Facebookが日本でも随分と広まって、
「いいね!」って言葉も、普通~に一般的になりました。
英語バージョンだと「いいね!」は、
このブログの上下にもボタンがあるように「Like!」
になります。
どっちも素敵な言葉ですね。
時々思うのですが、
日本人は外国人とちょっと違って(全部というわけではありませんが)比較的、
「いいね!」の基準が厳しい気がします。
これには、日本人の気質と文化がかかわっているかもしれません。

この頃の100円は重みがありましたね~。誰ですか?懐かしんでるのは?(笑)
例えば、
外国の方は、不良品などについても、
(安物だからしょうがないか・・・。)
と、ゆる~く考えがちな傾向が見られますが、
日本人は
「たとえ100均だからと言って、
不良品は許されないわ!」
と思うのが一般的。
出来れば、許したくないですよね、あなたも、私も。(笑)
100円って言ったって、お金を出して買った商品ですから。ブツブツ・・・・。
よい本を読んでも、
「この本はよかった。でも、この本の、
○○○ってところは納得いかないのよね~。」
「全体的にすごい面白いけど、
読み始めは結構お堅い感じで入りにくかったね。」
と、相当よかった本にも100点はあげません。
相当、その本で救われたのに、まだ批判をしたりしています。(笑)
つまり、いいね!に至らないのです。
100%自分と同じ考えの本がほしければ、
自分で書くしかないのですが・・・。(笑)
よかったなら、「よかった ♪」でいいのでは?と思いますが、
何か批評ポイントを探しがちなのが日本人です。
それにしても、
なぜなんでしょう?
例えば、日本人は、子供のころから幼稚園やら学校で、
なにごとも練習、練習、練習・・・を繰り返します。
「がんばる」って言葉も大好きです。
年に一度の運動会や学芸会・・・
これも、ミスがないように、何度も、何度も、
気の遠くなる練習に明け暮れます。
ほんの数分の出番のために、
1か月も2か月も、がんばって、がんばって、練習します。
観客の前で、恥をかいてはいけない文化なのです。
きちんとしたものを見せなければ、失礼になるという思いが強いのです。
決して国代表としてオリンピックに出るわけでもなく、(笑)
チケットを売りさばいてショーを見せるわけでもないのですが、
10.00(満点)を目指してがんばります。
失敗を受け入れがたい国民性なのです。
そんな私たちですから、
どちらかというと、ほめる、ということより、
どこがよくなかったのを見つけて、
そこを改善していく・・・
そんな教育が私たちにしみついている気がします。
親も、子供のいいところを見つけてほめまくる、
という親より、
いけないところ、出来ないところを指摘して、
よくなるように一生懸命指導する・・・
そんな育て方をするタイプが圧倒的に多い気がします。
だから、誰かのつぶやいた一言に、
「いいね!」 って気軽にボタンを押すより
批判部分を見つけて、
「あれはよかったけど、わたしは○○○っていう部分は好きじゃないから。」
・・・と、評価、批判・・・・。
Why Japanese People!!!!!
・・・厚切りジェイソンさんみたく叫びたくなりますが、(笑)
でも、私自身も評論家になってしまいがちな自分の習性に
ふと気づいた時には苦笑してしまいます。
誰かが友人達に悩み事を言っている時に、
聞いていた一人が、今か今かと口をはさむのを待ちかねて舌なめずりし、
絶妙なタイミングで
「違うわよ~~~、それは~~~!」
と言ってしまうタイプの人がいます。(笑)
友人は友人で、そのことで悩んでいたのだから、
違うのよ~、ではなく、そこで、
「うん、わかるよ~、それ。」
って言ってあげてもいいのではないかな~、と思うのですが。
意見が自分と違ったとしても、
「そうだね~、わかるよ~、それ。・・・でもね、私はこう考えるの。・・・」
と、ワンクッション入れてから意見を言うだけで、会話が全然違ってくるのに、
真っ向から否定。(笑)
・・・日本人って、やりがちです。
自分と全く同じ意見の人なんていないのですから、
“あなたの考え方は理解できたよ。”
という意味で、
「だよね~、わかるよ~、それ。」
と、まず「いいね!」をあげてから、
相手と違う自分の意見を言えばいい。
それだけで会話の質は数段違ってくるはずです。
真っ向から否定された人は、通常、
もうその相手と深い会話はしたくないと思うでしょう。
そして、この感覚が、日本人の
「いいね!」と外国人の
「Like!」の違いの気がします。
つまり、外国人は、自分と全く意見が違っても
「Like!」のボタンを
日本人よりは気軽に押す気がします。
「あなたはそういう考えなんだね。」
「そういう考えも、いいね。(私とは違うけど。)」
これが、外国人の「Like!」の感覚の気がします。
私自身、このブログで偉そうに色々なことを言っちゃってますが、
それでも、ある方々は
「そっか~~~!それはいい!私もそういうふうにやってみよう!」
と、納得してくれます。
でも、時には、
「それは違うと思う。私はそうは思わない。」
という考えの方もいらっしゃるでしょう。
「いや、いいんじゃないんですか?
あなたはあなたの考えで。それもまた素敵な考え方ですよ。
ただ、私は、こう思っているから、こう発言してみてるだけです。」
・・・と、私はそういうスタンスでどなたの考えも受け止めます。
同意するかどうかは、別問題です。
“あなたの言っていることが、
理解できた”、という意味の
「わかるよ~。」
は、会話の緩衝材になります。
今流行りの、間髪入れずに言う
「ですよね~~~~!」でもいいかもしれません。(笑)
「僕は、こういう治療をやったらこの病気がよくなったんだ。」
と話してくれている方がいるとして、そう言っている最中に、
「俺はそれはいいと思わない。俺は、○○○だから、そういうのは出来ない。」
といちいち報告しなくても、(笑)
「そうなんだ~。それもいいね~。
どっちがいいかは別として、俺は○○○みたくやってるの。」
と、相手に「いいね!」をあげてから
自分の考えを言ってみる、という発言の仕方の方がずっと魅力的です。
それは、決して相手の考え方に同意した、という意味ではありません。
そういう考え方もあるんだ、と、
相手には相手の考え方があることを尊重しただけです。
相手が、何か重要な国際会議で国を代表して発表する、とかなら、
間違いは正してあげた方が親切です。(笑)
「もしかして、それ、違うかもよ?」と、知らせてあげましょう。
でも、ただの世間話、
ただの日常会話なら、
自分の知っていることと違っていることを相手が言ったとしても、
「へぇ~~~、そうなんだ~~~~。」
と、相手に「いいね!」をあげる会話の仕方で十分な気がします。
いや、実は、十分なんです。(笑)
普段の会話で、わざわざ「自分の意見は違う」と宣言するのは
その場の空気を乱しているだけかもしれません。
ですから、後で他のところに行った時に、
普通にその人と違う自分の意見を、今まで通りに言っていればいいだけなのです。
他人の話の腰を折らないことです。だって、ただの世間話なんです。
ぶっきらぼうに相手を否定しても、
嫌われるだけですから。(笑)
ちょっとしたことでも、相手に「いいね!」をあげる心の余裕・・・
それだけで、人間関係が格段にスムーズになってくる気がします。
今日も素晴らしい一日を!