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失敗したから、いいんじゃない?

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実は私、最近、家探しをしているんです。

現在の家は経年劣化がところどころ見え隠れする上に、そもそも、もう収納が追いつかない。

それに、もう少し都心に近い家の方がいいな・・・・

そんなこんなで、物件や土地情報を見ては、息子とあちこち出かけています。

 

家を見て歩きながら、ひょんなことからの小さなアクシデントで、

ふと、『失敗』について、私の考察を話してみたくなりました。

『家』と『失敗』って何の脈略もないようですが、

読んでみなさんの心が少しでも軽くなったらうれしいな・・・・そう思ってアップしてみます。

 

☝ こんな家なら、クラシックでも聴きながら、格調高く朝ごはんを楽しめそうですね(笑)。3LDKとか4LDKとかいう言葉自体がぶっとびそうなインテリア・・・。でも、夢だけは、見ましょう。

リビングは、こんな感じにしようかしら。オホオホ。(ウソで~す。)

 

さて、先日のこと。

ネット情報を見て行ってみたところは、駅に近いのに、閑静な住宅街で、とっても住環境がよさそうです。

しかし、東京は都心に近づけば近づくほど、住宅街の道幅がものすご~~~~く狭いところがたくさんあります。

そこも、物件とその周辺はとてもいいけれど、近隣の道が狭すぎて、(う~~~~ん・・・。)と思いながら

息子の運転で夜道を帰路に就こうとしました。

 

その時、車一台がギリギリで通れるところに対向車がやってきました。

車が一台通れば、人は通れない、そんな道幅です。

それでも息子はすぐにバックして道を譲ろうとしたのですが、

ボコッ!

なんと、細い道路ギリギリに、民家の塀からはみ出した木の枝に隠れて、電柱が立っていたのです。

電柱はびくともしていませんが、バンパーがへこんでしまいました。

実は、うちの家族はいつもとても車に関して運がよく、誰も擦ったりぶつけたりなどすることがないのです。

それだけに、息子は内心相当ショックで、

「うわ~・・・・。萎える~~~~。マジ、一気に気分が下がった。」

と、ザンネンな気分が隠せません。

「まあ、バンパーだけで済んで、よかったんじゃないの?それに、電柱だからよかったよ。

これが側溝だったら大変だったよ。」(笑)

と、私。

しかし、息子は、

「まじ、一気にこの辺に住む気がなくなった。ここは、やめよう。

自分みたいな車をぶつけない人ですらぶつけてしまうような道路なんだから、住むのはダメだよ。」

と。

 

まあ、普通はそうですよね。まさに、ありがち。

これから新たに新居を構えようという時に、いきなりトラブル・・・

(あらら、これ、前途多難ってこと?)

と、つい縁起が悪いようにとらえてしまいがちです。

 

しかし、失敗をした上に、それを材料に、

自分の選択肢を狭めるってのは、いかがなものでしょう。

失敗(マイナス)x 選択肢減少(マイナス)・・・・って、

計算したらなんとなくプラスになりそうでも、

マイナスでしかないのです。

損に損を重ねる、と言ったらいいでしょうか。(-_-;)

 

失敗を理由に、自分をマイナスの方向に持って行っては、もったいない!

・・・・私はそう考えます。

よく、何か失敗したり、イヤなことを経験すると、人は後悔します。

でも、私は後悔もしないことにしています

(これはこれで、いい経験だった、いい勉強になった。)

無理矢理そう考えます。

だって、マイナスのことが起こった上に、後悔までして時間を使っていたのでは、

二重に損をしているのですよ~。

失敗した時間が1時間だったとして、後悔している時間が9時間あったとすれば、

あなたは、あなたの大切な命を、

一度の失敗で、10時間もマイナスのことに使っていることになるのです

失敗だけで1時間も使ったのに、後悔する時間も費やしていたのでは、二重に損ではありませんか?

そんな損だらけ人生、やってられませんよ~。(笑)

 

やはり、

「バンパーだけでよかった。側溝でなくて、よかった。」

などと、よかった思考をここで発揮しなければ、無駄にイヤな気分で時間を費やしてしまいます。

よかった思考は、あなたの心を軽くしてくれますよ。

 

    ☟ 興味のある方は、クリックしてね 

    「よかった!」のすすめ 

 

悩んだって、後悔したって、車は結局修理しなければいけないのです。

どうしたって、しなければいけない出費なのだから、気持ちよくサクッと払ってしまった方が、

実はその後の収入も不思議と入ってきやすくなる気がします。

(税金だって、なんだって、出さなければいけない出費にイライラしたり、腹を立てたり・・・

ありがちですが、どうせ出さなければいけないのに、その時間と心の使い方、

もったいなくありませんか?)

必~ず出さなければいけないものですよ?怒り、悩む必要がないのではないでしょうか。

さっさと払って、次に行く方が、運命も好転するはずです。

失敗したことが失敗になるのではなく、

悩んだり、後悔したりすることこそ、本当の意味での『失敗』になるのです

 

そうは言っても、なかなか簡単にはサクッと次に行けないのが普通です。息子も、

「やっぱり、あんな狭い所を毎日通ることになるんじゃ、いくら家の周りが広く作られててもダメじゃない?」

と、マイナス点を見つけています。そんな彼に、私は、

「君、君ィ(笑)。ぶつけたのは、君の車ではなく、私の車だし、修理代を出すのも私なんですけどぉ~?

そっちが(気分を)下げちゃってどうするの~?

それに、今はこの通ってきた道しか知らないけど、反対側を通って少し遠回りすれば、意外や意外、

通りやすい道もあるかもよ?まだ、その辺もわからないしね。

失敗を理由に選択肢から外す・・・ってのはやめにしましょうぜ。」

 

そう、失敗は責めませんが、生かしてもらわなければ困ります。(^_^)b

都心にはこういうところもあるんだ、と、知っただけでもひとつ成長したことになります。

私:「ぶつけたのに、お金も使わなくていいなんて、オレ超ラッキー♪とでも思って、

あとは、勉強になったな~~~~、にしてくれないと、

わたくしも生きたお金の使い方にならないんですのよ~?(笑)

失敗した上に、だからこれは出来ない、とか、マイナスの方向に行動を狭められたんじゃ、

こっちがやってられませんがね~。(笑)」

 

私の家探しに、運転手として付き合ってくれているのだから、私はそれで十分ありがたいだけですし、

こういうケースでは息子には払わせません。

大のオトナに甘やかしすぎ、との声も聞えそうですが、手伝ってくれていた上でのたまたまのアクシデントですから、

それは私的には責める対象にならないのです。

 

人は、(失敗した時などに)目の前に起こった現象に、動揺したり、右往左往するものです。

でも、当たり前のことですが、

起こった現象は、起こってしまったのです

それが、自分が起こしたことではなく、周囲が起こした現象だったとしても、

とにかく、あなたの目の前に起こってしまったのです

時間は戻せません。

あなたのすべきことは、それをマイナスの方向に変えないこと

マイナスの判断をする材料にしてはいけないのです。

いい勉強になった、と、やはり、出来るだけ早い時期に立ち上がること。そして歩き始めること。

それだけなんです。日々、その繰り返しなだけなのです。

 

失敗したから、学ぶチャンスを得たんですよね。

後悔してないで、学べばいいのです。

「あの失敗があったから、今、これが出来るんだよね。

ホント、全てが見事にうまく組まれてるね~、自分の人生。ありがたいな~。」

・・・・全てをそういうふうに考えていければ、

きっと心が軽くなりますよ。

 

失敗について、別の話をもうひとつ。

職場などでも、ありがちなケースですが・・・

よく、ミスばかりする人がいて、

その同僚(部下)などの尻拭いで散々な目に合っている、

という方々がいらっしゃいます。

しかし、そういう不注意な相手に、確認しろ、ちゃんとやれ、

と、いくら教えても、なかなか相手は直りません

だって、性分なんです。

出来ないんです、その人。(笑)

相手を変えようとしても、実は、

相手が自ら学ぼうと目覚める日が来ない限り、相手は変わらないですし、

他人は変えられないのです。

 

ただ、そういうミスを繰り返すことで、周りに嫌われ、仲間からの信頼も失っているのであれば、

愛を持ってミスを指摘することは必要です。

ただし、指摘するだけ。

相手が向上することは一切期待してはいけないのです

期待があなたを苦しめますから。

ミスを繰り返す同僚が、他人に迷惑をかけていて、それに気づいていないなら、

ただ、教えてあげましょう。

知らせてあげるのが、愛です。

で、そこまで。

相手が変わるかどうかは相手にお任せします。

向上しようとしなければ、その人自身がどんどん嫌われてしまうだけなのですから、

知らせた後は、相手が変わろうと変わらなかろうと、それは相手の問題。

 

こちらはカバーばかりしてバカバカしい気もするかもしれませんが、

出来ない人と一緒に働いているのですから、

その起きている現象は粛々と受け止めましょう。

相手は、周囲に嫌われて、いつの日か気付くかもしれません。

でも、それは、相手のタイミングで起こる変化

あなたのすべきことは、淡々と、何が起ころうとも、

目の前に起きている現象を受け止めること

一つの現象を、

(いやだな・・・。)と思うのも、

(あいつ、またやっちまったな・・・。もう、面倒みきれないよ。)と思うのも、

(ああ~~~、こんなダメダメ君の尻拭いがあるから、いい修業になるな、このオフィス。)

と思うのも、全てあなた次第。

(このままで行くと、退職までには後輩から “仏” と呼ばれるくらいに

デキた人間になれそうだな。いや、“神” 、って呼んでもらえるかも?)

と思ってワクワクしていてください。

現象は一つなのに、あなたの受け止め方で、あなた自身の居心地が違ってきます。

 

生きていると、辛いこともあります。

苦しいこともあります。

失敗でズタズタになることもあります。

それでも、あなたの人生。

起こったことは起こるべくして起きたのです。

どうせ生きて行くのなら、その全てを、“よかった、よかった” の人生に、

自分の力で変えて行けた方が幸せですよね。

受け止め方次第で、失敗はあなたのプラスになりますよ。

せっかく失敗したなら、それを生かしちゃってください。生かさなきゃ損です。

 

今日も、素晴らしい一日を!

 

 

 

 

 

#失敗 #家探し #バンパー #よかった思考 #選択肢

一万人達成に感謝を込めて♪

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親愛なる読者の皆様へ

 

たくさんの悩める方々を元気付けたくて、

そして

ステロイドの副作用で苦しむみなさんを励ましたくて、

ちょうど半年前に数人の友人にブログを始めたことを知らせました。

小さな小さな一歩でした。

そして、昨日ふと、

読者の方が10,000名に達していることに気付きました。

 

た~いしたことも書いていませんのに、

皆さんが、愛ある行動でシェアしてくださったことや、

温かい思いで読んでくださっているおかげ様です。

 

特に、ステロイドの副作用で苦しんでいる患者さんを

これ以上増やさないためにも

このブログが広がってくれることは、

一人、また一人、と

未来の患者さんを

救うことになるかもしれないので

私にとって悲願でもあるのです。

実際、このブログを通してステロイドの恐ろしさを知って下さった方が

日に日に増えていることも実感として感じ取れますし、

皆さんが温かい思いで拡散してくださっているからこそ、

こういった大切な真実の情報が、

木がその根を少しずつ張って広がっていくかのように、着実に広まっているのです。

ありがたくて仕方ありません。

 

数字は全然関係ないと思っていますが、

一万達成を区切りに(達成という言葉は大げさですので、到達?)(笑)

今日はせめてもの感謝の気持ちを伝えたく、したためています。

 

たまたま、あちこちから

このブログを読んで、

「ちょうど必要だった内容が、パーフェクトなタイミングで入ってきた。」

「今、悩んでいたことの答えがあった。」

「なんで?と不思議になるくらい、いつも自分にぴったりのタイミングで、

現在の自分に関連したことがアップされている。」

「不思議なほど、自分の今の気持ちを代弁している内容だった。」

などとという、スゴイ奇跡の報告がいくつも届いています。

 

必要なものが必要な時に入ってくるということは、

(最近はご存知の方も増えてきましたが)

シンクロニシティーと言って、

「意味のある偶然の一致」とも訳され、

宇宙からの大切なサイン(お知らせ)のようです。

つまり、みなさん自身が、日ごろ、

なんとか上昇しようと前向きに生きていらっしゃるからこそ

そういった奇跡を体験出来るようなのです。

日々を楽しく生きようとステキな努力をされているということは、

神さまや宇宙の意向に沿っていて、

生まれてきた意味に即していることにもなるでしょう。

だからこそ

あなたの歩んでる道のりは間違っていませんよ

そのまま続けて明るく進んで行ってくださいね。」

という天からの応援の声の代わりに

そういったお知らせを受け取ってらっしゃるのです。

そこに、私の力は全く及んでいません。

あなたが素晴らしい生き方をされているからこそ、

奇跡のようにシンクロが起こり、

奇跡のようにサイン(お知らせ)を受け取っていらっしゃるのです。

奇跡を起こしているのはあなたなのだと気付いてください。

あなた自身が奇跡を起こせる方になっているのです。

 

  

 

こんな素晴らしい読者のみなさんと、

このブログを通して出会えたことに、

心より感謝を込めて・・・・

ありがとう

ありがとう

ありがとうぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!

心から、お礼を言わせてください。

 

あなたのおかげで、

私は今日も、

幸せです。

 

今日も素晴らしい一日を!

 

P.S.  シンクロニシティについて、スピリチュアルな補足説明です。(お嫌いな方は、とばしてくださいね。)

人は誰しも、魂を成長させたくて、(今世はこれとこれを克服したい!)と思って生まれてくるようですが、

そのプログラムしてきた成長のための、ふさわしい道・線路などに乗っていると、あちこちでシンクロが起こるそうです。

たとえば、悩んでいたこと、困っていたこと等の答えがふっと電車の中吊り広告にあった、

ふと聞いたラジオから流れていた、

ふとレストランでとなりに座っていた人の口から、求めていた答えが出てきた

・・・などなど、偶然の一致が次々起こるようになるそうです。

 

ひどいことを言われてしまったあなたへ

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人の気持ちなど、慮る(おもんぱかる)こともなく、

言いたいことを言いたい放題に言って他人を攻撃してしまう人々がいます。

どこにでもいるものですよね、そういう人って。

 

言った方は、すっきりしているのでしょうが、

言われた方はたまりません。

ましてや、争ったりすることが苦手なあなたは、

こちらからは攻撃していないのに、

あちらからは猛攻撃されたのですから、

やられっぱなしのサンドバッグ状態で、

やり場のない心もズタズタ。

それでも、優しいあなたは言い返すことも出来なかったのですから、

ただただ、言われたイヤな言葉が、頭の中に蘇っては

何度も何度も繰り返してしまう・・・・。

本当に、体に悪いくらい、イヤな経験ですよね。

 

特に、私のブログを続けて読んでくださっているみなさんは、

思いやりがあって、優しい派動を出している方々が多いと思いますので、

傷つくようなひどい言葉を一方的に受けたことは、何度となくあることでしょう。

(“派動” とは、その人の “雰囲気” として感じ取れるもの、とご理解戴くのがわかりやすいかもしれません。)

このブログも、私と同じような派動を出しているからこそ読んでくださっているのであって、

これが違う派動だと、そもそもしっくり来なくて、読んでいられないでしょうから、

優しさゆえにそういうった辛い経験をされているあなたのことは、よ~~~くわかる気がします。

 

「そんなひどいことを言うような性格の悪い人、

付き合わなきゃいいでしょ。」

とアドバイスされることもあるかもしれませんが、

キツイ性格の相手が職場の同僚だったり、

上司だったり、

あるいは家族だったり、

どう考えても離れられない関係にあると、

それはもうただただストレスで、

心さえ病んでしまいそうになるほど、恐ろしい記憶となります。

 

(もっと、なんとか言い返してやりたかった・・・!)

(私は攻撃してないのに、丸腰の人をどうしてあそこまで責められるの?)

(私がやり返さないのを知ってるから、

強気であんなひどいこと言うのね・・・。)

何度もその場面を思い出し、

繰り返しそのことを考え

どうにかしてあの人に、あれはひどすぎる言い方だった、と反省させたい。

もう、あんな攻撃は二度とされたくない。

私に、あんなひどい言葉を浴びせるのはお門違いだとわからせたい・・・。

そんな風に、何度も何度も思い悩んでしまっていることでしょう。

 

ただ、結論から言いますと、

相手は・・・・・変えられないのです。(ごめんなさい・・・。)

どういうことかと言うと、相手の行動は、相手の課題なのです。

あちらが、そういった、人を傷つける言動をし続けて、

周囲がどういう反応をするか、

そこから、あちらはあちらで学ぶのです

あなたにキツイことを平気で言えるような人は

他でもキツイことを言っています

そういうことが出来る人なのです。

そういう付き合い方しか出来ない人なのです。

 

キツイことを言われても平気な太い神経の方も一部にはいますが、

傷ついて、ただただ耐えている優しい皆さんのような方々もいるものです。

ですから、相手がたくさんの人を傷つけた行いは、形を変えて

必ず、本人になんらかの形で返ってきます

ちょうど、池に投げた石の波紋が広がってから、ゆっくり中央にもどってくるのに似ています。

投げかけたものが、投げかけた人に返って来るのです。

その時、人は学びます

ですから、そんな身勝手な人々の行動を変えようとするのは、

あなたの役割ではなく

その人本人の課題なのです。

どこまでも、他人は変えられません

説得して、なんとか変えようとしても、

本人が自ら納得して気付くまでは変わりません

変わったとしても、あなたが変えてあげたわけではないのです。

相手が勝手に変わったのです。

相手が変わることを期待すると、あなたが苦しくなるだけです

 

ですから、

あなたがやるべきことは、

淡々と、

そういう理不尽な、あるいは意地悪なことを言えるような人の言動を

そして、そんなことを言っちゃえるような無神経な人のことを

自分の思考の中から排除して

別な明るいことを考える、という努力だけです。

自分の脳をコントロールできるのは自分だけ。

何を考えるのかはあなたの自由

あなたにしか出来ない選択

つまり、いやな事を言ってきた人のことを考えない

という努力をして戴きたいのです。

 

(そう言っても、あれほどひどいことを言われたんだから、

何度も思い出してしまうものは仕方ないでしょう。

頭から離れないから、こうして傷ついて悩んでるのに・・・。)

と、思われるかもしれません。

しかし、実は、イヤな思いをしているのは、ひどいことを言った相手のせいではなく、

あなたの捉え方に原因がある・・・・ということを知れば、

繰り返し思い出すほどのことでないことに気付くかもしれません。

 

では、ひどい言葉も、あなたの捉え方次第で、全然違って聞こえてしまう実例をお話ししましょう。

つまり、ひどい言葉で傷ついたと思っていても、実はそれはあなたの心が「ひどい」と思っているだけで、

実は、ひどい言葉ではないのです。

(へ?ど~ゆこと~?)と思われますよね。

この事に関しては、私の尊敬する日本一の金持ちの 斎藤一人さんが、

とてもわかりやすいお話をされていました。

 

上司に、毎日、「このバカ野郎」などと怒鳴られている人がいるとします。

それはもう、プライドもずたずたで辛いですよね。

バカ、と聞くたびに、グサッ・・・。またバカと言われて、グサッ・・・。

 

しかし、もし、バカと1回言われるたびに、1万円もらえるとしたら・・・?

バカ、と言われて、(よっしゃ、1万円ゲット!)

そしてまたバカ、といわれて、さらに1万円!

次に言われたらまたまた1万円。

(おいおい、今日はもう3万円行ったぞ~~~♪

あと何回言ってくれるかな~♪)

と、わくわく・・・♪。

同じバカという言葉がワクワクでしかなくなるのです。

もし、ホントに1万円もらえるなら、

バカという言葉で(おっしゃ~~~っ!)というくらい、

うれしくなると思いませんか?

つまり・・・・

あなたは、バカという言葉に傷ついたのでなく、

あなたの捉え方で傷ついているのです

 

・・・・こういう考え方をすると、相手のひどい言葉も

あなたが別な捉え方をすれば、(つまり、言われた言葉をただの現象と捉えれば)

相手は相手の行動に見合った人生修行をするのだから、

こちらは、こちらで楽しく生きるだけ。

そうすれば、「イヤな経験を思い出さず、他の楽しいことだけを考えよう!」

という努力が、易しく出来ると思いませんか?

 

特に、「笑顔で、明るく、人に親切にして楽しく生きて行こう!」と心底決めた人々には、

不思議と、これ以上ないというくらい、理不尽なことを言われたり、

理屈で到底解決できない、ひどい目にあってしまうようなアクシデントに見舞われたりします。

多分、神さまが、あなたにさらなる成長をしてほしくて、与えて下さっている素敵な修業なのです。

 

どんなひどい状況でも、あなたが腹を立てることなく、

理不尽だったのだから、

くよくよ悩む必要は全くないのだ。

いい経験だったし、

あの人はあの人で、

あの態度と行動で、自身で学んでいくから、

私は私で機嫌よく、明るく生きて行こう・・・・。)

そう思えるかどうかを、神さまは上から見ている気がします。

 

また、そんな理不尽なひどいことを言われて、

自分の波動を落としてしまうと、あなた自身がその低い波動の未来を引き寄せます

行いは、形を変えて自分に返ってきますから。

そんなの、ばかばかしいですよね。

 

『復讐するは我にあり。』

という言葉があります。

ただの小説や映画のセリフではありません。

我、とは、神さまのこと。

『我これに報いん。』

と、言葉は続きます。

あなたはやり返したり、相手をやり込める為にあれこれやらなくても、

神さまはちゃんと、人を傷つける生き方をしている人達を見ていて、

その人達がそれに見合ったことを経験することになるのをご存知なのです。

いやなことを言われても、それをただの「言われた」という現象ととらえ、

成り行きを天に任せ、

あちらはあちらで勉強して、成長するから

こちらはこちらで明るく前向きなことを考えよう・・・と生きて行くだけでいいのです。

 

ひどいことを言って来た人に

「いい勉強をさせてもらった。」と、相手ではなく、自分にだけ焦点をあてる。

どこまでも、主役は自分です。

相手に振り回される人生にしてはいけないのです。

 

さらに、スピリチュアル的ではありますが、

あの人は、私の魂を成長させてくれる為に、わざわざ悪役を買って、

この世に生まれ出た、大切な役割を担ってくれたソウルメイトなんだ・・・・。)

と、相手の魂に感謝する・・・・。

そうすると、相手の守護霊さんですら、あなたの強い味方になってくれるようですよ。

そして、そこまでいけたら、完全に、相手はもう、イヤな人でなくなっているはずです。

 

今日も、素晴らしい一日を!

 

 

 

 

P.S. 私は無宗教ですが、どこかに神さまはいて、私たちに平等に愛を注いでくださっている・・・と信じています。その方が、きっと幸せですから♪

 

 

 

#斎藤一人 #イヤな人 #サンドバッグ #魂 #とらえ方 #キツイこと #思考 #理不尽

だれもいない公園

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このブログの読者第一号であり、

私の大切な友人、のりちゃんの素晴らしい詩を紹介させてください。

 

のりちゃんは、脳性まひで生まれたため、一級の障害を持っています。

 

何をするのにも不自由があり、

何をするのにも少しだけ時間を要します。

生まれながらの骨格のせいで、常にひどい腰痛もあります。

障害をよく知らない人々が、ジロジロ見ることもあります。

健康で、病気を知らない私たちには、察しきれない思いをしながらの人生なのに・・・

それでも彼女は

とても澄んだ美しい目

いつも笑顔です

それはそれは、美しい、心の洗われるような笑顔です。

どんな時にも、周りへの気配りを忘れず、笑顔を向けてくれる、そんな女性がのりちゃんです。

 

頭のいい方なので、私が

(のりちゃんの、あの詩をいつか紹介したいな・・・。)と、ずっと思っていたことを話すと、

すぐに、「あれは小5の時に書いたから・・・。」と、思い出し、謙虚に照れながらも、

私の強い希望に答えて、探し出してくれました。

 

病気のない子なら、

周りのことなど何も考えずに走り回っていた年頃に、

10代だった彼女が、

こんな素晴らしい詩を書いていました。

 

     *************************

 

『だれもいない公園』

              永濱 典子

 

だれもいない公園

だれもいない公園は天国

だってだれもいないときは

私の自由なとき

なにをやっても

わらう人はいない

だれもいない公園では

私が女王さまかもしれない

 

  

 

     *************************

 

・・・のりちゃんと私の出会いは、私が大学生の時でした。

ひょんなことから、当時高校生だった彼女の家庭教師をさせていただき、

数 I と英語を中心に一緒に勉強したのがきっかけでした。

それまで、体に障害がある方々とは出会うチャンスもなかったので、

お役に立てるか心配でしたが、

勉強指導はさておき(笑)、その魅力的なお人柄で、

私はたちまちのりちゃんのファンになりました

 

のりちゃんは字を書くのも、話すのも、

どうしても少しだけ時間がかかります。

“ 0 ” ゼロ、とひとつ書くのにも、ひと筆ならぬ、ふた筆で、

がっちりと鉛筆を握って、渾身の力で一生懸命書きます。

思った言葉を口から出すのにも、どうしても少しだけ時間がかかるので、一生懸命に話してくれます。

時々聞き取れなくて、何度も聞き返すこともありますが、

「ん~?わかんなかった~。ごめんね~。」と言う私に、

ニコニコしながら、(そんなこと、ないよ。)と言わんばかりに、手を左右に振って気遣ってくれながら、

何度でも根気よく、振り絞って声を出し、わかるまで話してくれます。

 

不自由はあっても、数 I の問題をスラスラ解くような、頭脳明晰な女の子です。

時には頼りない家庭教師の私より先に問題を解いてしまうくらい(笑)、優秀です。

 

当初、何も知らなかった私が、「教科書のここ、見てみて。ここに書いてあるよ。」と言うと、

あっちを向いてしまう時があったのですが、

それも、彼女の持って生まれた持病による脳の反応とのこと。

本人が見ようとする意志に反して、首が動いてしまうと教えてくれました。

未熟な私は、初めて(そんなことがあるんだ・・・。)と知りました。

しかし、どんなに時間がかかっても、のりちゃんは、しっかり宿題もがんばっていました

 

のりちゃんは料理も上手で、今も時々、作品の写真をメールで送ってくれます。いつもおいしそうです。

とにかく、人より大変でも、

自分の身の回りのことは全て自分でやってしまう、器用で聡明な女の子です。

(ちなみに、彼女は年齢よりとっても若くて、女の子という方がふさわしいくらい、素敵な年の重ね方をしています。)

 

それでも、障害のある方々を知らない世間は、違う目で見てきます。

 

彼女の親友が言っていた言葉で、とても衝撃的な一言がありました。

私たちの事、みんな、バカだと思ってるんだよね。それがくやしい。(笑)

・・・・そう言って彼女たちは明るく笑っていましたが、

これには、察しきれない立場でありながら、

どれほどの壮絶な思いを抱いているのだろう・・・

と思うと、本当に切ない気持ちでいっぱいになりました。

心はごくごく普通の、恋にも憧れる、可愛らしい女の子たちなのですから。

 

実際、日曜日など、のりちゃんと可愛い妹さんと3人で、

一緒に映画を見に行ったり、食事をして楽しい時間を過ごしたりしましたが、

乗り物で、のりちゃんが話し始めると、わざわざ振り向いて顔をのぞくような乗客がいたり、

わざわざ探すような目線でこちらを見る人々がいたりで、

心の中で(ジロジロ見ないで・・・。)と、言いたくなることは何度もありました。

 

ある日、この詩を彼女の優しいお母様が見せてくれた時、

この短い文面に、どれだけの深い思いとメッセージが含まれているのか・・・と思うと、

私は心の中で号泣しました。

何一つ不自由なく生きている私が、たとえ彼女の為に泣いたって、たとえ何かを手伝ったって、

彼女の現状は変わりません

彼女自身も、がんばったって、何したって、何も変わりません

それでも、

笑顔で前を向いて歩いていく

生まれてきたというのは、そういうことなんだ・・・・。

(がんばってるんだね、のりちゃん。すごいね、のりちゃん。)

心の中で、私は彼女をほめました。

ほめるなんて、偉そうかもしれないけど、

ただただ、心でほめました。

・・・涙を見せずに立っているのがやっとでした。

 

障害という言葉は好きではありませんが、

彼女と出会って、“障害を持って生まれてくる” ということについて、

深く、深く、考えさせられました。

それまで、そういった方々と出会うこともなく、

健康を当たり前だと思って、のほほんと生きてきたわけですから。

 

私たちが病気をした時、

辛いことに出会ってしまった時、

それは、たいていの場合、いつか解決がつくものです

しかし、生涯解決のつかない、

どうにもコントロールのしようのない宿命を抱えて生まれてきたなら・・・・?

想像を絶する思いで日々を過ごし、自分と折り合いをつけながら、

それでも、今、持っている幸せを見つけながら生きて行く・・・

そんな人生を歩んでおいでの方々が実際にいらっしゃるのです。

 

私たちは、日ごろ、ありがたいことを見落とし

満ち足りていることに気付かず

感謝すべきことに囲まれていながら、

不平不満の種を見つけては、

愚痴、泣き言を言ってしまいがちです

 

しかし、

ちょっとばかり病気をしても

ちょっとばかりイヤなことがあっても、

(いやいや、のりちゃんのがんばりに比べたら、これくらい、楽勝でしょ。)

と、今の私には思えます。

 

どんな時でもニコニコしながら、

どんなイヤな思いをしても、ずっと笑顔で乗り越え続けているのりちゃんは、

私の人生の師匠です。

 

のりちゃんは、本当にたくさんのことを周りに教えてくれています。

存在だけでも、その明るい雰囲気で、周りを和やかにしてくれ、

いてくれるだけで、たくさんの人を励ましてくれる、

崇高な魂を持った女性です。

 

こんな素敵な女性がいるのだということを、

私は悩み多きたくさんの人々に伝えたいのです。

 

人生の途中では、暗闇から抜け出せないほどのことがちょくちょくあるものです。

そんな方々を、元気のある側が、ちょっとでも励ませたら・・・・

そんな思いで、始めたこのブログですが、

そのコンセプトと一致するという意味で、

いつか、のりちゃんのこの詩を、このブログから発表したいな・・・

と、ずっと思っていました。

なぜなら、のりちゃんの詩は、ことばの重みが違うからです。

パワーがあります。

この詩は、きっと、

たくさんの悩めるみなさんの励みになるのでは・・・そう信じて疑いません。

 

のりちゃん。

私などでは察しきれない思いをし続けてきているあなただけれど、

のりちゃんの存在は、わたしにとって、大きな支えです。

そして、人生の目標です

のりちゃんのように、強く、聡明に生きていけたら・・・・

これからも、周りを照らし素敵な女性であり続けるであろうのりちゃんに、

ひたすら感謝です。

なかなか面と向かって言えないけれど、

あなたの亡きお母様と同じ思いを込めて、

この場を借りて言わせてください。

のりちゃん。

生まれてきてくれて、ありがとう。

 

 

 

P.S.  この素敵な詩を気に入って下さった方、是非、このページの上または下にある

“いいね” ボタン(青い “LIKE ボタンです)を押して、

のりちゃんの素晴らしい作品に拍手を贈ってあげてくださいね。よろしくお願いします!

 

 

ほめること、ほめられること

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日本人はあまり他人をほめません

海外の方と何かとご縁のある人生の私ですが、

日本人と比較すると、ほんとうにどの国の方もほめ上手の方が多い気がします。

ほめ上手というよりも、日本人が礼儀としてお辞儀をするかのように、

ほめることが習慣になっている印象すらあります。

 

では、なぜ日本人は他人をほめないのでしょう

 

私たちは、小さな頃から幼稚園や学校で、

なんでもかんでもミスがないように繰り返し練習しました。

学芸会や運動会も、繰り返し、繰り返し、

何週間もかけて練習するのが日本人です。

日本人にとって、ミスは非常によくないことだからです。

家庭でも、学校でも、

完璧をよしとし、完璧を目指し、完璧のみを成功と称し、

反復練習を強く奨励されながら育つためか、

パーフェクトでないものは、あまり認めない考え方があります。

 

ちなみに、長年外国の方々と一緒に働いていて思うのですが、

自分にミスや漏れがあっても、比較的気にしない方が多く、

その代わり

他人のミスにも寛大だな~・・・と思える部分が目につきます。

誰かがミスしても、

「これが世界の終わりってわけじゃないんだから。」

などと声をかけたりするのをよく見ることがあります。

 

また、日本人は勤勉ですから、

「負けるな」とか、「負けてたまるか」とかの根性あふれる言葉が大好きです。(笑)

親にも、先生にも、そんな教えを受けてきた方が多いのではないでしょうか。

負けるのがいけない、となると、そこには競争心が存在してきます。

よほど器が大きくない限り、競争心、ライバル心があると

相手のことはなかなかほめることが出来ないものです

 

そんな社会で生きてきたからか、ちょっとくらいよい程度のものは、

別にほめる気にならないのが私たち日本人なのです。

 

しかし、ものには一長一短があるもので、

このような教育のおかげで、日本人の作り出す製品は、世界一と言ってもいいくらい

優れたものが多いのだと思います。

100均などの安い商品を買って、不良品があっても

海外だと(安いから、こんなもんか・・・。)みたいな考えがありますが、

日本人は安くても、商品は商品、不良品は認められません。

これは日本人の世界に誇れる性分です。

 

が、一方、完璧を求める教育を受け続けてきた弊害として、

私たちは他人を滅多にほめません

人はほめられたい動物なのに、ほめる人が少ないのです。

ほめられたい需要が多いのに、ほめる供給側は非常に少ないというわけです。

 

また、ほめられることにも慣れていません

ほめる人が少ないのですから、これも当然でしょう。

たまにほめられると、

「やだ~、そんなことありませんよ~。私なんてたいしたことないですから。」

と、言って照れたり、謙遜してしまいます。

男性が、「XXさんの奥様、お綺麗ですね~。」なんて妻をほめられた時など、謙遜し過ぎて

「いえいえ、うちの家内はブタですから。」

などと答えたりするのは日本ではよくあることですが、

これを英語で直訳しようものなら、欧米の皆さんは目を丸くして驚きます。

「オオ!!!ユア ワイフ ハ ピッグ ナノデスカ~????」・・・・と。

 

欧米の方々は、ほめられると常に、

「ありがとう。」とダイレクトに受け止めます。

「いえいえ、そんなことございません。」などと言うと、

せっかくほめてくれた相手の意見を否定している形になってしまうからです。

家族など身内をほめられた時などは、「ありがとう」だけでなく、

さらに、

「そうなんです、うちの子は本当に頭がいいんですよ。」

などと、追い打ちをかけて(笑)ほめます。

日本人にとってはびっくりですが、これも、

身内やら自分の子を所有物としてとらえていない上に、

自立した一個の個人として尊重しているからなのです。

いずれにせよ、よくほめるので、ほめられることにも慣れている

・・・というのが欧米の方々です。

 

さて、ほめられた時には、

受け止め方にも、それぞれ特色があります。

 

「スゴイね!」とほめられたとしましょう。

男性などは、実は素直に受け止める方々が多いので、

「スゴイ」というほめ言葉で、身も震えるほど酔いしれます。(笑)

それどころか、

(そりゃそうだよな、俺は、XXXXだし、XXXXも出来るから、スゴイって思われるんだろうな。)

と、純粋に、すごいと言われたことに自分で理由付けまでして、納得します。(笑)

しかし一方、女性はなかなか冷めた部分があるようで、

(まあ、お世辞がお上手!)

(この人、ゴマすり?)

などと思ってしまうケースも多いようです。

こういう部分では女性より男性の方が可愛げがありますね(笑)。

 

それでも、けなされるよりは、ほめられたいのが人間です。

ゴマすりは聞いていても気持ちのいいものではありませんが、

純粋にほめられるとうれしいのが人間です。

特に、第三者を介して伝わってきたほめ言葉は、

より信ぴょう性があるのでうれしいものです。

「XXさんが、あなたのこと、スゴイってほめてたよ。」

と、聞くと、直接ほめられるより効果絶大だと言うのは

誰しも経験されていることでしょう。

 

 

ほめるということについて、あれこれ述べてきましたが、

ここで言いたいのは、

ほめられたいのが人間なのだし、需要が高いのですから

ほめ上手になって、他人を幸せにする生き方をするのは、

想像以上に、相当生が楽しくなることなのではないか、ということです。

 

お世辞とかゴマすりではなく、

ほめるのを習慣にすると、

自然と他人のいいところを見る習慣が出来てきます。

そういったことを癖にしていると、

実はそれは、ゆくゆくは自分に返って来て、

自分が楽になるのです。

相手の欠点ばかり探しがちな私たちですが、

いいところを一生懸命探す・・・・

これは相手にとっても、自分にとってもいいことなのです。

自分の気持ちが楽になり、相手もなんともハッピーな気分になってくれる、

一石二鳥の生き方になるのですから、やらない手はありません。

 

さらに言うと、

ほめることで、相手の能力をいただくことが出来るようになるのです。

どういうことかと言うと・・・

 

英語の出来ない人が、英語の出来る人をベタ褒めしたとしましょう。

ほめられた方は悪い気はしないし、

必要とあらば、そのほめてくれた相手を助けます。

「英語でわからないことがあったら、聞いてくれれば手伝えるよ。」

なんてセリフも、相手は自然に言ってしまうでしょう。

ほめた側は苦労して英語を勉強していないのに、

困った時には有力なサポーターがいることになるのです。

期待せずに、純粋に、うらやましいからほめただけなのに、

結果的に、相手の能力を戴くことになってしまうのです。

 

以前、職場の私の部署に、外勤の方が転職してきたことがあります。

彼女は私のコンピューターの技術などに驚いて、

いたくほめまくり(コホン・・・。たいしたことはないのですよ。)(笑)

「私は外で働いてきたので、コンピューターに関してはバカと同じです。

一から教えてください。何にも知らないと思っていただいたほうがいいくらいです。」

と、謙虚に言ってきました。

私が丁寧に一からお教えしたのは言うまでもありません。

普通なら、

「こんな職場に来ていながら、コンピューターが出来ないぃぃぃ?出直して来い~~~!」

になったところ、ほめて、ほめて、

謙虚な姿勢で教えてほしいと言われました。

実際彼女は、この職場でコンピューターを操作するには、

許容量を超えたであろう未熟な技術でしたから、

本当に(当たり前の基本的な技術でも)驚いたのでしょうが、

自然にほめるという姿勢で、

職場で必要なあらゆるコンピューターの知識を、

労せずして得ることが出来たのです。

純粋にほめる、という行為の功名でしょう。

 

ほめることの大切さを教えているある有名な富豪の方は、

出先で笑顔のない店員さんにも

「笑顔が素敵ですね。」

と自ら声をかけるそうです。

すると、仏頂面だった店員さんが思わず

「え?そうですか?」と、笑顔になってしまうそうです。

トイレ掃除の見ず知らずの方にも、

「いつもキレイに掃除してくれてありがとうございます。」

と、声をかけて、笑顔のお返しをもらっているそうです。

ほめることの実践で、幸せに囲まれる様子が想像できますよね。

 

みんながやらないことだから、やると効果絶大なのです。

需要はあふれているのです。

供給の側に回ると、重宝されます。

自分の人生を楽しむための一工夫として、

今日からほめることの実践をしてみませんか?

きっと、日々が少しずつ楽しくなりますよ。

 

 

P. S. この記事が気に入って下さった方、まず手始めに、下の “いいね”(=LIKE) ボタンで私のこともほめてやってくださいね。(笑)

「よかった!」のすすめ

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いつのころからだったか覚えていませんが、

ことあるごとに、口癖のように言っている言葉があります。

 

よかった。」

 

なんでもかんでも、とりあえず、「よかった。」

そうつぶやくのです。

 

何か辛いことが起こった時

困ったことが起こった時

危険な思いをした時

普通では、とてもではないけれどマイナスに受け止めてしまいそうな

イヤなことが起こった時

あえて

よかった。」

と、つぶやきます。

 

ちまたで、「ツイてる!」

という言葉を繰り返し声に出して言うと、運が向いてくる、というのは有名ですし、

私はそれも大好きですが、

その遥か以前から、私は、

よかった・・・!」

と言う口癖を意図的に使ってきました。

 

現在では、脳科学ですでに解明されているのですが、

人間の脳は、つじつまの合わないことがとても苦手だそうです。

つまり、

よかった” と言ってしまえば、

脳は必死になって回転し、ありとあらゆる手を使って

よかったこと” を見つけ出すようなのです

 

例えば・・・・

運転中に乱暴な運転の車に割り込まれ、

思わず急ブレーキを踏み、間一髪。

助手席の荷物は床に落ちてぐちゃぐちゃ。

しかし、なんともなかった時。

よかった・・・・! )

そうつぶやきます。

普通なら、

「何よ!ふざけんな~~~!どんだけ乱暴運転やってくれるの~~~??

荷物が全部落ちちゃって、たった今買った卵も割れちゃったじゃないぃぃぃぃ!!」

と、クラクションを鳴らして、怒鳴りたくなりますが、あえて、

よかった!」なのです。

 

無理矢理その言葉をつぶやくことで、

脳はつじつまの合ったことを見つけ出してくれます

事故になっていたなら、これから数時間は不快な話し合いの上、

何日も車の修理で時間を取られ、不便な思いをしたりします。

仕事も遅刻で、顧客との打ち合わせはパーになったでしょう。

怪我もしなかったのなら、なおさらよかった

痛い思いをしなかったのですから、よかったのです。

そして、今日も終業後は何ごともなく、無事に帰宅して家族といつもの時間が過ごせる・・・。


せっかく買った卵は5個ほど割れちゃったとしても (笑)、

命に代えたらどうってことありません。

どう考えても、よかったのです。

たとえけがをしたとしても、

命が助かったならよかったのです。

車がかなりぺしゃんこになったとしても、

(こんなに車がつぶれたのに、この程度の怪我ですんだんだ・・・よかった・・・。)

そうやって脳が答えを出してあなた自身の心を楽にしてくれます

 

出かける直前に、ストッキングを引っかけて伝線させてしまいました。

「まじ~~~?電車、間に合わないしぃ~~~!」

ではなく、そんな時も、よかった。」なのです。

外出先で、替えを買いに走ったり、着替えたりは、かえって手間がかかります。

出かける前だからよかったのです。

よかった~~~!セーフ、セーフ♪)と思いながらニコニコ着替えていると、

意外と電車も間に合ったりするから不思議です。

 

キツイことを言いがちの人が、職場など、

避けられない環境の中にいることがあります。

それも、よかった・・・・!

と、無理矢理言ってみましょう。

 

(なんであんなヤツと一緒なのがよかったになるの?)

・・・納得いかないのもわかります。(笑)

でも、あなたの脳は必ず “よかった” を考え出してくれます。

きっと相手は、あなたの “他人を変えようとする考え方” はよくないですよ、

と、気付かせてくれる為に、あなたの人生の中に登場したのかもしれません。

あなたの成長請負人なんだから、よかったんです。

 

人生の中では、思わぬ人から、全く理不尽なひどいことを言われることがあります。

そんな時も、やはり、

よかった・・・。)

そうつぶやきます。

心はズタズタであろうと、(よかった。)そう必死で言い聞かせます。

なんたって、理不尽だったのですから、

相手のひどい言葉を脳内で繰り返し思い出し、

その時の最悪な気分に戻る必要はないのです。

脳は教えてくれます。

相手は、きっと、あなたに、

そんな理不尽なことなどすっかり忘れて、

自分で自分の機嫌をとって、上機嫌でい続けることの出来る強い人間になってもらうために

今世で悪役を買って生まれ出てくれた方なのかもしれません。

あなたの心の強化請負人だったのです。

よかった・・・。そんな悪役に会えてよかった

 

私は、アトピー性皮膚炎で使っていたステロイドを止めて4年の間に、

副作用による大悪化を1度ならず4回 経験しました。

そのうち2度ほどは、髪の毛も失いました

全身ずる剥け火傷みたいにもなりました。

普通の感覚では耐えられないくらいの激痛の時もあり、

骨をえぐりたいほどの痒さとの共存でした。

世間が「皮膚炎?アトピーでしょ?そこまで大変?」

と、軽く考えるほど、楽な病気ではありません。

死にたくなる方々すらいることもわかります。それほど壮絶な症状です。

それでも、よかった。」なのです。

 

そんなひどい重症を1度だけならず、4回もやって、

どこにいいところがあるのか・・・とお思いかもしれません。

でも、私はあえて、

4回経験出来てよかった・・・・。)

そう考えます。

よかった、と、言っているうちに、

脳は必死になって理由を見つけてくれます。

最初、脳には何がよかったかわからないのですが、

それでもつじつまが合わないことは超~~~苦手ですから、

つぶやいているうちに、

脳が勝手に答えを見つけ出してくれるのです。

 

もし、この4回の苦しみが一度にやってきていたなら・・・・。

あの大変な苦しみが4倍だったかもしれません。

そんなのは私には耐えられなかったでしょう。

だから、きっと神様か何かが、私に苦しみを4回に分けて分散して経験させてくれた・・・・。

だから、よかったのです。

4度もの経験で、同じ苦しみを持つ仲間たちの気持ちも

より深く理解してあげられるようになりましたし、

苦しみから這い上がれない仲間の心に寄り添うことが出来るようになりました。

そうでもなければ、

「そのくらい平気よ~。私より全然軽いじゃん~?たいしたことないって~。」

と、のど元過ぎれば・・・で、人の痛みをわかってあげられなかったかもしれません。

 

30年以上前、私の母は、明らかな医療ミスで亡くなりました。

つまり、他人の手で命を絶たれたのです。

しかし、医療ミスは隠蔽(いんぺい)されました。

(こんな犬死にみたいな最期はかわいそうすぎる・・・・。)

この時はさすがに、脳が“よかった” を理解するまでに時間はかかりました。

 

でも、今がどん底なのだから、この事からは、必ずいいことしか起きない、

この事は将来、自分の成長に生かせるはずだ、

きっと、よかったんだ、

よかったにしなければいけないんだ、

なんとか一日も早く、幸せを自分で作ろう・・・

そう思って、(お坊さんに相談した後)、喪中の最中ではありましたが、

母の死から6か月後に、

私は都内の某有名ホテルで盛大に、

ド派手な結婚式をあげしました。(笑)

その日の幸せを、全て、天国の母と、そして

心はズタズタなのに、殊勝にもがんばっている父に捧げたい

そして、とにかく幸せを創造して、自分で自分を上げてやろうじゃないかい!・・・・という思いでの行動でした。

 

今では、あの時、あんな風に、命をかけて私に教えを残して行ってくれた母に感謝していますし、

この事件をきっかけに、あんなに早い時期に、他者への思いやりに目覚めさせてもらったので、

全てにおいて、パーフェクトなタイミングだったのだ、

よかったのだ、と思っています。

あの経験がなければ、

私はきっと身勝手なままこの年齢まで生きてきて、

もっとたくさんのみなさんに迷惑をかけながら生きてきたことでしょう(笑)。

こうして、苦しみは “よかった” に変わって行きました。

 

よかった” と受け止めようとすれば、

よかった”  になっていくのです。

そもそも、全ては順調に、

自身の成長の為に、我が身に起きているのです。

そして、“よかった”と思った方が、

実は自分が楽になるのです

 

怒りや、悲しみ不安心配不平不満などで心ががちがちになってしまっていれば、

あなたの体は緊張でがちがちになってしまっています。

だって、だらり~~~んとダラけながらカンカンに怒っている人とか、いませんよね?

無理です、それ。(笑)

がちがちな状態は、あなたの自律神経をも緊張させ、

自律神経は交感神経になびいてしまい、その結果、顆粒球をたくさん体内に発生させ、

その顆粒球が仕事を終えるときに出していく活性酸素が

あらゆる病気を作り出します

 

よかった

よかった

 

・・・・そう言って、ゆる~~~~~く生きていけば、

心が救われるだけでなく、病気も引き寄せず、

いろんなところで楽~~~~になっていけそうな気がします。

 

困ったときにはよかった

これ、お勧めなんですよ。

 

 

 

 

#よかった #アトピー #ステロイド副作用 #楽になる #口癖 #乱暴運転 #割り込み #脳科学 #つじつま #上機嫌

キレやすい方、是非、読んで下さい (笑)

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こんなビデオを見ました。 ↓

パワフルな説得力があり、私たちが忘れがちなことを教えてくれています。

英語版しか見つからなかったので、下に超訳(意訳)をつけましたので、ご覧ください。

 

ある医師が外出先で、救急の呼び出しを受けます。

小さな男の子が、ひどい事故で緊急手術を受けなければならなかったのです。

時間は刻一刻と過ぎ、限界に近づこうとしています。

 

医師が駆けつけました。

できる限りのスピードで手をゴシゴシ洗い、手術室に入ろうとする医師を、少年の父は引きとめました。

顔を真っ赤にして泣きながら、

「なんでこれほどまでに時間がかかったんだ!!!!!」と怒鳴りつけます。

「息子が死にそうなのに、あんたはこんなに遅くやって来て、しかもまだモタモタやってるじゃないか!」

 

医師は黙って聞き、

「もっと早く来られなくて申し訳ありません。他の場所にいたんです。どうか落ち着いて。仕事を始めさせてください。」

と答えます。

 

少年の父はさらに怒って叫びます。

「どうやって落ち着けと言うんだ!!!これがお前の息子だったら落ち着いていられるのか!?」

 

医師は微笑んで答えました。

「心配しないで。息子さんは大丈夫です。」

 

そう言って手術室に入って行く医師の背に、父親はまだ聞こえよがしに不平を投げつけます。

「人の気持ちがわからないやつには、落ち着くのは簡単だろうよ!!!」

 

2~3時間かけて、手術は成功しました。

 

一通り洗浄をを終えて身支度を整えてから、医師は少年の父に手術が成功したことを知らせます。

そして、医師は腕時計を見ながら

「もしご理解戴ければ・・・・・私は行かなければなりません。

質問がおありでしたら、看護師がお世話させていただきます。」

 

その言葉を聞いて、少年の父は頭を振って怒り狂い、看護師の方を向いて言いました。

「あの医者は、いつもああいう風に失礼で横柄なのか?」

 

看護師は少し眉をひそめて答えました。

 

「先生の息子さんが2~3日前に亡くなったんです。

私たちが先生を呼んだ時、彼は息子さんのお葬式の真っ最中だったんですよ。

先生はあなたの息子さんを助けるために、埋葬の席から駆けつけたんです。

そして、今、やっと家族と悲しみを共にする為に、葬儀会場に戻られるんです。」

 

     *************************

 

ビデオでは最後に言っています。

「私たちは、他の誰かがどんな辛い状況を乗り越えている最中なのか、

決して計り知ることができません。

時間をかけて相手を理解しようとせずに、人を裁くのはやめましょう。」

・・・と。

 

     *************************

 

自分の身に、もはや乗り越えるのは不可能かと思われる苦難が訪れることがあります。

そんな時、私たちは冷静になるのはとても難しく、視野も狭くなりがちで、

あたかも辛いのは自分だけ、

この世で自分が一番苦しい人、

自分の悩みが誰よりひどく、誰より大きい。

これ以上苦しい人なんてどこにもいるはずがない。

・・・・そう思いがちです。

あるいは、他者など全く見えていないこともありがちです。

 

とにかく、自分しか見えていない状態に陥るのです。

 

そんな時、私たちは他者を気付かないままに傷つけているかもしれません。

「あなたになんか、私のこの苦しさはわかりゃしないのよ!!」

と、寄り添おうとした友すら傷つけていることもあります。

自分が苦しい立場にあるからと言って、相手を傷つけたその罪はとても深いものがあります。

相手があなたに、出来る限りの愛を注いでくれていることを見逃しているかもしれないのです。

あるいは、実はあなたより遥かに苦しい経験をしたことがあるかもしれません。

わかっていないのは、相手ではなく、実は自分の方だったりするのです。

 

世の中には、不平不満を飲み込んで、黙々と耐え忍んでいる人々もいるものです

あるいは、笑顔で、苦難を乗り越えようと全力を振り絞って、大地に立っている人々もいるのです

 

また、友人などに愚痴を言いまくる癖のある人々がいます。

それはもう切なくて、言わないではいられない。

聞いてもらえるだけでも、自分はすっきりするから、聞いてほしい・・・。

しかし、相手が実はどんな困難を乗り越えている最中なのか

相手が言ってくれなければ、知る由もありません。

 

あるいは、それほど悩んでいることがなかった相手だとしても、

あなたの愚痴を聞いてくれる優しい友人は、あなたと共に悲しみ、苦しみ、

ものすごいエネルギーを奪われているのです。

エネルギー泥棒になってしまっていませんか?

あなたの為にエネルギーを奪われた相手は、また、自力でそれを補充しなければなりません。

それはそれは大変なことです。

相手の状態をおもんぱかることなく、愚痴を言いまくっているとしたら・・・

その罪は深いものがあります。

 

近年では、すぐにキレてしまう人々が増えているようです。

キレるほどの精神状態は、自律神経を乱し、交感神経を緊張させ、

その結果白血球中に出来たたくさんの顆粒球から、

ゆくゆくガン細胞を発達させることがわかっています

脳梗塞、心筋梗塞も同じ原理で発症します。

キレやすい方、どうか、キレる前に一度深呼吸をして、

この怒りは、将来自分がガンになることと引き換えにしてでも、

怒らなければいけないほどのことなのか

あるいは、

心筋梗塞の痛みに耐えるに値するほど、怒る必要があることなのか

どうか考えてみてください。(笑)

 

よ~く、よ~く考えなおしてみたら、

怒るほどでもないこともいっぱいあるかもしれません。

 

悲しい時、苦しい時、辛い時

その時こそがあなたの見せ場です

そんな時にどういう対応が出来るか、そこであなたの人間性が露呈します。

年の功、って言葉がありますよね。

生きてきたなりの年数分くらい、広い視野を持ち、平静でありたいものです。

長く生きていながら、徳を積まない生き方をしてきたのではカッコ悪いですよね。

年の功の見せどころ、バシッと決めてみませんか?

 

今日も、素晴らしい一日を!

 

情けは人の為ならず - All expenses paid 30 years ago

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心温まる、海外の感動のビデオをご紹介します。

先に日本語訳を入れましたので、まず、読んでみてください。

そして、その続きは下のビデオをクリックしてご覧くださいね。

 

・・・この父娘の行方は、どうなるのでしょう・・・・・?

 

     *************************

 

場面は、商店から万引きをしようとした少年を責める女性の怒鳴り声から始まります。

 

「こっちに来な!この泥棒が!!」 Come out here, thief!

 

「見せな!何を盗んだんだ?」 Let me see! What did you steal?

(少年の盗んだ薬品を見る。)

 

「これで何しようっていうんだい?答えな!」 What are you going to do with this? Answer me!

 

少年「・・・ママに、あげたいんだ・・・。」 Give it to my mom…

 

食堂店主「ちょっと待った!」Wait a second.

(一部始終を見ていた近所の食堂店主の男が少年を怒鳴る女をたしなめながら出てくる)

 

食堂店主「君のお母さんは病気なのかい?」 Is your mom sick?

(下を向いてうなずく少年の前で、黙って盗んだ薬代を怒鳴っていた女に支払う食堂店主)
 

「もう、二度とやるんじゃないよ!!!」 And don’t do it again!

(お金を食堂店主から受け取り、去っていく)

 (食堂店主は店を手伝う幼い娘にむかって言う)

食堂店主「かわい子ちゃん、野菜スープも持ってきてくれ。」 Sweetie! Veggie soup.

 

(食堂店主は娘の持ってきた野菜スープと買った薬を袋に入れ、

黙って一度ゆっくりとうなずきながら少年を見つめ、袋を渡す)

(少年はその袋と、目の前の食堂店主の顔をじっと見た直後、ひったくるように袋を取り、走ってその場を去る)

 

 

(30年の時が流れ、店主は自分の食堂で変わらぬ日常を送っている)30 years later.

 

 

食堂店主「いらっしゃい。中でおかけください。」 Have a seat.

(調理しながら客を案内する。)

 

「お父さん!」 Dad!

(娘は、物乞いに来た男が一人、店の前にいることを父親に知らせる)

 

(食堂店主は黙って料理を袋に入れて、物乞いの男にあげる。)

食堂店主「はい、どうぞ。」 Here you go.
  
 
食堂店主「さあ、いいよ。次の注文は?」 Ok, next order.

 

(そう言った直後、めまいを感じた店主はその場に倒れる。駆け寄る娘)

 

(場面は変わり、病院にて酸素マスクをしてベッドに横たわる食堂店主と、

その傍らに立って記録を取りながら患者を見下ろす医師)

 

(廊下で看護師と話した後、請求書を受け取る娘)

 

『医療費の明細・請求額792,000バーツ』 Summary of medical expenses.  Total: 792,000 Baht

(請求書の数字を見て愕然とする娘。)

 

(とても支払えそうにない高額の請求書を見つめ、一人自宅で泣く娘。

父と二人でずっとやってきた休業中の食堂の厨房が、悲しさに拍車をかける)

 

(場面は変わり、診察室にて、医師から父親の病状の説明を聞き、黙ってうなづく娘)

 

(場面はまた変わり、長年父娘で営業してきた食堂の前に

『緊急 売却』の文字と連絡先電話番号の張り紙) “Urgent! For sale 0846661325”

 

     *************************

 

・・・父親の医療費を支払うために、父娘で細々と経営してきた食堂を売却する決心をした娘。

そして、何も知らずに眠っている病床の優しい父親・・・。

この二人の行方は?

ビデオで続きをご覧ください。

 

 

 

さて、ご覧になっていかがでしたでしょうか?

上の訳の続きです。

 

父親の病床でうたた寝をしてしまった娘が目覚めると、手元になぜか手紙が。

不審に思いながらその紙を見ると・・・

 

『医療費の明細・請求書』 Summary of medical expenses.

 

『総額 0バーツ』(残額ゼロ) Total: 0 Baht

 

 

「すべての支払いは、30年前に支払われました。」 All expenses paid 30 years ago.
 

「3パックの痛み止めと・・・・」 With 3 packs of painkillers.

 

「一袋の野菜スープで。」 And a bag of veggie soup.
 

「敬具 ドクター・プラジャク・アランソン」 Best regards, Dr. Prajak Arunthong

 

 

“与えること、それは最高のコミュニケーションである。”  “Giving Is The Best Communication” 

        “All expenses paid 30 years ago”

           Licensed by YouTube

 

そう、なんと、父親を担当して助けてくれた医師は、

あの時の、母親の為に万引きをした少年の成長した姿だったのです!

そして、巡り巡って、今度は助ける側として彼らの運命の中に登場したのです・・・。

 

     *************************

 

こういう話を見聞きすると、

情けは人の為ならず

という言葉を思い出します。

 

“人に情けをかけることは、相手の為にならない” という解釈をする方も多いですが(H22文化庁調査では45.7%)

そうではなく、実はこれは、他人に情けをかけることは、巡り巡って自分に戻ってくるものですよ

という意味なのです。

 

スピリチュアルな考え方でもありますが、

出したものが返ってくる。

出したものしか返ってこない

・・・私はそう思っています。

 

決して、返ってくることを期待して行動するわけではありませんが、

目に見えない電波がそこいらじゅうに飛び交っているのを、チャンネルのリモコンでキャッチするように、

あるいは、ラジオのチューナーを合わせるように、

自分が8チャンネルを選べば、8チャンネルをキャッチします。

選んだのは自分です。選んだから、その映像や音が目の前で展開するのです

 

怒りや憎しみ、不平不満などを心に抱えて生きていると、

同じ波動の物をゆくゆくは受けとります。

一方、感謝と愛情で日々を過ごすと、その出したものと同じ波動を受け取る日がいつかやってきます。

 

つまりは、人生を切り開くのは自分

 

いやなことをしてきた相手を恨むのは簡単ですが、

それでも、恨まないこと(違うチャンネルを選ぶこと)は可能なのです。

いい勉強になった、と、自己を見つめる方を選ぶのも自分の意思、心に愛のある方の選択です。

 

「お金持ちになりたい!」と神がかり的に拝んでも実現しない、(笑)

あるいは、働いても働いてもお金がない、と、愚痴を言っているよりも、

それでも結局、今日も食べ物を食べれたことにありがたく感謝し、

心が幸せに満たされる選択をすることは可能です。

地球上で毎日4万人の餓死者がいると言われているのに、

太り過ぎを悩みながら、お腹まで出っ張らせて、

「お金が足りない。」とまだ私たちは不平不満を言っています。

食べられただけでも幸せなのですから、不平不満よりも幸せの方にチャンネルを合わせられるはずです。

 

温かい思いをいつも心に抱いて、

心に愛のある選択を続けていけたなら、

いつかその思いは、何らかの形であなたのところに返って来ます。

 

池に投げた石の波紋はゆっくりと外に広がって行きますが、またゆっくりと内側へ戻ってきます。

あなたの投げた情けや温かい思いは、波紋のように、ゆっくりと時間をかけてあなたのところに戻ってきます

一人ひとりの心にキャンドルの火をともすように、愛で心を満たして生きていけたらステキだな・・・・。

そんな風に思う私です。

 

今日も素晴らしい一日を!!

 

 

 

病気にならない体を作るために - 自律神経について知る

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かなり前に(2013年3月)、ひょうんなことから、健康についてサクサク書いた文が、

以外にも多方面でとても好評を戴いているので、そのまま以下に貼り付けてみました。

医師ではない、素人の書いた人間の体のメカニズムと健康論です・・・・。(笑)

私らしくなく、真面目な文章ですが、お時間のある方、健康に興味がある方は是非、読んでみてください。

お医者様の難しい言葉を使わず、あえて(?)かしこくない人間が説明するのがわかりやすい時もあります。(≧▽≦)

以外にも、人間の体の素晴らしさを再認識するかもしれませんよ。

 

*********************************************************************

 

「すみません・・・、今朝ちょっと具合が悪いんで休みたいんです・・・。」

と、しばしば電話しなくてもよくなる為に・・・

 

不本意にもあなたが風邪をひいてしまった時

往々にして隣席で先週から咳き込んでいる同僚をうらめしく思ったりしがちではないだろうか。

「ごめんね、私の風邪をうつしちゃったかもね。」と心苦しげな同僚に、

「そんなことないよ。風邪は自己責任だから。」などと物分りのいいようなことを言ってはみるが、

それでも激しく咳き込んでいる同僚を横目で見ながら

(全く・・・そんな無理して出勤してくるから、私まで風邪ひいちゃったじゃない・・・。)

などと思ったりしたことはないだろうか。

 

しかし、私はここで断言したい。

風邪をひいたのは隣席の同僚のせいではなく、

昨日の電車内でマスクなしで咳き込んでいたオジサンのせいでもなく、

熱を出しながら職場に来た上司のせいでもない。

知識的にだけは誰もが知っていながら(しかし認めたくないのが常だが)、

風邪、そして多くの病気は100%、あなたの責任なのだ。 (*筆者注・先天性、薬害、その他例外はあります。)

 

目に見えない風邪の細菌はそこいらじゅうにうようよ舞っている。

あなたは毎日、いつでもどこでもそれを吸っている。

風邪をひいたのは、それをたまたま多く吸ったからとかいう、量の問題や頻度の問題ではない。

あなたの“自律神経”が適切に働いていないからあなたが風邪をひいたのであり、

それはあなた自身が巻き起こしていることなのだ。

 

どんな病気も怪我も、自律神経がうまく機能していれば非常に早く完治できる

自律神経のバランスがいつもうまくとれていれば病気をしない一生も夢ではない

緊急手術や痛み止めなどで絶大な威力を発揮する西洋医学はその即効性から支持されているが、

病気の根本原因を除去するものではない

しかし、西洋医学に頼らずとも、人間の体は自力で治癒する精巧な仕組みをもっている

人間の体は本当にうまく出来ているのだ

日頃何気なく見逃しているが、人間の体のメカニズムがどれだけ精巧にできているかをあなたは考えてみたことがあるだろうか。

 

あなたが風邪をひいた時、まず足がだるくなる。

それは出歩くと治りが遅くなるし、他の人に病気をうつしてしまうから。

次に透き通った鼻水が出て、雑菌を洗い流す。

また、寒気を感じた体は体温を取り戻そうと毛穴を閉じ、体温を閉じ込め、熱が出る。

白血球は体温が37度以上でウィルスを殺し始める

(注・ここで薬で熱を下げることは、人間の体の自己治癒能力に反しているので、かえって治りが遅くなる。

熱は風邪が治るために絶対に必要な治癒反応なのだ。

再度強調するが、小さなお子さんの例外を除いて、熱を下げない方が早く治るのである。)

白血球が細菌を殺した後、その死骸が黄色い鼻水となって出る。

その頃に風邪は治る。

 

では、怪我をした時の人間の体のメカニズムはどうであろう。

まず傷口に血が集まってきて流れ、その血はばい菌を洗い流す。

次にかさぶたが出来て空気と細菌を遮断する。

かさぶたの中で皮膚は自力で再生しようと働き、新しい皮膚が出来たところでかさぶたがはがれる。

つまり、体の中で組織がダメージを受けた時、体がこの部分に血流を増やして修復しようとするのである。

 

これらが自己治癒能力免疫機能であり、免疫は自律神経によって支配されている。

言い換えれば、自律神経が正しく機能していれば病気にならないし怪我も早く治るのである。

 

自律神経と聞いてもぴんと来ない方のために、簡単に自律神経とは何かを説明しよう。

つまり、無意識のうちに動いているもの、例えば心臓、脳、消化管の働きの抑制、血液の循環、新陳代謝、etc…

これらは私達が意図して動かしているものではなく、それらを支配しているのが自律神経である。

 

自律神経には“交感神経”と“副交感神経”があり、拮抗関係で常に揺れ動いてどちらかになびいている。

あなたの“行動”、“考えている事”、がそれに影響を与える

 

通常、昼間の活動している時、自律神経交感神経側に傾いている。

バリバリ働いている時、怒っている時、イライラしている時、緊張している時、パソコンの画面を見つめている時、ストレスを感じている時・・・・

など、人間が戦闘モードに入っている時がこの状態だ。

太古の昔で言うなら、家族のために男が狩で獲物をしとめる為に戦っているような時がこの状態。

 

自律神経交感神経側になびいている時(起きている・活動している時)、

体の中では白血球内顆粒球というものが多く生成される。

これは、出血の時に外から進入してくる細菌を処理し、感染症を防ぎ、傷を修復するために働く物質である。

かつて人間が獲物と戦っていたような頃で言うなら、

動物に噛まれたり、潅木で傷ついた体を自分で治す必要性があったわけで、

人間が持って生まれた自然治癒力である。

 

 

しかし、顆粒球が増えすぎると組織破壊という害をもたらし、その結果ガン胃潰瘍十二指腸潰瘍糖尿病、etc…などを発症する。

なぜなら顆粒球が役割を終えるとき、粘膜で活性酸素を撒き散らすからなのだが、これが強力な酸化力を持ち組織を破壊するのである。

急性肺炎急性虫垂炎口内炎ニキビなどの化膿性の炎症も同じ原理で生じる。

 

また一方、日が暮れ始め、私達が激務(?)を終えて帰宅し、

部屋の明かりをやや落として休養モードに入っている時(睡眠中・休憩中・食事中等、いわゆるリラックスモードの時)

・・・太古の昔で言うなら、男が今日の狩の成果を思いながら焚き火を見つめて休憩をとるような時、

自律神経副交感神経が優位になり休息の体制に入る。

この時体の中では白血球内の顆粒球に代わってリンパ球が増加する。

このリンパ球が風邪の菌やら、いろいろな細菌、時にはがん細胞まで殺してくれる。

一日のストレスや疲労で溜まった有害物質を、リンパ球が寝ている間に退治してくれるのである

(煌々と蛍光灯の明かりを全開にしている日本の家庭と違い、

欧米の家庭が照明を暗めに設定しているのは自律神経のバランスをとる上で道理にかなっているのである。)

このように人間には太古の昔から培われてきた自己治癒能力が生まれながらに備わっている

 

副交感神経は器官の排泄や分泌能力をも支配している。

交感神経の緊張が続き、副交感神経の働きが抑えられると、体は“出すべきものが出せない”状態に陥る。

便秘排尿障害、食物の分解を促す消化酵素の分泌が悪くなったりする。

老廃物を排泄できなくなるので、胆石腎臓結石ウオノメなどが出来やすくなる。

さらに、ガンを攻撃するNK細胞、NKT細胞の働きが落ちるため、 ガン細胞の増殖を促す。

しかし、副交感神経優位の時に増殖するリンパ球は、ウィルスなどの外敵を処理すると共に、がん細胞すら殺傷する働きがあるのである。

自律神経は全身の血液循環も調整している

交感神経が過度に緊張すると、血管が収縮する

交感神経の緊張が慢性化した場合、血管は絶えず絞られた状態になり、全身で血行障害が生じる。

血液は全身の細胞に酸素と栄養を送り、老廃物や体に取り込まれた有害物質を回収して排泄する働きをしているが、

このサイクルが阻害されると細胞に必要な栄養は届かず、老廃物や有害物質が体内に蓄積するようになる。

血流障害は肩こり頭痛耳鳴りだけでなく、脳梗塞心筋梗塞など、致命的な病気も引き起こす。

他に、手足のしびれ腰痛膝痛神経痛顔面麻痺関節リウマチ五十肩静脈瘤

歯周病脱毛めまい高血圧狭心症しもやけ冷え性アトピー性皮膚炎(大人)、

月経困難症子宮筋腫子宮内膜症もこのような経緯から発症する。

     

 

前述したが、今日では腰痛ですら怒り・ストレスが原因

つまり自律神経交感神経に傾きすぎているから発症すると言う研究結果が発表されて、

患者サイドからも根強く支持されている。

 

自律神経交感神経に傾き過ぎ、リンパ球が少なくなると、ウィルスと戦う力も弱くなり風邪などの感染症にかかりやすくなる。

またがん細胞の増殖を食い止めることができず、ガンの発症をも許す。

こうして体内環境が悪化すると細胞の活力が失われ、働きも低下するため、

全身倦怠集中力の低下不眠など心身両面にわたる不調が生じる。

 

ゆえに、リンパ球の減少は病気になりやすく、治りにくい体調をもたらす

 

多くの病気は働きすぎ、悩みすぎ、薬の飲み過ぎ、怒り、イライラなどの過度のストレスによって、

交感神経が慢性的に緊張し、副交感神経の働きが低下すると、リンパ球が減少して起こる

 

ご存知でない方もいるかもしれないが、人間の体内では毎日 10,000個くらいのガン細胞が生まれていると言われている。

ガン細胞は異常をきたした自己細胞であり、今現在、あなたの体の中のどこかに必ずガン細胞はあるのである。

しかし、発ガンしないのは、毎日、自律神経の副交感神経が優位になっている間にリンパ球がそれを殺してくれているからなのである。

にもかかわらず、ストレスで緊張した日々を送り続けていたら・・・・ガンを発症するのは自明の理である。

日本人は2人に1人に近い確率でガンを発症しているが、これは見逃せない事実である。

 

このように、交感神経の緊張は多くの病気を呼び込む。

ゆえに、自律神経副交感神経を優位にする行動・考え方にすれば、病気を早く治すことが出来るのである。

 

怒らない(カッとならない)、イライラしない、不平不満・文句を言わない、愚痴泣き言を言わない。

そんな心の状態の時、自律神経は交感神経側になびいて病気と戦ってくれるリンパ球の生成を減少させる

つまりあなたのそのマイナス思考、短気で怒りっぽい性格や暗い考え方、ネガティブな行動が病気を呼んでいるのだ。

一例をあげると、ガン患者で闘病後に治った人たちは皆一様に

「ガンになってよかった。お陰で人に感謝することを学んだ。」

といったように、病気に感謝する域に達していることはよく知られていることである。

感謝の気持ちが心の底から湧いたとき、体はリンパ球を作り出す。

考え方・考えている事が健康に多大な影響を与えることはもう理解していただけただろう。

 

よく寝ること、

休むこと(注・ズル休み)、

よく食べること(注・食べ過ぎ)、

楽しいことを考えること、

物事に感謝して心穏やかでいること。

たくさん笑って、ニコニコして、明るいことを考える努力をし、きちんとした栄養をとる。

特に“笑い“はあなたの健康維持に絶大な効果を与えることが既に研究結果として明らかになっている。

この些細でありながら前向きな日常の継続があなたの健康を守ってくれる。

 

怒りっぽい性格、イライラしがちな方、ひがみっぽいキャラ、愚痴っぽいタイプ、etc…….

ネガティブな考え方・行動に思い当たるふしのある方は是非、日ごろの自分の行動、言動を振り返って生き方を考え直してみよう。

多くの場合、病気は自分の責任なのである。

Keep on smiling!

 

 

とっても短い “足りるを知る” の話

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(一度でいいから、お母さんの顔が見てみたかった・・・・。)

そう思って、先に逝くお母様を送る方たちがいます。

生まれながらにして目の不自由な方たちです。

言葉に表せないほどの悲願でしょう。・・・・天国で再会された時にはそれはもう感激されるのでしょうね。

 

音というものが一体どういうものなのか知らない方たちがいらっしゃいます。

愛する人の声を、

小鳥のさえずりを、

川のせせらぎを、

胸を揺さぶられるような音楽を、

生まれてきた子の可愛らしい泣き声を、

一度でいいから聞いてみたい・・・・

生まれながら耳の不自由な方には、全ての音が想像の世界です。

音のない静寂の世界を見ていらっしゃいます。

 

一度でいいから、痛みのない世界で

普通におしゃれして、モデルさんのように軽快に歩いてみたい・・・・

そう思う、生まれながらにして体の不自由な方たちがいらっしゃいます。

それはもう、察しきれない切ない思いでしょう。

 

一方、そんな全てをすでに持っているのに、

多くの私たちは、滅多なことで

見えることに、聞こえることに、大地に自分で立っていることに、

感謝することがありません。(・・・反省中。)(。-_-。)

 

今朝、庭先で珍しく小鳥のさえずりが聞こえてきたのに

感動したり、感謝したり、時には気付くことすらなく

そそくさと駅に向かいます。

 

今朝は自分の足で病院まで通えたのに

たとえ生活はギリギリだったとしても、とりあえずバス代も払えたのに

多くの私たちは、そんなことには感謝しないで、

不調をきたした部分のことばかり、不足の部分ばかり考えてしまいがちです。

 

目が見えて

耳も聞こえて

おいしそうな臭いをかぐことが出来て

自分の足で好きなところに行けて

手があって

話すことが出来て

空気が吸えて

ご飯が食べれて・・・・

 

それなのに、私たちは目にも耳にも手にも足にも

ありがとうなんて言ったことすらなかったりします。

内臓なんて、一日中がんばっているのに (笑)、誰も感謝しません。

 

食べ物を食べるということは、全て、生き物の命を戴いているということです。

私たちの体は、生物の命を戴いて、初めて機能します。

タラコやイクラなんか食べた日には、全て、命。すごいことです。

「まずいよね~、これ。」なんて、つい食べ物に文句を言ってしまいがちですが、

そこに感謝はありません。命を戴いているのに。

 

車で道を走っている時に、相当たくさんの虫や草花を、

私たちは知らずに踏みつぶして殺してしまっています。

そんな無名の (笑) 虫や草花から、苦情を戴いたことはないけれど・・・・

また、誰かが払ってくれた税金で、工事のオジサマがいい道路を作ってくれたから

偉そうにその道を通らせてもらっているけれど・・・・

感謝したことがありません。

 

つまり・・・

膨大な数の幸せに囲まれていながら

ありがとう、って言うのを忘れがちな私たちがいます。

 

たくさんのありがたいことに気付く・・・

幸せとは、今持っているものから

一個でも多くそれを見つけ出すことだと思うのです。

 

あれさえあったら、

これさえ持っていたら、

あの人が変わってくれさえしたら

この病気さえ治ってくれたら・・・・

 

不足しているものに意識を集中するよりも

今、あるものに感謝を見つけながら日々を過ごす・・・・・

 

その方が幸せな人生の気がしませんか?

 

今日、ちょっとしたことにイラッとした一瞬があった方。(ありますよね、誰でも。)( *´艸`)

思わず何かの愚痴を言ってしまった方。(/o\)

そのイライラや不平不満の数にプラス1個分だけでも、

ありがたいことを見つけてみてください

3個腹立たしいことがあったのなら、4個のありがたいことを見つけて感謝してください。

幸せに向けて、一歩だけ前進しますよ。

 

「必ず君を幸せにするよ。」

「ずっと私を幸せにしてね。」

恋人たちの誓いの定番のような言葉になっていますが、

それ、ちょっと違うような気がします。

誰かに幸せにしてもらわなければ幸せになれないのであれば、続くわけがないのです。

相手が幸せにしてくれるのを求め、「あなたは、私を幸せにしてくれてない。」と、

ない部分に目を向けて、相手に求め続け、最後は死闘になりかねません (笑)。

 

幸せって、誰かに幸せにしてもらうから幸せになるのではないんです

自分の、今、持っているものから、自分で見つけるもの

 

たくさん見つけたあなたこそが、人生の成功者ですよ。

 

今日も、素晴らしい一日を!