「あの人、変よね~。」
「ちょっとしつこくない?あのオジサン?」
「やだ~~~、あの人、苦手~。出来るだけ話したくない~。」
・・・・と、世間にはいろんな人がいるようで、
私たちはその変なヒトを出来れば避けたいと思ってしまいます。
それが職場で毎日顔を合わせる人であれ、
家族であれ、
友達のグループの中の人であれ、
(ちょっとだけ距離を置きたい・・・。)
そう思う存在は、誰にでもいるものです。
もちろん私も、出来れば変なヒトは避けたいですが、
ただ、比較的、バラエティに富んだ人々を(笑)少しは受け付ける方のような気がします。
つまらないシャレを言い続けるオジサンなども、
わりと相手にしてしまっちゃうところもあります。
あまりにつまらないと、
「あの~、すいません、
どこで笑えばいいんでしょうか?」
と、突っ込んだりするのも結構好きです。
時には、ちょっと目上の人でも、
笑えないネタを公開したとあらば、
「おい。」
「こらこら。」
と、とんでもない失礼なツッコミを入れて、なんとか笑いにしようと試みています。(笑)
どうしたって避けられない関係もありますから、
自分の人生を楽しむためには、避けられない人には、
それなりの対処を考えて行くしかない気がします。
さて。
そんな私がかつて出会った、変なオジサン(笑)のお話をひとつ。
相当昔の話ですが・・・・とある航空会社でキャビンアテンダントをやっていたことがありました。
その頃、CAを担当する事務職の中に、CA仲間みんなが苦手としているオジサンがいました。
な~~~んかエロエロで(笑)、皆、出来るだけ会話は避け、
必要最低限の情報交換だけで、サササッと身をひるがえしてその場を去る・・・
みたいな感じです。
ある日、その事務職のオジサンが、
私のフライトしている便に、
お客様として乗って来られました。
まあ、他のCAたちは、当然、挨拶だけ。
心はこもっていなくても満面笑顔
・・・だけは忘れませんが。(笑)
で、私は、その時、パーサーであっただけでなく、
必ず、知人には何かお話はするように心がけていたので、
仕事の手が空いた時に、
オジサンの席にご挨拶に行きました。
評判も知っていましたし、みんなの評価にも同意していながらも(笑)、
私の場合、ただ、フツーに嫌がらない、
他の知人と同じように接する、といういつもの行動なだけだったのですが、
これが、思わぬ気付きのきっかけになるとは・・・
思いもしませんでした。
「こんにちは、XXさん。お疲れ様でございます。
今日はご出張か何かでお出かけでいらしたんですか?」
すると、そのオジサンは、いつになくしんみりと答えました。
「いや~~~・・・。親父が死んじゃってさ~。葬式の帰りなんだよ。」
私「・・・!!そ、そうでしたか!!!
それは・・・ご愁傷様でございます・・・。大変でしたね。」
そこから少しの間、会話が続きました。
状況が状況だけに、私も少し立ち止まり、お話をお聞きすることにしました。
「92歳だったんだよ。大往生だから、まあ、こればっかりは仕方ないんだけどね。
いい、オヤジだったよ。
親孝行ほどのことも、たいして出来なかったんだ。
でもね、俺ね、ひとつも後悔してないんだよ。
俺はひとりもんだし、おふくろもかなり前に亡くなっているから、
俺、ず~~~っとオヤジのこと、海外旅行に誘って、たくさん連れてったんだよ。
オヤジと二人で、いろんなとこ行ったな~。
世界中、見て来たよー。ホント、楽しかった。
オヤジもすごいいつも喜んでたし。
たくさん思い出があるから、俺、後悔はないんだ。」
・・・と、亡くなったお父様との思い出を語られました。
通常、誰しも、親が亡くなった後に、
親孝行してあげられなかった・・・。
あれもしてあげたかった。
これもしてあげたかった。
・・・・と、少し後悔するのが普通です。
でも、全く後悔のない見送り方をして、
楽しい思い出を胸に、残りの人生を生きて行く・・・
なんだか素敵だな・・・・と思いました。
以前、このブログで、私は自分の母が、他者によって、
突然命を絶たれたことをお話しさせて戴いたことがありますが、
その当時は、あまりに突然だった上、まだ私も(今より!)若かったので、
これといった親孝行も出来なかったことに、相当苦しい思いをしたのを覚えています。
だからこそ、残った父親の最期の時には、
決して後悔のない送り方が出来たら素敵だな・・・
そう思っていました。
私の父は、愛いっぱいの人でしたから、
娘には絶対に世話にならない、面倒をかけない・・・という思いが強く、
どんなに誘っても、私の家族と暮らそうとはしませんでした。
でも、あの時、変なオジサンにヒントを戴いたあの短い会話が印象に残っていて、
(私自身も、父も、旅行が大好きだったのもあり)
28年間、遠く離れた故郷で一人暮らしの父を、
家族旅行に、ずっと誘い続けました。
色々な国に行きました。
亡くなる前の数年は、
ちょうど息子たちも親の旅行について来ない年頃だったので、
老人と娘の二人だけの珍道中で、
父の大好きなヨーロッパのあちこちを歩き回りました。
亡くなる8か月前が最後の旅行になり、
その時は、ヨーロッパの一番西の端、ポルトガルのロカ岬まで行きました。
岬に立った父は、もう、自分があまり長くないことをなんとなく感じていたのでしょう、
「あ~~~~・・・・ついに、ここまで来たな~・・・・・・。
ここまで旅行するなんて、夢にも思わなかったよ。
あ~・・・・ホントに、来たんだな~。ここまで、来たな~~~・・・。」
80歳をとうに過ぎた父は、青い海を見つめながら、
しみじみとつぶやいていました。
ロカ岬には、
『ここに地終わり、海始まる』
の石碑があります。
悠久の時を超え、かつて、ここが地の果てだと信じた人達と
同じ景色を眺める・・・・
感慨深い、思い出の地です。
父が亡くなる前に入院していた時、
病床の横に座っている私に、父は何度も何度も、言ってくれました。
「(自分の人生で)後悔することはひとつもないよ。
おまえとは、世界中を見て歩いたな~・・・。
ほんとに、たくさん、見せてもらった。
楽しかったな~~~~。
世界中を見たから、
もう、思い残すことは、ひとつもないよ。いい人生だった。
ありがとう。
本当に、ありがとう。」
私も、父と世界中を見て周ったことがいい思い出になり、
本当に、心から、一緒に行ってよかったと思えました。
特に晩年は、年老いた父を、
逆に娘が面倒を見るような場面も時々あり、
立場が逆になったことに、
なんとも微笑ましく父を見ていた自分を覚えています。
もう体が動かなくなっても、最期まで、父の目は、
はっきりと意識があることを伝えてくれていました。
そして、
「ありがとう。思い残すことは、ひとつもないよ。
ありがとう。いい人生だった。」
さらに、心で繰り返してくれていたのがわかりました。
私も、父の手をしっかりと握りながら、
「お父さん、ありがとねー。
お父さんの子供に生まれてよかったよ。
お父さんの娘で生まれてきたから、本当に幸せだよ。ありがとう。
一緒に旅行もたくさん行けて、ホントに楽しかったね。
最高のお父さんだよ。
大好きだよ。
本当に、本当に、ありがとう!」
・・・耳元で、たくさん感謝の言葉を伝えながら最期の別れが出来ました。
至らない娘だったけれども、
楽し過ぎるくらいの思い出をいっぱい作り、
私なりに、精一杯父との時間を有意義に過ごしました。
「親孝行はたいして出来なかったけど・・・後悔はないの。
私の父親は、本当に素晴らしいお父さんだったよ!!」
私も今、誰にでも、すがすがしい気持ちでそう言うことが出来ます。
この気持ちは一生の宝です。
・・・・誰もがとんでもなく苦手としている変なオジサン(笑)との何気ない会話が、
私の、一生の後悔をなくするヒントになりました。
・・・人生では、避けたくなる人もいます。
顔も見たくない人も、現れます。(笑)
それでも、私は、全ての出会いには意味があると考えています。
それは、雑踏ですれ違う一人一人も、全て、です。
全てが、私たちの栄養です。
きっと、起こった事全てにも学びがあるのだと思います。
ちょっと嫌なアイツの言動も、
たまには、少し、耳を傾けてみませんか?
あなたの、一生を変えるくらいのセンセーションを、
ポロッと拾うことが出来るかもしれませんよ。
今日も素晴らしい一日を!