまったかもしれません。

 でも、いいんですよ。がんばり続けなくても。

あの人と、もう、一切付き合わなくてよくなる・・・

そう思ったらスッキリしませんか?

もしくは、

自分に向かないことを頑張り続けることに、

前向きな卒業をしたら、

胸のすく思いになりませんか?

 

逃げたって、いいんですよ

 

たとえ逃げても、新たな修行は出てくるものです。

新たな修業への変換時を、自分自身で決めるだけなのですから、

許されるのです。

人それぞれ、一旦、羽を休めることが必要な時はあるのです。

逃げるという選択肢を、ぜひ、頭の片隅に置いておいてください。

 

ただし、逃げた時(=卒業した時)に、

ひとつ忘れてはいけないことがあります。

その、とんでもない相手から解放されたということを

心から喜ぶことです。

あるいは、がんばり過ぎをやめて解放されたということから来る、

心の平静を満喫することです。

 

離れたのに、やめたのに、

まだ、ぐちぐち、ぶちぶち、言っているのでは本末転倒です。

サクッと切り替えて、思いっきり喜んで、

平和と安心感を味わってください

(もう、離れたんだから、あの人とは一生付き合わなくていい。)

(もう、やめたんだから、あの苦しいことはもうしなくていい。)

そうイメージして、

さっぱりした気持ちで忘れちゃってください。

ね?スッキリ、いい気分がするでしょう?

いいんですよ、それで。

 

一つの問題から卒業した自分を責める必要はありません

新しいステージで、新たなウサギの冒険を始めてください。

あなたは、そのままのあなたで本当にステキな存在なのですから。

 

今日も素晴らしい一日を!